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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Apocalypse Now
主演 マーロン・ブランド
ロバート・デュヴァル
マーティン・シーン
監督   フランシス・コッポラ
音楽  

カーマイン・コッポラ
フランシス・コッポラ

 
 
 ヴェトナム、サイゴン ― 196X年・夏。
 俺は発狂するような暑さのホテルに居た。俺は505大隊173空挺隊所属の特殊行動班員、ウィラード大尉だ。戦場では故郷が恋しくなるものだが、休暇で故郷に帰ってもただ空しいだけだった。妙な話だが、戦場のジャングルが、ただひたすら恋しかった。しかし、もう一週間も指令待ちのまま、このホテルでただ無意味な時間だけが過ぎてゆく。窒息しそうだ。何とかしてくれ!
 

  ―我慢ももはや限界に達しようとした頃、ようやくナ・トランにある情報指令本部への出頭命令が下った。そこで俺はある特殊な極秘指令を受けた。同じアメリカ軍のカーツ大佐を抹殺せよ、との指令だった。

  カーツ大佐。空挺隊員のエリート叩き上げにして生まれながらの軍人。最高幹部にでもなるべき大佐を抹殺せよ、と軍部は指令した。何故だ?


 なんでもカーツ大佐は、ある特殊作戦でナン河上流のカンボジアに潜入後、軍との連絡を絶ち、現地住民らを組織した私設軍隊を率いて王国を設立。そればかりか、自らが支配者となり虐殺行為を行っているという。このアメリカ軍にとっては最早「邪魔な存在」となったカーツを密かに抹消せよ!というのだ。俺はこの任務を引き受けた。味方のアメリカ人、しかも将校を殺せ!だとさ。全く狂ってやがるぜ。だが、俺は軍人だ。上からの命令は絶対なのだ。
 
 
 俺はカーツの居るカンボジアを目指し、巡回艇PBRに乗って河を上っていた。この旅には連れの部下が4人居た。チーフ、シェフ、ランス、クリーン。皆、棺桶に片足を突っ込んでいる奴らだ。彼らは俺の任務を知らない。ただ俺が目的地に向かう道中、同行せよとの指令を受けているだけだった。彼らがラジオから流れる『サティスファクション』で浮かれている間、俺はカーツの機密ファイルに目を通していた。彼を知れば知るほど興味が沸いていく。この男に会いたくなって来たぜ。
 

 俺たちは目的地の川までPBRを運んでくれる空軍騎兵隊第一中隊のキルゴア中佐に会った。キルゴア中佐はPBRを運ぶ事を快諾してくれた。是非早朝に、との俺の希望も飲んでくれたが、少し寄り道したいと中佐は言う。なんでもいい波が来る海があるから、そこでサーフィンをやりたい、ときたもんだ。ちょっと待てよ、そこはヴェトコンどもの拠点だろ?

 
 ところが、だ。中佐曰く、爆撃して敵を一掃してからサーフィンを楽しむんだとよ!全く狂ってやがるぜ!生真面目な彼の部下が中佐に「そこは危ないですよ。敵の拠点ですよ!」と忠告するや否や、べトコンがサーフィンするか!と一喝だ!さすがの俺も呆れたぜ!
 
 

 翌朝、キルゴアが率いるヘリ部隊は、冗談抜きで早朝に海の周辺の拠点を爆撃しやがった。しかも8トラックのオープン・リールからワグナーをガンガン鳴り響かせて、だ!逃げ回るベトナム人達、朝っぱらからなんて事をしやがる!本当に狂ってやがるぜ!しかも敵の反撃に怒ったキルゴアは、ジェット機を呼んでナパームで周辺を焼き払いやがった!ダメ押しに中佐はこうのたまった。

「朝のナパームは最高だ!勝利の匂いだ!」

 こんな完全に狂っている将校が戦場では英雄と慕われ、カーツは邪魔な存在だという。俺にはこの戦争が理解出来ない。部下達もだんだんと神経をやられてきた。この灼熱のジャングルは、俺たちをどんどんと魔境に引き込み、狂気に追い込もうとしているのだ。

 
 

 PBRを止めるとが襲い掛かってきた!ショックでシェフが狂いやがった!さらに河を上るとジャングルに現れたのは『ラスヴェガス』だ!プレイメイト達のセクシーな慰問ショーだぜ!興奮する部下達。こんな慰問はヴェトコンどもにはない。奴らには死んだネズミと冷えた米だけだ。ハングリーな奴だけが戦場では生き残るのさ。

 
 

 そんな事を考えていたら、プレイボーイ・ショーで浮かれた部下がベトナムの農民達を誤って殺しちまった。何をしてやがる!さらにジャングルの河を上ると、突然左右のジャングルから攻撃を受け、クリーンが死んだ!完全にイカれたミッションだが、俺たちは何とか米軍最後の拠点ド・ランを通過した。だが、もはやジャングルの魔力には為す術がなかったのだ。最後の機密書類に目を通す頃には、俺はカーツをむしろ尊敬していた。そこには詳細な履歴、過去の栄光の数々、そして家族への愛なども記されていた。

 俺の脳裏で、ひとつの疑問がゆっくりと首をもたげはじめていた。
 知れば知るほど立派な軍人としか思えないカーツ大佐を、俺は殺せるのか?
 ただ、上からの命令というだけで―。

 

 密林の魔力に俺の神経も切れそうになった時、ジャングルから放たれた矢でチーフが死んだ。
 もう、引き返せない―。
 俺たちはさらに河を上り、ようやくカーツの王国に到着した。

 ―そこはジャングルの中の異様な王国だった。そしてそこに、住民たちから『神』と崇められているカーツが居た。彼との対話。彼は狂人か?偉大な指導者か?それとも『神』なのか?

 

 恐るべき事に、カーツは俺の事も、これから先に起こる事も知り尽くしていた。俺が何をしにきたのかも全てを予言した。俺は会ってはならぬ人間に会ってしまったのか?しかしカーツは自らの未来を俺に託していた。そこで俺の中で何かが目覚めた。何かが誕生したのだ―!

 
 
Come on baby, take a chance with us!
Come on baby, take a chance with us!
And meet me at the back of the blue bus!!!

夜が来た!
嵐が来た!
大雨が降り注ぐ中、いけにえの水牛が断末魔の叫びをあげる!!
俺も短刀を持ってカーツの前に出た。
そして今、神と人間が対峙したのだ―!

 
 
 過ぎ去った嵐。PBRはカーツの王国を離れて何処かに行こうとしている。俺を乗せて。俺は軍部からの無線のスイッチを切った。そしてカーツの王国を瞼に焼き付けた。ただ降り注ぐ雨の音に、耳を傾けていた…

 「PBRがジャングルの河を上っていくと、そこに幻想的なシンセサイザーのスコアが流れる―。」

 コッポラは本作の音楽のスタイルを当初からそのように明確に決めていたという。そのアイデアは恐らくドイツのヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』('72)における、ポポル・ヴーの音楽にインスパイアされたものなのかもしれない。コッポラは世界的なシンセサイザー・アーティストの富田勲にスコアを依頼。しかし契約問題などが生じ、富田勲は起用できなくなってしまう。そこで次にコッポラは妹タリアの夫であるデヴィッド・シャイアを起用する。シャイアはコッポラの『カンバセーション・盗聴』('74)を担当していてコッポラの信頼もある。だが作曲準備中に妹と離婚したデヴィッド・シャイアを即クビにした。つまり「妹を棄てた野郎には仕事はやらん!」ということだ。いかにもゴッドファーザーのコッポラらしい家族愛に満ちたエピソードではないか。まるでコ二ーを殴ったカルロを半殺しにしたソニー・コルレオーネのようである。こうした紆余曲折を経て、最終的には父のカーマインがスコアを担当することになった。

 

  カーマイン(もしくはカーミン、あるいはカルミネ)・コッポラ。音楽家である父・カーマインは息子フランシスの『グラマー西部を荒らす』('62)のスコアを担当。『ゴッドファーザー』('72)の結婚式の音楽や『ゴッドファーザーPARTU』(74)も担当しており、そのコラボレーションは『黙示録』以後も継続されている。コッポラはカーマインの書いたシンフォニック・スコアをさらにシンセサイザー演奏用のスコアにアレンジするが、その作業をシャーリー・ウォーカー(後に数本の映画でスコアを担当。06/11/29没)が行った。

 演奏にあたっては『黙示録サウンドトラック部隊』が結成され、数名のシンセサイザー・アーティストがその幻想的なスコアを演奏した。メンバーはパトリック・グリーソンリチャード・べッグス、ギターはランディ・ハンセン。サンフランシスコにあるコッポラ所有のスタジオ、オムニ・ゾエトロープでレコーディングを行った。

 
 また、追加スコアではジャングルから聞こえるざわめきとしてパーカッション・アーティストのミッキー・ハートにその部分のスコアを依頼。ミッキー・ハートは『黙示録・セッション・バンド』としてRhythm Devilsを特別に結成し演奏している。さらにはドアーズローリング・ストーンズフラッシュ・キャデラックらのロック、リヒャルト・ワグナー『ワルキューレの騎行』などの既成曲も使用されて『黙示録の音楽』は生まれたのであった。

 当時、戦争映画はシンフォニックなオーケストラが定番だったが、本作では異色のシンセサイザー・スコアである。もし仮に、本作のスコアがオーソドックスなシンフォニックスコアだったら…

 おい!映画が台無しになるぞ!作品が死んでしまう!!

 

 本作以降、数々のヴェトナム戦争映画が製作されているが、意外にもオーソドックスなシンフォニック・スコアで彩られた作品が多い。オリヴァー・ストーン監督・ジョルジュ・ドルリュー作曲の『プラトーン』('87)然り、ブライアン・デ・パルマエンニオ・モリコーネがタッグを組んだ『カジュアリティーズ』('89)然り。ただしシンセサイザー・スコアが全編を覆った作品としてはスタンリー・キューブリックアビゲイル・ミード『フルメタル・ジャケット』('87)が印象に残る。

 つまり、映画自体もそうだが音楽も本作は革命的であり、刺激的であったのだ。

 

 また、当時様々な音楽・カルチャーで『アポカリプス(黙示録)』は世界的にブームであった。1978年、世界的に『地獄の黙示録』が翌年公開!と話題になっている時、一人のミュージシャンがある曲を発表した。俳優であり映画監督、ミュージシャンでもあるフランスのセルジュ・ゲンスブールだ。彼が作詞、作曲して当時の愛妻のジェーン・バーキンが歌った曲、『APOCALYPSTICK』がそれだ。『アポカリップスティック、アポカリプスとリップスティックを足して APOCALYPSTICK』。
 この曲が発表されるとメディアは「さすがはフランスのシャレ者、セルジュらしい言葉遊びの名曲!セルジュは『黙示録』なんかくだらない、と笑い飛ばす!これこそ現代の黙示録、黙示録の答えはセルジュが出した!」と大絶賛した。しかし、あの男、そう、我らがキルゴア中佐だけは違った…

 

 「『あぽかりぷすとりっぷすてぃっく』だと?フザけるな!
 お前みたいな軟弱なフランス人にサーフィンが分かってたまるか!
 いつもワインと女を口説く事ばっかり考えおって!
 大体、貴様らフランス人がアッサリとディエンビエンフーで降伏するわ、
 インドシナで撤退するわの腰抜けどもばかりだからだ!
 そうだ!貴様らフランスがケツをまくりやがったお陰で、アメリカはヴェトナムに介入するハメになったのだ!
 そのクセこんな歌を作りおって!アカの手先のおフ○ラ豚め!泣いたり笑ったり出来なくしてやる!
 (おっとこれは同期のハートマンのキメゼリフだった!スマン!)」

サウンドトラック(音楽も含めて)は映画の効果の半分を占める大事なものだ。
それは美しくなければならない。

フランシス・コッポラ

 

  1979年当時、リリースされたサウンドトラック・アルバムは2枚組のLPだった。それは音楽、効果音、セリフ 、マーティン・シーンのナレーションを収めた約90分の「音で体験する黙示録」であった。世界中のリスナーがその音質の素晴らしさに腰を抜かした。作品自体、「初のドルビー・サラウンド」として画期的な音質の良さが話題であり、左右、後方から聞こえるサウンドトラックは素晴らしかったのである。そしてこのダブル・アルバムは、自宅でその音質の素晴らしさを体験出来たのだ。1979年から1980年にかけて「黙示録」のサウンドトラックは3種類リリースされた(2001年の『特別完全版』のCDを含めると4種類存在する)。

 
 まず最初のダブル・アルバムの後、なんと音楽のみ収録のスコア・アルバムがリリースされた。セリフ、効果音は抜いて音楽のみ、勿論ドアーズ、ワグナー、フラッシュ・キャデラックも収録されているが、何故かアメリカと日本ではリリースされず、ドイツで生産されたLPのみがヨーロッパで流通していた。このスコア・アルバムについてコッポラは、月刊プレイボーイ誌のインタビュー(80年5月)で「レコードとしてはこの音楽だけのアルバムの方が素晴らしい」と述べている。2001年のCDリリースの際、「初のスコア盤リリース」と思われていたが、実はこうして当時から存在していたのだ。
 

 そして劇中、ジャングルのシーンなどで使用されたRhythm Devilsが演奏する『APOCALYPSE NOW SESSIONS PLAY RIVER MUSIC』が1980年にPASSPORTレーベルよりリリース。劇中使用された「Street Gang」「Lance」「Kurtz」「Napalm For Breakfast」などを収録。しかしこのアルバムで最も重要なのは35mm版のラスト・クレジットの曲が収録されていることだ。

 
  『黙示録』のアルバムは、映画が『フィルム・オペラ』とするならば、アルバムは『ロック・オペラ』だ。現実音、ドアーズのロック、ワグナー、そして幻想的なシンセサイザーは、正に70年代のプログレシッヴ・ロックそのものだ。当時、映画ファンよりもコアなロック・マニアに人気だったのも事実である。このアルバムを聞くのは「鑑賞」ではない。それは「体験」だった。聞きたくなければ無視すればいい。しかしその魅力に取り付かれたものは、一生、その体験が持続するのである。
 

 この映画にオリジナルのテーマソングは無いが、ドアーズの『ジ・エンド』が事実上のテーマソングといえるだろう。『ジ・エンド』はドアーズのデビュー・アルバム『ハートに火をつけて』に収録され、1967年にリリースされた。ヴェトナム戦争ものに60年代のロックを鮮やかに使用するという手法はその後定番となった。有名どころではジェファーソン・エアプレインの『ホワイト・ラビット』を使用した『プラトーン』、ローリング・ストーンズの『黒くぬれ!』で見事に締めくくった『フルメタル・ジャケット』、そして『サイゴン』('88)ではエンドクレジットにスライ&ファミリー・ストーンの『スタンド!』を流しその時代の空気間を見事に演出していた。

 

 話を『黙示録』に戻そう。アルバムはドアーズ同様、エレクトラよりリリースされベストセラーになった。CD時代に入ってからもいちはやく登場し、LP同様スコア盤もドイツにてリリース。RHYTHM DEVILSのアルバムも1989年にRYKOよりCD化されている。
 そして2001年、『特別完全版』として作品が再公開されると、旧スコア盤に2曲プラスしてエレクトラ傘下のノンサッチよりCDがリリースされた。こうして『黙示録』のサウンドトラックの旅も終わるのである(余談だが当時、日本のみワグナーの曲をシングル・カット。そして「ジ・エンド」もシングルとして発売された。また、80年代半ばには『ジ・エンド』(オリジナルアルバムからではなく、『黙示録』サウンドトラックから)がドイツのみ12インチ・シングルとしてリリースされている。

 
 
  公開当時、『黙示録』の音楽についてはこう言われていた。
  「『黙示録』の音楽は家でいえば柱である。それは決してカーテンやカーペットではない」と。
  真の映画音楽とはそういうものだ。もはやこの音楽(ドアーズ、ワグナー、シンセサイザーのスコア)抜きには考えられない。それはコッポラのいう「美しいサウンドトラック」なのである。

 「何だこりゃ?」
 「全然、訳が分かんないよ!」
 「中盤以降、別の映画!」
 当時、劇場を後にした人々はそう酷評していた。不満の声は大きかった。しかし同時に、皆揃って異様に興奮していた。本当だ。そこに我々も居たのだから!
 

 とにかく凄い話題だった。完成前から映画雑誌で記事が掲載され、我々も「早く観たい!」と、まさに「首長竜のように首を長く」していたのだ。そして満を持して公開!されたのだ。日本のプレミア上映にはコッポラスティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカスジョン・ミリアスといった面々に加え日本の黒澤明も出席。TVのウィスキーのCMではコッポラと黒澤が共演、BGMはワグナーとまるで映画の予告編状態。そしてテレビの特番などでも散々盛り上げていた。

 

 特に異様な興奮状態を見せていたのは、日曜日の報道番組での筑紫哲也と長谷川和彦監督だった。長谷川監督に至っては「コッポラは何も分かっちゃいないのね。撮影中も『闇の奥』を読みながら撮っていたんだから」とこきおろした(じゃアンタ、撮れるのか!と我々は思った)。

 故・松田優作も「巨額の製作費を使ってあの程度かい!だったらその後はオレがやる!」とのたまった(一体何をやんのよ?それで出来上がったのが『野獣死すべし』)。

 

 批評も「ハリウッド史上に残る愚行」との散々な評から絶賛まで、見事に真っ二つだった。その年のカンヌでは作品賞を受賞しているので、一応ヨーロッパ人は評価した事になる。しかし実際は、皆コッポラに「嫉妬してひれ伏していた」だけなのではあるまいか。

 なんと言ってもたかが40歳程度で、こんな凄い『本物の映画』を、自主製作で作り上げたのだから。しかも『ゴッドファーザー』『カンバセーション・盗聴』『ゴッドファーザーPARTU』ときてこの『黙示録』だ。その嫉妬から不評も生んだのだ。作品を見れば一目瞭然だが、あれは今後誰にも真似出来ない映像とスケールの本物の映画だったのだから。CG一切無し、オール・ロケーションのパワフルな作品に我々はひれ伏したのである!

 
 ところで、少し考えてみればわかることなのだが、『黙示録』は決して一般に言われているような難解な映画ではない。
 前半にヘリの銃撃戦、中盤にはトラ、橋の戦闘、そして最後は『喋り』―大半の観客は、前半で興奮度が頂点に達したあと、後半にはトーンダウンしてしまう。確かに時計の逆回しのような映画かもしれない。しかし映像のパワーは全編、消滅することなく持続している!そしてラストのカーツ大佐の場面も含めて、この『黙示録』は実は『ウィラードの自分探しの旅』であり、『秘境巡り』の冒険映画であり、『父親探し』の旅の物語でもあるのだ。
 

 そう、カーツはウィラードの父親なのだ。恐らくウィラードに父親は居ない。そこで彼は未だ会った事のない父に会いに行くのだ。自分同様の軍人である父に。そして自分には超えられない父の偉大な姿を見る。つまりこれは男子の成長物語でもある。

 このテーマは、コッポラの『ゴッドファーザー』のT・U作目にも共通している。父を超えられず苦悩する息子マイケル。そして偉大な石像のようなカーツの前で萎縮しそしてその影を消すウィラード。父が偉大すぎたがゆえにそのハードルを越えられない息子たちがコッポラの永遠のテーマでもある。彼も音楽家である父を超えられずに苦しんできたのだから。父殺しはギリシャ悲劇であり、ドアーズの『ジ・エンド』の歌詞にあるように、そこが『黙示録』のテーマなのだ。

 
 父を殺したウィラードは新たな旅に出る。だが目的地は分からない。暗闇の川をさらに旅してゆくのだ。我々も当時からその旅を続けている。ウィラードと目的地は違えど映画館の暗闇のジャングルに身を投じてウィラードと一体化してしまった。ふとその旅を忘れることもあるが、時々、あのジャングルとそこに鳴り響くサウンドトラックが懐かしくなり、耳を傾けてしまう。脳裏には懐かしいという郷愁よりもはるかに鮮明な映像が蘇る。そう、旅は未だ終わっていないのだ。そしてドアーズのジム・モリソンのヴォーカルが聞こえてくる…
 

これからどうなるか、想像できるかい?
果てしなく広がる、そして自由な世界
誰か見知らぬ人の手が、どうしても必要だろう。絶望の国では。