ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
ニーノ・ロータ カーマイン・コッポラ
…ドン・マイケル・コルレオーネ… 父ヴィトー亡き後、ファミリーを引き継いだマイケル。 冷徹な手段で5年前ニューヨークの5大ファミリーを葬り去り、現在は西部のネバダ州タホ湖に本拠地を移していた。 マイケルはラスベガスを支配しているからだ。 息子の聖餐式を兼ねた湖畔でのパーティのあった夜、マイケルの寝室にはお祝いのメッセージではなく、機関銃の弾丸が撃ち込まれた。 誰の仕業か素早く感じ取ったマイケルは、マイアミを支配するハイマン・ロスに会いに行く。 マイケルには安息の日々はない。 マイアミに向かう列車の車内で、彼は偉大な父ヴィトーに思いを馳せていた。
父ヴィトーはシシリー島で家族を地元のドン・チッチオに殺され、ニューヨークに渡った。 そしてリトル・イタリーで成長した彼は堅気の仕事についていたが、イタリア移民から搾取する悪党ファヌッチの陰謀で職を失ってから裏稼業に手を染める様になる。 しかし次第に頭角を表し、仲間が増えてイタリア移民の人々の信望を集めていくのだった。
マイケルは革命前のキューバへ渡り、アメリカのレジャー産業として利権獲得の為ハイマン・ロスと手を組んだ。 しかしそれは表向きで、実は老獪なロスがマイケルの持つ金や全ての利権を奪おうとしているのを見抜いていた。 そしてファミリー内にロス側に情報を流している裏切り者が居る事も。 だが、その裏切り者が実の兄フレドーだった事を知ったマイケルはさすがにショックを隠せなかった。
さらに革命後のキューバを辛くも脱出したマイケルに、彼の心を引き裂く哀しい事実がトム・ヘイゲンから告げられる。 妻のケイが3人目の子供を流産してしまったのだ。 打ちのめされたマイケルは、父を思う。 父の家族は愛情豊かで強い家族だったのに…
ヴィトーはリトル・イタリーで開催されたパレードの喧騒に乗じて、遂に街を牛耳っていたファヌッチを葬り去った。 その時から、彼は街の人々から信頼されていく。 面倒見のよいヴィトーはどんなに弱い人の願い事も叶えてやるのだった。 そして堅気の仕事としてクレメンザ、テシオら仲間と共に「ジェンコ・オリーブオイル商会」を設立。 順風満帆の人生を歩むヴィトーは4人の子供にも恵まれ、ついに家族と共に生まれ故郷シシリーの地を踏む。 表向きはオリーヴ・オイルの輸入の商談だったが、真意は家族の仇ドン・チッチォに復讐することにあったのだ。 老いた屍のようなドンの胸に見事に怨念のナイフを突き刺したヴィトーにはもう恐れるものはない。 そしてヴィトーは息子達の中でも特に三男のマイケルだけを溺愛するのだった。
タホ湖に戻ったマイケルには苦悩の日々の連続だった。 マイアミのロスの暗殺に失敗した上、犯罪調査委員会に呼び出され偽証罪に問われたのだ。 揺ぎ無い証拠を握っている証人は、マイケルに怨みを持つかつてのファミリーの古き仲間のペンタンジェリだ。 これには弁護士のトムもさじを投げた。 しかしマイケルは、負けを許さない男。 奥の手でペンタンジェリの証言を覆す事に見事に成功するのだった。
そんな時、母が死んだ。 葬式には許しを求めて兄フレドーがやってきた。 そしてかつてはマイケルを憎んでいた妹コニーの姿も。 コニーはフレドーの姿を見かねてマイケルに初めて頼む。 「フレドーを許してあげて」と。 コニーは孤独なマイケルの為に側に居ようと心に決めた。
ある日、フレドーはマイケルの息子と仲良く魚釣りに出かけた。 フレドーはこの時、一度だけの裏切りは許されたと思っていた。 静かな湖の囁きが美しく聞こえ始めた時、ハイマン・ロスが暗殺される。 ペンタンジェリも自決。 そしてフレドーも葬り去られた。
「ニーノ・ロータの曲を削るなら私は降りる!名前をクレジットから外しても構わない!」と前作の最終段階でコッポラは吠えた。 PART IIの時はもうコッポラは吠える必要は無かった。 パラマウントの最高責任者から「断りきれない申し出」があったからだ。
そもそもコッポラ自身はPART IIに関しては断り続けており、とにかく「ロバート・エヴァンズみたいな何かにつけてダメ出しを言う連中との仕事は懲り懲りだ!」というのがその理由だった。 また、「ヒットしたから即続編なんてただの金儲けだ!」というコッポラの作家主義的な思いもその理由だった。 しかしパラマウントの最高責任者のチャーリー・ブルードーンに「キミじゃないとダメなんだ!好きなようにしてくれ!金は幾らでも出す!コカ・コーラの製造法を知ってるのなら作るべきなんだ!」と一喝されてコッポラはRT IIの製作に合意した。 勿論、製作・脚本・キャスト・スタッフは全てコッポラの一存で決まり。 そしてとてつもない報酬も魅力だった。
音楽のニーノ・ロータの続投はあっという間に決まった。 前作でロータは若きコッポラを大変気に入り尊敬して「私の親友」と呼ぶようになっていた。 そして数多くのオファーも全て断り、前作後に手がけたのは僅かにフェリーニの作品の2本と女性監督作品と日本映画を担当した程度で仕事をセーブしていた。 まるでコッポラからの依頼を待つかのように。 PART IIの依頼を受けた時、ロータとコッポラに余計な会話は必要なかった。 彼らはヴィトーとマイケルのようにお互いの思いは通じていたのだ。
ロータは前作の主な曲のモチーフを再利用しながらも新たに感動的な心に染み入る新たなスコアを書き上げてコッポラを感動させた。 前作ではロータの希望で指揮はカルロ・サヴィーナだったが、PART IIではコッポラが最高権力者。 指揮は父のカーマインに担当させて追加音楽もカーマインにまかせた。 前作では、結婚式の曲等、裏方の音楽を担当した父カーマインだったが、PART IIでは全体の指揮と追加音楽等、ようやく表舞台に格上げとなった。 父思いのコッポラは誰よりもカーマインの成功を望んでいたのだ。
前作は世界中の映画音楽界の旋風を巻き起こし、売れに売れた。 このPART IIは多大なる期待を持ってリリースされたのは言うまでもない。 改めてアルバムを通して聴こえて来るのは、イタリア移民の歴史と悲しみ。 夢を抱いてアメリカに渡り、虐げられながらも死に物狂いで働き、生きていく移民たち。 その同胞への愛、そして蝕む欲望と悪。 故郷への郷愁の歌等をこのコルレオーネ・ファミリーの一代記をバックに語り、聴かせてしまうこの偉大なサウンドトラック・アルバム。 前作以上に悲痛なメロディが心を打つ。
前作同様、トム・マックのプロデュースで、15曲収録でリリースされたこのアルバムは、パラマウント・レーベルが1974年に活動停止した為、abcレーベルがドン・コルレオーネの命を受けてリリース。 世界中abcレーベルだったが、日本のみマイケルが裏の手を回して偽証罪を逃れたようにビクター・レーベルがリリース。 恐らく前作の発売元のビクター、金のなる木は逃すものか!で強奪したのではなかろうか。 世界で唯一、犬のニッパー君のレーベルは日本のみだ。 abcは後に日本コロムビアが獲得する訳だが、この時、権利問題で関係者が、数人消え去ったらしい(詳細を知っているのはマイケルのみだ)。 シングル・カットもされ、1974年末から75年の上半期の話題を独占したのは当然だった。
PART IIは前作と比較して華やかなセールスとはならなかったが、それでも1980年代にはMCAレーベルより日本のみリイシューされるなどしており、またCD時代に入るとMCAより待望のCD化となったりして、作品同様時間の経過と共にその評価は上がる一方であるのは揺ぎ無い事実である。
前作では世界中でカヴァー・ヴァージョンが登場して映画音楽の黄金時代をニューヨーク5大ファミリーのボス皆殺し!と共に飾った。 PART IIでは数は減ったが、それでも格好のカヴァー・ヴァージョンがリリースされている。
前作でヒットを飛ばしたポール・モーリア、アンディ・ウィリアムスは勿論、イージー・リスニングのアーティストが結構、取り上げていた。 前作と違うのがシングル・カットが極めて少なくアルバム収録の方が多かったので前作程のビッグ・ヒット感はなかったかも知れない。 それでも101ストリングス、怪しいスタンリー・マックスフィールド・オーケストラのシングル・カットはショップを派手に演出したし、イタリアではTHE LOVELETSのシングルもヒットしている。
しかしなんといってもニーノ・ロータ自身のセルフ・カヴァーが、最大の話題だった。 東宝・TAMよりリリースされた「ニーノ・ロータ・プレイズ・ニーノ・ロータ」にカルロ・サヴィーナ指揮で収録されており、本来サウンドトラックで指揮してもおかしくないサヴィーナ指揮で聴けるこのカヴァーが、マイケル・コルレオーネのタホ湖でのラスト・シーンにもっとも相応しい。
ドン・マイケル・コルレオーネ。 父以上のファミリーを築き上げて父以上に冷酷な男。 また、父よりも孤独な男。
原作のマリオ・プーゾ曰く、ヴィトーのモデルは自分の母親らしい。 そのせいかヴィトーには人を包み込む愛情に溢れており、また人を許す寛大な心も持っていた。 前作で息子ソニーが殺されたと知っても悲しみに暮れるが、「犯人は捜すな。復讐はイカンぞ」と冷静な判断を下す。 ヴィトーには復讐してもさらなる犠牲が伴う事が直ぐに計算出来たのだ。
しかしマイケルは決定的に違う。 一度の裏切りでソニーの一件で妹を後家にしてまでも復讐を果たし、目障りな5大ファミリーのボスも一挙に排除した。 どんなに妹に罵倒されて憎まれても復讐は別問題だ。 PART IIでも一度だけの裏切りを死ぬ程に後悔した兄フレドーを許さなかったし、シシリーで裏切ったファブリッツィオをまるで蛇の執念のようにとことん追い詰めてフレドー共々あの世行きにしている(劇場公開版ではカットされた)。 兄のソニーにもそんな冷酷な一面はない筈だ。 流石に肉親を消し去る事なんかしないだろうし、ヴィトーであっても血を分けた肉親までは手を下さなかったはずだ。 しかしマイケルは違う。 その冷酷な顔の表情を変えずに非情な判断を下す。
妻も去り、腹心のトムも信用出来ない時、彼を許し理解するのはあれほどに憎まれて来ていた妹だったとは、マイケルは夢にも思わなかった。 そしてどんどん孤独に陥っていく。 まるで自ら地獄の道を進んで歩くかのように。