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ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです... |
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監督 |
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ウィリアム・フリードキン |
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製作・原作 |
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ウィリアム・ピーター・ブラッティ |
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出演 |
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エレン・バーンスタイン
マックス・フォン・シドー |
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− イラクの遺跡 −
地の果てイラクの遺跡で発掘された不気味な像は、その昔アラブ人たちが信じていた悪魔パズズだった。
パズズは、この地方に吹き荒れる南西の熱風を擬人化したもので、マラリアや大きな災害を砂漠から運んでくるといわれている。
この恐ろしい悪魔を封じ込めるために、人々はパズズの像を作って、それにたくさんの釘を打ち付けていた。
こうしておけば、悪魔は暴れまわることができなかったのだ。 |
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考古学者のメリン神父は、遺跡からパズズの像を発見する。
神父は像を見て、封じ込められた悪魔が目を覚ました事を知る。
そして、いずれ自分が悪魔と対峙するであろう事も―。 |
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− アメリカ・ジョージタウン −
ワシントン郊外のジョージタウン。
有名女優であるクリスの一人娘で12歳のリーガンに突如、異変が起こる。
おとなしかった性格が豹変したばかりか、人前で放尿し、汚い言葉を喚き散らすようになってしまった。
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可憐な娘の突然の変貌に驚いた母はリーガンを医者に診せるものの、思春期特有の心の病と診断されるのみだった。
しかしリーガンの重たいベッドが、手も触れていないのに激しく揺れだすといった超常現象や、彼女の顔が醜く歪み、別人の言葉も話し始めるようになる。
現代の最高医学をもってしてもその原因は分からず、遂には医者も見放してしまう。
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愛する娘はこのままでは死んでしまう。
まるで―まるで娘は悪魔にでも取り憑かれたようになってしまった―。
クリスは最後の希望として精神科医でもあるイエズス会のカラス神父に泣きながら助けを求めた。 |
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カラス神父は当初、「この現代に悪魔憑きなんて」とまるで信じていなかった。
しかし何度かリーガンを診るにつれ、ただの迷信と思っていたものが現実に起きていると信じざるを得なくなってゆく。
遂にイエズス会は、悪魔祓いの経験を持つメリン神父をリーガンのもとへ派遣。
カラス神父を助手にリーガンの悪魔祓いを行う事を決める。
ここに邪悪な悪魔と、神の僕二人の壮絶な戦いが始まったのだ。 |
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そして―――。 |
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「おい!ヤツを放り出せ!」
と録音スタジオでウィリアム・フリードキンは怒り狂った。
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『エクソシスト』の音楽は当初、ワーナー・ブラザースの意向で『暴力脱獄』('67)、『女狐』('67)、『ブリット』('68)、『THX−1138』『ダーティハリー』('71)などワーナー作品を数多く担当しているラロ・シフリンだった。
しかし録音されたシフリンのスコアを聴いたフリードキンは激怒した。
「何だこの安っぽい音楽は!シフリンをクビにしろ!」
ワーナーは『フレンチ・コネクション』('71)で作品賞・監督賞の2つのオスカーを獲得したこの若き天才の意向を丸呑みした。
こうしてシフリンのスコアは全て破棄されてしまう。
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「いいか、音楽とは首の後ろに冷たい手がそっと触れるような、そういう効果を与えるものなんだ。スコアは、観る者に感じて欲しい音なんだ!」
そしてフリードキンは、まるでスタンリー・キューブリックのように自ら既製の音楽、現代音楽などをセレクトして『感じる音』で構成された最高のサウンドトラックを完成させた。
それはポーランドの現代音楽家クシュトフ・ペンデレッキ、アントン・ヴェーベルンやハリー・ビー、ジョージ・クラム、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェなどのまるで効果音のような現代音楽の数々が、フリードキン言う所の『首の後ろの冷たい手』のような効果を見事に演出している。
また、冒頭のイラクのシークエンスにはフリードキンの友人で後に『クルージング』('80)でも組むジャック・ニッチェが短い曲を書いた。
そして当時、20歳のマイク・オールドフィールドのデビュー・アルバム『チューブラー・ベルズ』から「パート1」の冒頭の部分を劇中3回流し、さらにエンド・クレジットの中盤から最後にかけて使用したところ、この印象的な曲が大変話題となった。 |
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『エクソシスト』のテーマ曲となった『チューブラー・ベルズ』は、今ではプログレッシヴ・ロックのクラシックだが、当時は発足したてのイギリスの小さなレーベル、ヴァージンで1973年5月にリリースされたばかりの作品だった。
しかしリリース後、約2か月でチャートのトップにランク・インするという快挙を成し遂げる。
ついでオーストラリア、イタリアでもヒットして、73年9月にアメリカでリリースされた。
この時、『チューブラー・ベルズ』はフリードキンの耳に届き、『エクソシスト』での起用に繋がったという。 |
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しかし実はマイク・オールドフィールドに無断で使用した為、映画公開後に大問題となり訴訟にまで発展する。
そもそも許可したのはヴァージンの社長、リチャード・ブランソンなのだが(彼はハリウッドのメジャー大作に使用されれば大宣伝になると考えた)、オールドフィールドの怒りは収まらなかった。
「俺はあの曲を、大自然をテーマに、愛と平和を訴えるために作ったのに、悪魔映画で台無しになった!あの曲は悪魔の為に作ったんじゃない!」
怒れる若者は、天に吠えた。
何年もかかって一人、コツコツと多重録音を行った作品だった。
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しかし皮肉にも『エクソシスト』のお陰で『チューブラー・ベルズ』のアルバムはその後全米でも大ヒットする。
結果、世界中で『エクソシストのテーマ』として認知されてしまった。
オールドフィールドはその後も『オーケストラ・ヴァージョン』('75)、『チューブラー・ベルズU』('92)、『チューブラー・ベルズV』('03)を発表するなど、ライフワークとなっている。 |
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ラロ・シフリンのスコアがボツになったのは意外にもリアルタイムから知られているが、いかんせん彼のスコアは『ローズマリーの赤ちゃん』('68)のような曲でオーソドックスすぎた。
フリードキンが狙ったドキュメンタリー・タッチの『硬派な実録路線』の映像にはマッチしなかったのだ。
『チューブラー・ベルズ』はオールドフィールドの意向には反しているものの、この映画にはとてもマッチしている。
どこか寂しげで、哀愁があって、宗教的でエスニック。
そして人間の哀しみが聴こえてくる。
まさに『エクソシスト』にはこんな曲が相応しい。 |
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「いいか、『エクソシスト』のサウンドトラック・アルバムはリリースできない!訴訟問題等で不可能だ!」
と叫んだのは悪魔パズズではないが、1973年12月の公開の時点では、ワーナーはサウンドトラックのリリースは予定していなかった。
製作・原作者のピーター・ブラッティも監督フリードキンも、よもや『エクソシスト』の音楽が商売になるなどとは考えてもいなかったのだ。
しかし公開後、映画が驚異的な大ヒットとなり、1974年度のオスカーに作品賞・監督賞、ほか数部門でノミネートされ、さらに世界で記録破りの大ヒットを続けるとワーナーの考えも変わった。
「よし!機は熟した!アルバムをリリースしよう!」とワーナーは決定した。
それは『音楽のみ』と『悪魔の声(セリフ)入り盤』の2種類のリリースだ。
ワーナーも自社レーベルを持っているので、これは商売になると考えたのだろう。 |
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しかし音楽のみのアルバムがリリースされた時点で、例のマイク・オールドフィールド問題で訴訟が起きた。
そして悪魔の声を吹き替えた女優のマーセデス・マッケンブリッジもクレジットの問題で訴訟を起こした。
こうして音楽のみのアルバムは、アメリカ以外の全世界で発売ストップとなってしまう。
セリフ盤はテスト・プレスまでされたものの最終的にリリース中止となった。 |
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1974年7月。
『エクソシスト』は日本でもいよいよ公開され大ヒットを記録していくのだが、訴訟の件があったため「サウンドトラックのリリースはない」と本国アメリカより通達されてしまう。
しかしワーナーは知恵を絞り、「問題になっている『チューブラー・ベルズ』をカヴァーヴァージョンにすればよい!」と考えた。
結果、アメリカ以外でのリリース時に収録された『チューブラー・ベルズ』はマイク・オールドフィールドの演奏ではなく、『ミスティック・サウンド』という謎の集団のカヴァーヴァージョンと差し替えられるという珍現象が起きた(しかも録音は東京で行われている!)。
というわけで7月に日本のワーナーからシングル盤が『オリジナル・サウンドトラック・スコア』のクレジットでリリースされ大ヒットする。
実際にはこの7月には既に日本にもアルバムのマスター・テープが届いていたのだが、訴訟のゴタゴタで発売許可がおりなかったのだ。
もう発売は絶望的か?の声も聞こえてくる中、ようやくアルバムがリリースされたのは、映画も驚異的なロングランが決定した、もう秋の訪れがそこまでやって来た頃だった。 |
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しかしながらこのサウンドトラックは、とにかく日本では売れに売れまくった話題盤だった。
レコード・リリースの流れを見ると、アメリカのリチャード・ヘイマンがいち早くカヴァー・ヴァージョンをレコーディングし、
本家発売に先駆けてシングル盤がMUSICORからリリースされ前哨戦を飾った。
続いてワーナー盤のシングルと同時にレイ・デイヴィス盤がフィリップスからリリースされ、その後はさながら雨後のタケノコ状態に数々のカヴァー・レコーディングが行われ、オムニバス盤市場を飾った。
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日本独自のモーリス・ローラン、マッシモ・レオーネ辺りのカヴァーがまず及第点だが、後は大概チープなクオリティだった。
しかし大御所パーシー・フェイスまでもが『チューブラー・ベルズ』のカヴァーを録音するに至り、いかにこの曲が世界的なポピュラー・ミュージックになりつつあるのかを実感したのもこの時期だ。
さらに9月にはサウンドトラック・アルバムの発売に合わせるかののように当時のヴァージンと契約していた日本コロムビアから『オリジナルのマイク・オールドフィールドの演奏』と銘打ち、ジャケットも『エクソシスト』の「本命・サウンドトラック」と変更してシングルをリリースした。
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発売までの困難な経緯を吹き飛ばすかのように『エクソシスト』のシングル、アルバムはともに驚異的に売れた。
本国アメリカではいち早く廃盤になった後も世界で日本のみ売れ続け、何と1980年代の後半まで(つまりアナログLPが店頭から消えるまで)ショップに居座り続たのである!
1974年はジェリー・ゴールドスミスの『パピヨン』、マーヴィン・ハムリッシュの『追憶』、そして皮肉にもラロ・シフリンの『燃えよドラゴン』に肩を並べて『エクソシスト』は好セールスを記録したのだ。
1996年にはヨーロッパ、日本でオリジナル・ヴァージョンでのCDがリリース。
そしてこの時期、幻となったシフリンのリジェクト盤もアメリカでリリースされたコレクターズボックス版VHSおよびDVDの付録CDとして世に出た。
今改めてこれを聴くと、聴く前と後では気分が全く異なる『体験的』なアルバムである事を再認識できる。 |
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だが、これらを聴いてから改めてミスティック・サウンドなる謎の集団の演奏したバージョンを聴くと、こちらもまた素晴らしい事が再確認出来るのだ。
特にシングルのBサイドの『イラクの遺跡』の演奏がいい。
シンセサイザーの重低音に驚かされるこの曲、オリジナルではほんの短い曲を約2分半のロングヴァージョンで演奏している(このヴァージョンはアルバム未収録)。
シフリンのスコアの謎が明かされた今、ゆくゆくはミスティック・サウンドの謎を解き明かしたい―。 |
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「我々はホラー映画を製作したのではない」
ウィリアム・フリードキンは当時、こう語った。
そしてこう付け加えた。
「この文明社会の現代に悪が存在するのなら、それに立ち向かう善も存在するという事を描いたのだ」 |
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観る人によれば『エクソシスト』はただの気味の悪いホラー映画にすぎないと思うだろう。
しかし実際は違う。
これはホラー映画の体裁を借りながらも『徹底したドキュメンタリー・ドラマのタッチの人間ドラマ』であり、『母の愛の物語』である。
そしてそれを天才フリードキンは『人間の哀しみと運命を悪と善の戦いに託したドラマティックなストーリー』に仕上げている。
また、『この世に悪魔など存在するのか?』という根本的な問いかけもされている。
すなわち『この世に人間が存在した時から悪魔も存在する』―これこそがこの作品のメイン・テーマでもある。 |
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そう、悪魔は目には見えない。
それは人の心に存在する。
人間にとって神とは、生きようと努力する強い心に存在し、悪魔とは弱い心、生きる気力を失った心に姿を現す。
人間を破滅させようと虎視眈々と狙っている。
人を恨んだり、妬みや嫉みがどす黒い増悪の塊となり、犯罪に走ったりする者の心から神は姿を消して悪魔の化身と化す。
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誰の心にも悪魔が潜んでおり、いつ姿を現すか分からない。
しかし心がけ次第で神を味方にも出来る。
リーガンの『母親への不信感・父親が離婚で不在・友達もいない』という弱った心に悪魔が宿ったのだ。
カラス神父もまた、『母親を死なせた』という自責の念と、それによって『信仰心が無くなった』という弱った心に悪魔が誘惑してくるのである。
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そんな『人間の善と悪は紙一重・清濁併せ呑む』というテーマを描くのが、ウィリアム・フリードキンの一貫したカラーだ。
『フレンチ・コネクション』では大量のヘロインを押収したものの主犯格はまんまと逃げてしまう。
『エクソシスト』では少女を救えたが、神父2人が死ぬ。
『恐怖の報酬』('77)は命がけで生き残った男は大金を手にするが、昔の自分の影に消されそうになる。
『クルージング』('80)は猟奇殺人犯を逮捕しても、また同様の殺人が始まってしまう。
『L.A.大捜査線 狼たちの街』('85)では凶悪犯を追う捜査官が悪に染まり自滅する。
『ランページ 裁かれた狂気』('87)では猟奇殺人犯を死刑に追い込んだ検事は正義に酔うが、実は犯人は脳に障害があったと知る苦いラスト…
このような人間の弱さ、そして生き抜く強い精神力・善悪の彼岸を描き続けている。 |
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善もあれば悪もある。
甘い事もあれば苦い事もある。
犠牲を伴いながらも生き抜く。
− ウィリアム・フリードキン |
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