ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
―ここは昭和のとある夕暮れの町外れ―。
カーン、カーンと木製の板を鳴らして、今日もあのおじさん…そう、紙芝居のおじさんがやって来た。日焼けした顔、大きな耳たぶにはコブがぶら下がっている。そして太鼓のようなお腹。彼はみるみるうちに子供達に囲まれた。
彼の周りに集まった子供達は皆、申し合わせたようにクリクリのマルコメ頭の男の子と、オカッパ頭か三つ編みの女の子ばかりが群がっている。そして皆10円を出しては、ソースを塗ったせんべいと水あめを口にして 「早くぅ!早くお話をしてよう!」 とおじさんにせがんでいる。
「さぁーみんな、お話を始めようか!!今日は、西独逸の怖い怖いお話じゃよ!」
シモーネは、毎日Rに手紙を書くんじゃが、返事が全く来ないんでナ、とうとう我慢出来なくなってしもて、とうとうRに逢いに行ったそうナ。そこで初めてRに逢ったシモーネは、思わず失神してしもうてナ、気がつくとRの部屋で介抱されておったと。
夢心地でRの部屋でナ、シモーネはRと遂にナ、あのー、あれじゃ、その…いんぐりもんぐりをしてしまったとナ。しかしもんぐりの後、Rはシモーネにナ、冷たく「帰れ!」と言うたそうナ。
Rの冷酷な態度にブチ切れたシモーネはナ、発作的にRを殴り殺してしもうた!しかも死体をチョンパしてしもうてナ、なんと鍋で煮込んでスープにしてペロリと食べてしもうたと!ひぇぇぇ!!! そしてガイコツをノコギリでギコギコしてナ、ジューサーでギュィーンとして粉にしてしもうたと!ひぇぇぇ!
それでナ、シモーネは自分の頭をマルコメ頭に剃りあげてナ、Rのお粉を町じゅうに○美屋のふりかけのごとく撒き散らしたのじゃった!! (掃除しとけよ!)
「…なぁ、おっちゃん!シモーネはその後どうなったの?」
「…わかんねえ…出家でもしたんじゃね?」
「えええ!!ウソー!!!」
「さあさ、そんな事より、ラムネでも飲みんさい。」
むかーし、むかしナ、ドン・スティーブンスという報道レポーターがおったそうナ。彼はナ、いつもアイドルのパンチラ写真で小銭を稼いでおったがナ、そんな自分に嫌気がさしてナ、レバノンのベイルートでの戦闘を取材をして一発勃起!いや、奮起したのじゃったとナ。
ベイルートのホテルでナ、PLOの最高指導者にインタビューの話を持ちかけられたドンは、早速取材をしたんじゃがナ、実はそいつは真っ赤なニセモノじゃったんじゃナ!
利用されたと知ったドンは、真実を暴く為戦場を駆け巡ってナ、女性医師のリンダを知るが、なんと彼女もイスラエルの元スパイだったりしてナ、「もう、誰も信じねえ!」と誓ったドンはそれでも殺人事件を暴いたり、カブトムシの交尾を眺めたり、二重スパイを暴いたりしてナ、共産ゲリラの爆撃をもスクープするのじゃったとナ。
そして一般市民の大虐殺が行われる事実を掴んでナ、人民に警告するが誰もドンを信じなかっとナ。そしたら案の定ボンボンと爆撃されてナ、人民大虐殺が非情にも行われてナ、街は死に絶えたとナ。じゃが報道人の意地でナ、ドンは悲惨な光景をカメラに収めて町内会に公表しようと決意するんじゃった!!
「なぁ、おっちゃん!ドンはその後、どうなったの?」
「…知らねぇ…村西とおるの弟子にでもなったんじゃね?」
「うそつきー!! くだらない話ばっかしないでよう!!」
「イカをただにしてよう!」
「こら!そこのガキ!! 勝手に小銭入れに手を入れんじゃねえ!!!」
「トランス 愛の晩餐」と「ウォー・ゾーン 虐殺報道」、この2作品のサウンドトラック・アルバムが、本国の西ドイツのみリリースされているのは、ほとんど知られていないのじゃよ。しかも本国ですらひっそりとリリースされた後、全く売れずに直ぐに市場から消え去り、そしてCD化もされずに忘れ去られて行く。でも彼らは、確かにそこに存在していたんじゃよ!
「トランス 愛の晩餐」の音楽を担当したのは、R役を演じた実際のロックスター、ボド・スタイガーのグループ、ラインゴールド。作曲、ヴォーカルもスタイガー自身であり、アルバム・タイトルもRと記されたこのサウンドトラック・アルバム。1982年当時のジャーマン・テクノのサウンドが、ポップでチープなのが愛しいのじゃよ。アルバムは全部で7曲。ヴォーカルの3曲の他、スコアが4曲。主演の女子が夢見る場面に流れる、ドリーミーなギター、そして人肉シーンのシンセサイザーの旋律の音。たまらなくチープなテイストに、一発屋の哀愁が漂っていて、これまた愛しいのじゃよ。人知れず、EMI ELECTROLAよりリリースされていたのじゃよ。
「ウォー・ゾーン 虐殺報道」の音楽は、ジャック・ツヴァルトとハンス・ヤンセン。ツヴァルトは、同じ西ドイツ映画の「アウト・オブ・オーダー」('84)や「ヘルシンキ・ナポリ オールナイトロング」('87)がありますナ。ヤンセンは知らねえ。映画のオリジナル・ソングを歌うのは、偽デュラン・デュランみたいなヴィエナの他、アヴェニュー、フランツ・ベントンなどがいかにも80年代のポップを聞かせてますのじゃよ。
そして9曲のスコアは、シンセサイザー、ギターをフィーチュアしての哀しい位チープなサウンドじゃぁ!! まるでお昼の東海テレビのメロドラマのようなチープさに涙・涙の連続じゃ!! 西ドイツのARIOLAからリリースされた以外、他国ではリリースされていないのじゃよ。っていうかほとんどの国では、作品自体がビデオスルーなのじゃよ!!
でもなんかこんな出来の悪い、チープな彼らが愛しくて忘れられないんじゃが…CD、多分死んでも出ねえな…
シネコンのタイム・テーブルの前でカップルが、「なに見るー? あ、あのテレビドラマの映画版じゃん!これでいいよー!」 …今では珍しくない光景じゃ。現在の映画館は確かにキレイじゃが、何かが違う。何かを忘れているんじゃよ。こんな事を思うのは、あの昭和の怪しい名画座、そう、2本立て劇場を経験しているからなんじゃよ。
そして抜群の番組のプログラム。邦画洋画の2本立てもあり、時代もバラバラ、しかし低料金だから気にならないんじゃよ。でもフィルムはボロボロ、酷い時には焼き切れることもあるし、スピーカーの音は当然のように割れちょる。暗い場内には、爆睡の老人、サボりのサラリーマン、暇な学生、オカマに競馬中継を聞いているオヤジたち。
…皆、活気があったんじゃよ。今みたいに座席でケータイをいじっている連中とは違ってのう。皆、映画を楽しみ、そして怒りにも満ちておったんじゃよ。つまらないと「金、返せ!」と叫び、表の看板をボコボコにしたりする元気一杯のお父さんがゴロゴロしてたのじゃ。ラブシーンが始まると「お前ら、何、やっとんじゃ!」とスクリーンにケリを入れた工事現場帰りのカシラがおったというのも有名な話じゃよ。
ロビーでは次の上映作品のポスター、スチールを眺められるんじゃが、時々、オカマさんにナンパされるのが悩みの一つでもあったんじゃよ。それもこれも含めて、映画館というのは格別の空間であり、人間的な温もりもそこにあったんじゃ。エロ作品になると何故か汗臭い男で溢れるのも微笑ましいもんじゃよ。冬の季節の醍醐味は、そんな劇場帰りに食べる、きつね(けつね)うどんの美味な事といったら!
…そんな2本立て劇場こそが真の映画を観せてくれたのかもしれないんじゃ。そこには忘れ去られて行く昭和の匂いが、確かにあったんじゃよ。
ちなみに、「ウォーゾーン 虐殺報道」は1987年のビデオスルー作品なのじゃが、「トランス 愛の晩餐」は、1984年のグラインド・ハウスの人気上映作品であったのじゃ!!