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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Klute: コールガール
主演   アル・パチーノ
監督 ウィリアム・フリードキン
音楽 ジャック・ニッチェ
Klute

 血も凍るヴァイオレント・シティ、1979年のニューヨーク

 ハドソン河から切断された男の片腕が発見された。
 タイムズ・スクエアの安ホテルからは、メッタ刺しの全裸男の他殺体が発見される。
 これらの猟奇殺人はいずれもゲイが一夜限りの相手から殺されていることから、連続ゲイ殺人事件として警察が必死に捜査していたが、犯人は野放しになっていた。
 捜査を指揮するエーデルソン部長は被害者の特徴が共通していることに目を付けた。
 ―20代後半、ダーク・ヘアにダーク・アイズ―
 そこで被害者の特徴に似ている新米の制服警官スティーヴに潜入捜査を命じた。
 事件の解決の暁には異例の昇進を約束して。

 

 

 スティーヴはバッジも拳銃も持たずに名前もジョン・フォーブスと変えてゲイたちの住むアパートに越した。
 もちろん恋人にも任務については一言も明かしてはならない。
 毎晩、ゲイの集まる地下クラブに行き自ら囮となるスティーヴ。

 しかし連続殺人は止まらない。
 ノーマルなスティーヴには異様に映るゲイ・クラブの空気に圧倒されながらも情報収集に没頭する。
 捜査の合間をぬって水中から浮かび上がって呼吸するかのように恋人の部屋に通うスティーヴだが、彼の精神にも変化が起きかけていた。

 
 

 そしてまたもや殺人が起きる。
 今度は犯人が僅かながらも指紋を残していた。
 そこで凶器のナイフは、ステーキ・ハウスのものと一致。
 ここで働くゲイ・クラブに出入りしている男を逮捕するも指紋は一致せず。
 犯人は闇夜に消え去った。

 

 スティーヴは異様な夜の捜査に音を上げて降りたいと部長に申し出るも「お前が頼みの綱なんだ。」と慰留されてしまう。
 そんな時、被害者の一人、コロンビア大学の教授の講義を受けていたスチュワートという大学生が捜査線上に浮かんだ。
 スティーヴは彼を監視してゲイの振りをして挑発した。
 そしてある真夜中、公園に誘い込むスティーヴに向かってナイフを振りかざすスチュワートを逆に刺したのはスティーヴだった。

 
 

 重症を負って捕まったスチュワートの指紋は、凶器と一致した。
 しかし「....僕は誰も殺していない....」とスチュワート。
 事件は解決し、昇進したスティーヴだが、ある真夜中、またもや殺人事件が起きる。
 被害者がメッタ刺しのゲイ。
 凍りつくエーデルソン部長に現場の警官が
 「あの、隣の部屋に住んで居るジョン・フォーブスっていう男が行方不明です。」
 「なんだと…?」
 エーデルソンの血の気が失せていく。

 

 

 今夜もゲイ・地下クラブに足を運ぶ謎の男の後姿。
 任務を終えたはずのスティーブは何故か潜入捜査の際のゲイ・ファッションを止めていない。
 新たな被害者は、スティーブに協力的だったゲイの隣人だった。
 殺したのは一体、誰だ?
 スチュワートではないのは確かだ。
 未だ本当の犯人はどこかで笑っているのか?

 今日もハドソン河に夕陽が沈んでいく―

「映画音楽とは首の後ろに冷たい手がそっと触れるような効果を与えるもの。
 サウンドトラックとは、観る人に感じて欲しい音。
 だから『クルージング』はニューウェーヴのロックなんだ。」

 
− ウィリアム・フリードキン

 

 フリードキンは撮影に入る前、L.A.やニューヨークの名もない小さなクラブでタフでタイトなニューウェーヴのロックを聴き『クルージング』の音楽スタイルを決めたという。
 そしてフリードキンの友人でもあり音楽プロデューサー、作曲家のジャック・ニッチェに音楽を依頼した。
 勿論、ニッチェは『エクソシスト』('73)でフリードキンを助けたこともあり、快諾。
 ニッチェは早速、アンダーグラウンドで活躍するハード・ロック系のミュージシャンを集めて映画のイメージ通りに曲を書かせてレコーディングを行い、ニッチェ自身がプロデュースしたナンバーの中から最終的に10曲がサウンドトラックとして使用された。
 全てザラザラしたタイトなハード・ロック。
 これらの曲が、劇中フリードキンの意図した演出で見事な効果を上げている。

 

 ミュージシャンはレコーディングされた1979年でも未だ誰しも知った者は居ないが、ニッチェ自身のプロデュースでアルバムを出していたミンク・デヴィルのウィリー・デヴィルがソロで3曲を担当。
 その他はラフ・トレードが比較的、名が知られている位の他、ジョン・ハイアットミュティ二ティザ・クリップルズジャームズ等、よほどのロック・マニアでない限り、初めて聞く名ばかりだった。

 ニッチェはハード・ロック・ナンバーの合間を縫うように映画の冒頭からシンセサイザーをメインにしたまるでホラー映画のような現代音楽的なオリジナル・スコアを聴かせてもいる。
 特にゲイの地下クラブやパチーノの捜査の合間に流れるギターのやるせない響きアフロ・ビートの民族音楽のようなスコアが、異様な1979年のニューヨークに冷たくマッチしていた。
 このニッチェのスコアは嫌でも彼が担当したポール・シュレイダーの『ハードコアの夜』('79)を思い出す!

 
 

 ニッチェは意外にも映画音楽の歴史は古く『Village of the Giants』('65)を筆頭にニコラス・ローグの『パフォーマンス』('70)などを手がけている。
 ミロシュ・フォアマンの『カッコーの巣の上で』('75)で名前を上げてからは『マイ・ライバル』('82)、『愛と青春の旅立ち』('82)、ジョン・カーペンターの『スターマン 愛・宇宙遥かに』('84)が代表か。

 
 そしてデニス・ホッパーの『ホット・スポット』('91)の他、ショーン・ペンの『インディアン・ランナー』('92)、『クロッシング・ガード』('95)といった傑作を残して2000年、ジャック・ニッチェは永遠の眠りについた。

 『クルージング』はニッチェのロック・ミュージック・プロデューサーの力を多いに発揮した作品であった。

「1980年を思いだす。
 80年代は最高にヘブンリーな時代だった。
 この時代をリアル・タイムで生きた者は一生、忘れないだろう。」

 
− ローレン・ルーカス
 

 1970年代が終わり1980年代に突入した途端に武闘派・切り込み隊長としてリリースされた『クルージング』のサウンドトラック・アルバム。
 ジャック・ニッチェ自身がプロデュースした10曲入りのアルバムは、たちまちニューヨークで話題となった。
 そのアルバムはサウンドトラックでありながらその枠を超えてハード・ロック・マニアの脳髄を刺激した。
 アルバムは映画に流れる順とは大幅に異なるが、トップはウィリー・デヴィルの『Heat of the Moment』で幕を開ける。
 この曲はアル・パチーノがゲイ・クラブで興奮剤を染みこませたハンカチを吸い、我を忘れて踊り狂う曲。
 この曲で聴く者をハイテンションに押し上げてラストはウィリー・デヴィルのエンド・クレジットの『It's So Easy』で幕を閉じる。

 

 アルバム構成はニッチェの巧みな選曲によりとても完成度は高い。
 そしてニッチェはアルバムでは自身のオリジナル・スコアを収録するのは無意味として一切収録していないが、これもニッチェの意図したこと。
 さすがは名音楽プロデューサーのニッチェである。

 

 アルバムは映画の製作会社でもあり、レーベルも持つLORIMARよりリリース。
 販売はCBS・COLUMBIAを通じて全米に供給されており、その後カナダ、イギリス、オランダ、イタリアなど映画公開された国で続々とリリース。
 そして日本ではCBS SONYがリリース。

 

 あまり知られてはいないが、イギリスを始めヨーロッパではウィリー・デヴィルの曲をシングル・カットされた。
 続いてラフ・トレードの曲もシングルでリリース。
 また、ウィリー・デヴィルのみの3曲を収録した12インチ・シングルまでもがリリースされている。
 日本ではシングル・カットが無かったのが残念だが、それでも当時、FMラジオではよく流れていたものだ。
 アルバムの売れ行きはそんなに悪くはなかったし数年後にカット・アウト盤として安値で売られていたこともなかったこのアルバム。
 80年代のカルト盤としてカウントされているが、しかし簡単に時間と共に忘れさられてしまっていたのも確かだ。
 実際、CD化もされないまま、ニッチェもこの世を去った。

 
 

 だが2007年、このアルバムを愛するクェンティン・タランティーノが自身の『デス・プルーフ』のサウンドトラックとしてウィリー・デヴィルの『It's So Easy』を起用し奇跡の復活を遂げてCDに収録された(おまけにニッチェの『Village of the Giants』も収録!)。

 今、改めてアルバムを聴くと(当時もだが)体中のアドレナリンが刺激されてハイテンションになれる。
 そう、80年代的に表現すると「24時間、闘える!」のだ。
 そしてフリードキンは当時「私の友人のニッチェがプロデュースしたこのアルバムは最高の出来だ!素晴らしい!私も大変気に入っている!」と語りニッチェを絶賛していた。
 今、あの世でニッチェもフリードキンの言葉を思い浮かべていることだろう。

 『クルージング』は残酷で理解出来ない、ホモセクシャル嫌いの狂気じみたクズ映画だ。

 
− レックス・リード
 
今こそ『クルージング』をクルーズしていこう。
 

1) ニューヨーク・タイムスの編集者、ジェラルド・ウォーカーの原作に惚れこみ映画化を最初に試みたのはブライアン・デ・パルマ。
 しかし果たせず。
 諦めきれないデ・パルマはゲイの殺人者というキャラクターをその後、自身の『殺しのドレス』で登場させた。

2) フリードキンは当初、主役には無名の新人を考えていたが、パチーノが「脚本を読ませて欲しい」と要求、そして役を希望した。
 なぜならパチーノはフリードキンと仕事をしたかったからだ。
 フリードキンとパチーノは1977年に『7月4日に生まれて』で組む筈だったが頓挫したのだ。

3) 1979年の夏、『クルージング』は撮影に入ったがニューヨークのゲイ達の激しい抗議にあい妨害を受けた。
 ゲイの殺人なぞ我々を冒涜しているし差別している!とは彼らの言い分。
 この調子だと公開時も妨害されると踏んだフリードキンと製作陣は映画の冒頭に「この映画はゲイを糾弾するものではない。描かれているのはごく少数のゲイの世界である」との一文を添えたが、公開されると案の定、デモ抗議が起きた。
 現在のUSA版DVDではこの一文は消されている(代わりに左から右にゆっくり流れるCRUSINGのタイトル文字に変更されている)。
 今ではオリジナル版を観れるのはVHSとLDのみである。

 

4) 1980年2月全米で公開され、最初チャートの上位を記録するも作品の評価は決していいものではなかった。
 ゲイ達は怒り憤慨した。
 彼らはこの映画を有害なものとけなし、前年の『Mr.レディ、Mr.マダム』の方を支持した。

 

5) 確かにフリードキンの視点はゲイの世界をパチーノの主人公を通してノーマルな視点から見下ろして描いており、彼らをまるで悪魔に取り付かれたリーガンのように描いている。
 しかも殺人者の声が『エクソシスト』の悪魔の声とそっくり!

6) ラスト、観客の神経を逆なでして締めくくるのは『フレンチ・コネクション』『恐怖の報酬』と同じ。
 さすがはフリードキン。
 原作とは異なり全く自身の世界に置き換えている。
 事件は解決していないのだ。

7) 意外にも見落としがちなのは、安ホテルの殺人者の顔は、スチュワートではない!
 安ホテルの殺人者らしき男は、その後公園で殺される。
 しかしその後の殺人者はスチュワートであり、殺人者の声は全て同じだ。
 そして最後の殺人は誰か?
 本当に犯人はスチュワート?
 実は病気感染のように犯人は何人も居るのか?ウーン…
 (原作では最後の殺人は異常者に同化したスティーヴ)

 

8) アメリカではユナイト配給で公開されたが、当時日本のユナイトには配給権がなかった。
 そこで東宝東和、日本ヘラルド、松竹富士などは完全に『クルージング』を無視。
 日本では未公開かと思われた矢先、最終的に東映が公開することなった。

 

9) アラン・ドロンの『ル・ジタン』『ブーメランのように』、ブルース・リーの『ドラゴンへの道』、または『課外授業』など独自のカラーで洋画を配給する東映だが、『クルージング』に目を付けたのは若い社員だったという。

10) 東映は1981年初頭の正月映画・第2弾として3種のポスターを製作し、その上大量のTVスポットを投入して大宣伝を行った。
 そしてミュージシャン、ファッション・モデルらを招いて試写を開催。
 彼らの感想を「ニューヨークのカルチャー・ショック」で統一させて若者向けの雑誌に掲載して公開するも観客には受けなかった。

 

11) 日本では2週間程度で打ち切る劇場もあったが、それでも初夏にはティント・ブラスの『サロン・キティ』の併映として再公開。
 最後の底意地を見せた東映であった。

 

12) 日本公開前、フリードキンは来日。
 好きな日本映画は新藤兼人の『鬼婆』と答え、深作欣二とも対談を行った。
 また、映研の大学生らとも深夜のティーチ・インを行う。
 そしてラスト・シーンの解釈について「観た人が自分自身に問いかけて答えを出して欲しい。どう解釈されても構わない。」と返答。
 また、別の場所では「ラストのパチーノの表情は、自分自身の心を見ているんだ」と真の意味をはぐらかして答えている。
 (今現在、真の意味を本人から聞きたいものである)

13) 30年目の殺人者―
 スチュワートはファザコンのゲイであり、既に死亡している父の幻影の中で生きて来た。
 死んだ父へ宛てた手紙の数々は投函もせず保管していた。
 スチュワートはゲイである自分を父は憎んでいたと思い、父に成り代わってゲイ達の連続殺人犯へとなってしまった。
 だから殺人を犯す時の声は父そのもの(まるで『サイコ』のように)であり、父の人格で殺人を犯すのだ。

 

 ベトナム戦争以後の社会的混乱の中で、にわかにクローズアップされてきた存在、ハード・ゲイ。
 今の私は、彼らのありように、人間という動物の不思議な情緒的側面を見る。

 
― 深作欣二
 
 (完成した『クルージング』を観て)
「これから俺は何処へ行くんだ?
 俺は何をするんだ?
 俺はドン底にいる。
 だがドン底もそう悪くはない(笑)」
 
 ― アル・パチーノ