ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
ニーノ・ロータ カーマイン・コッポラ
…ドン・コルレオーネ… 彼はどんなに相手が貧しく微力であっても、助けを求めてくれば親身になって困難なトラブルでも解決してやっていた。 彼への報酬といえば、ささやかな友情の証と『ドン』―またはもっと愛情のこもった『ゴッドファーザー』―という尊称だけである。 そしていつでも彼の呼び出しに応じ、恩を返せばよかった。 これが彼らの生きる世界であり、その掟だった。 明るい陽光の降り注ぐ世界の裏側で生きる裏社会のファミリーを率いるドンが、ヴィトー・コルレオーネその人だった。
そんな折、ソロッツォという男が麻薬ビジネスをコルレオーネ・ファミリーに持ちかけてきた。 なんでも政界や警察に顔のきくヴィトーの協力が欲しいという。 しかしヴィトーはこの申し出をきっぱりと断った。 「麻薬に手を出すと政界の友人達が背を向ける」というのが彼の答えだったが、ソロッツォの後に見え隠れするタッタリア・ファミリーの影もその理由だった。
ソニーらには「大学出に何が出来る!笑わせるな!」とバカにされたが、マイケルの決意は鉄のように固かった。 そして手打ちの席で二人を消した後、マイケルはほとぼりが冷めるまでシシリー島に逃亡することになった。 あれほどまでに裏社会を嫌い、父を避けて表の世界で生きると誓ったマイケルの人生設計の歯車は、ここで完全に狂ってしまった。
その後もニューヨークではファミリー同士の抗争が続き、マイケルの逃亡先のシシリーまでにもその黒い影が伸びていた。 シシリーではシシリア人の血が蘇ってか、マイケルは現地の娘アポロニアと結婚する。 だが花嫁は悲しくもマイケルの身代わりとして殺され、またニューヨークでも兄のソニーが敵の罠にはめられて壮絶な最期を遂げる。 無事に退院したヴィトーは、血で血を洗う戦争に終止符を討つ為に全米からファミリーを集めて和解の会合を開いた。 その会合の席でヴィトーは黒幕ソロッツォらを操っていたのがバルツィーニだと見抜いたのだった。
手打ちの結果、無事アメリカに戻ったマイケルはヴィトーのあとを継いだ。 昔の恋人であるケイとも結婚したマイケルはファミリーの建て直しを図る。 当時隆盛を極めていたラスベガスのホテルを買い取るなど、着々と冷酷にビジネスを進めていくインテリのマイケル。 父はそんな息子にこう語りかけた。 「お前だけには表の世界で生きて欲しかった…」 「いや…僕は必ず成功してみせる。」 そしてある日、父ヴィトーは静かに息を引き取った。
父亡き後のマイケルは残忍なほど冷酷にビジネスを進めていく。 鮮やかな手口で敵対するファミリーのボスたちを一気に消し去り、ファミリーの裏切り者をあぶりだした。 そして兄ソニーをはめた妹の夫までも手にかけた。 夫が殺されたと知って半狂乱の妹に「この人でなし!」とののしられるマイケル。
心配した妻のケイは夫に恐る恐る尋ねる。 「…ねえ、本当なの?…」 「違う」 と冷たく答えるマイケル。 その姿は、妻が知るかつての優しいインテリのマイケルではなかった。 冷たく自信にあふれたその姿は、何から何まで父ヴィトーに似ていた。
ケイが夫マイケルがもはや自分の愛した男とは別人になったことを知った時、彼の書斎のドアが閉められた。 その閉じられるドアの向こうでマイケルは父ヴィトーと同様、こう呼ばれていた。
…ドン・コルレオーネ…
わずか32歳の監督、フランシス・フォード・コッポラ。 若さゆえの無謀さか、天才肌の作家性で『ゴッドファーザー』の製作にあたっては、まるでドン・ヴィトーのように自分の希望をすべて押し通していた。 彼に反対するのはまるでバルツィー二のようなパラマウントの製作部長ロバート・エヴァンズ。 マーロン・ブランドの起用には「あんなトラブル・メイカーはダメだ!」と一喝、アル・パチーノのキャスティングには「あの冴えないチビは使わん!」と罵り、シシリー・ロケに関しては「行く必要はない。カリフォルニアで撮れ!」などなど… 結果的には全てがコッポラの思い通りになったわけだが、撮影が終了後の2人の対決の山場が音楽、サウンドトラックだった。 コッポラは当初からニーノ・ロータにスコアを依頼することを決めていたのだが、当然のごとくエヴァンズは猛反対したが、その理由は「ロータなんてよく知らない」という至って単純極まりないものだった。
1911年生まれのイタリアのベテランのロータは、フェデリコ・フェリー二作品等で知られており当時のイタリアを代表する大作曲家である。 アメリカでも『戦争と平和』('55)、『甘い生活』('59)、『若者のすべて』('60)、『ボッカチオ70』('62)、『8 1/2』('63)、『山猫』('63)、『魂のジュリエッタ』('65)、『ロミオとジュリエット』('68)、『サテリコン』('69)、『ワーテルロー』('70)等が公開の上、多数のサウンドトラック・アルバムがリリースされているのにも関わらず、エヴァンズはロータを無視した。 そして「イタリア人の話だろ?だったらイタリア系に任せたらいいんだろ?」とヘンリー・マンシーニに話を持ち込んだ。
だがエヴァンズは腹の底で「いいさ。最終的に入れ替えてやるさ」とほくそ笑んでいた。 なにしろエヴァンズは前年に『ある愛の詩』('71)で、作品のヒロインにして彼の妻であるアリ・マッグローの希望により、フランシス・レイを起用して当初の予定とは別のスコアを大ヒットさせたという輝かしい実績があったのだ。
しかしこの賭けにも勝利したのはコッポラだった。 関係者は皆、「音楽が素晴らしい!」とロータのスコアを褒め称えたのだった。
レコーディングにローマに向かうコッポラは、それまでに完成していた曲のモチーフには満足していたが、シシリーのシーンの曲だけは全てダメ出しをしていた。 即ち有名な『愛のテーマ』が流れるシークエンスだ。 ベテランのロータもダメ出しの嵐にコッポラがただの若造では無いと実感した時には万事休すだった。 「ア、アカン、ヤツはレコーディングにローマに来るやんかいさ…!」 そこでロータは自分の秘密の引き出しを開けて過去の自作の『FORTUNELLA』('57)のアップテンポのテーマをゆったりとアレンジしてローマに着いたコッポラにピアノを弾いて聴かせてみたところ… 「ブラボー!先生!」 とコッポラの歓びの喝采を浴びたのである。 当時レコード化もされていない小さな映画の為のささやかな曲が、こうして歴史を塗り替えたのだ。
1980年代にようやくイタリアの小さなマニアックなレーベルからレコード化されたその作品のメロディはまぎれもなく『ゴッドファーザー 愛のテーマ』そのものだった。 当時、その曲については「コッポラの意向で再アレンジを依頼した」というのが通説だったのだが、実のところはロータのとっさのアイデアだったのか、はたまたイタリア人らしい大らかさが幸いしたのか… ともあれ、トランペット、マンドリン、ジャズ・ピアノ等で奏でられるスコアは、冷たくもの悲しく美しくもあり、心に染み入る失われた故郷への思い溢れるスコアだ。
また、冒頭の結婚式のシークエンスに流れるイタリア音楽は、コッポラの父カーマイン・コッポラによるもの。 コッポラの的確な音楽に対する鋭い思いが実を結んで歴史に残る名スコアをロータに生ませた。 そしてとことんハリウッド主義に反発したコッポラの勝利でもあった。 さらにニーノ・ロータにとっても自身のフィルモグラフィに輝ける作品となったのだ。
暗黒街のコルレオーネ・ファミリーに相応しくブラックな下地にシンプルなホワイトの「ゴッドファーザー」のタイトルのみのジャケット。 白と黒。 まさに表はオリーヴ・オイルの輸入会社、裏は暗黒結社のコルレオーネ・ファミリーの表裏に相応しい素晴らしいジャケットのサウンドトラック・アルバムではないか。 映画自体は約3時間の長尺にも関わらずスコアの量は極めて少ないが、しかし必要最小限にして最大級の素晴らしい効果を上げている。
収録は全16曲。 聴けば聴く程、木管、マンドリン、ハミング・コーラス、ヴァイオリンの情感のこもった音色が心に染み入る。 『ゴッドファーザー・ワルツ』のシシリアへの望郷、『愛のテーマ』の哀愁、『フィナーレ』のエンド・クレジットを締めくくる重厚な響き… どの曲を取っても決してだれる事無く、ベスト・オブ・ベストなこのアルバム。 これ程充実感溢れるアルバムは稀だろう。 そして映画に惚れるとこのアルバムも愛おしくなり、絶対に(だがごく自然に)愛聴盤となってしまうのだ。 いかに1970年代のサウンドトラック・アルバムが素晴らしかったかが、このアルバムを聴くと分かるのだ。
オリジナルのアメリカでリリースされたパラマウント・レーベル盤は、ジャケットがトリプル・見開きのデラックス仕様。 広げるとオールカラーの名場面がレイアウトされており、音楽を聴きながら最高のスーヴェニールともなる仕様。 日本盤もこのトリプル仕様を出来る限り再現してリリースされており、もちろん世界中でリリースされベスト・セラーとなった。 『愛のテーマ』と『ワルツ』のカップリングでシングル・カットされ、当然の様に世界中で売れに売れた。
日本では当時から驚異的なセールスを上げており、1976年にはABCレーベルから再発。 その後の1980年代に入ってもMCAより再登場してロング・セラーを記録。 イタリアでも80年代にジャケット・デザインを変えてリイシュー。 イギリスでもSILVAより再発と、まさにエヴァー・グリーンなこのアルバム。 CD化も早くこの頃に世界中でMCAよりリリースされている。 また、アルバム・プロデュースは同じくパラマウントの大ヒット『ある愛の詩』同様、トム・マックである。
今日の映画のテーマ曲のカヴァー・ヴァージョンなんて滅多にないが、この頃、フランシス・レイの『ある愛の詩』が大ヒットして数多くのカヴァー・レコーディングを生んだ。 しかしそれをさらに上回る膨大な量のカヴァー盤を生んだのが『ゴッドファーザー』だ。 数え切れないシングルやオムニバス・アルバムに収録され、ショップに行けばどこもかしこも『ゴッドファーザー』! ラジオから喫茶店、地元商店街から流れ、小学校でも児童が口笛を吹き、爺さん婆さん、父ちゃん母ちゃん、兄ちゃん姉ちゃん、飼ってる犬・猫までも、皆知っていた『ゴッドファーザー 愛のテーマ』!
そんなカヴァーの大ヒットは、当時フランスのイージー・リスニングの人気者、ポール・モーリアのアレンジが頭一つずば抜けていた。 アンディ・ウィリアムスのヴォーカルも人気であり、フランク・プゥルセル、パーシー・フェイス、ウーゴ・モンテネグロ、ニニ・ロッソ等、大物らがこぞって取り上げており、さらには日本の歌手から怪しい楽 団までもが競ってレコーディングしたのだ。
今日の典型的なファスト・フードのようにパッケージされた映画 ― CGで塗りつぶされ、他愛もないストーリーと脚本、印象に残らない俳優達、絨毯を敷き詰めたようにダラダラ流れるスコア、そして甘いハッピーエンド ― こんな映画が溢れている現在。 ドン・ヴィトーが嘆くのもあながち間違いではない。
『ゴッドファーザー』の濃密な油絵のような映像やシーンはどの場面も絵画のように飾りたくなる出来栄えで、緻密な脚本や俳優達の素晴らしさ、音楽、そして演出までも、全てが驚異的だ。 素晴らしい脚本に魂を注ぎ込んだ綺羅星の如き役者達。 マーロン・ブランドの重厚な存在感、前半は頼りないボンボンでも後半は目の据わった氷のような表情に豹変するアル・パチーノの凄さ。 当時32歳程度のコッポラがこんな円熟した演出をした事も特筆に値する。 そして背筋がゾッとする後味の悪いラスト・シーン。
そんな『ゴッドファーザー』も現在では意外にも観ていない、または知らないという人々も大勢存在しているのも事実。 そんな人々もタイトルや内容位は知っていて漠然としたイメージだけで「感動大作、マフィアもの、アカデミー作品、あるいはダラダラ長いだけの嘘くさい家族物語」とサラリと答える。 まるで昨日その眼で観たかのように。 また、普通に観た者やこの作品を結構好きと語る者でも漠然としたイメージでどう答えるか? 「やっぱ馬の首でしょ、あとルカ・ブラジに突き刺さるナイフ、ソニーのハチの巣の惨殺場面、そんでカルロの最期…」 いやいや、『ゴッドファーザー』はそんな作品ではない。 そう思って欲しくはない。
『ゴッドファーザー』はある家族の物語だが、それは崩壊と喪失がテーマとなっている。 喪失が本当の主人公マイケルに取り付いている。 それは自分の人生が狂い、つかの間の幸せをシシリーで見つけてもそこには死の影が常に付きまとうのだ。 一目惚れしたアポロニアとの家族を交えたデートの時、マイケルは彼女にそっとプレゼントを渡す。 そのプレゼントのネックレスを身に着けるアポロニア。 それを見詰めるマイケルにそっと無言で微笑む彼女。 その後に訪れる悲劇など露とも知らぬ二人…
こんな場面をロマンティック、『ゴッドファーザー』をロマンティックなマフィアの貴族物語と評する人も存在するが、アル・パチーノが主演した『カリートの道』('93)の脚本を書いたデヴィッド・コープが言う。
「人々はロマンティックの意味を間違えている。海辺を歩いたりするのがロマンティックではない。 究極の相手を得て失うこと、喪失が本当のロマンティックなんだ。」
『ゴッドファーザー』はマイケルの喪失の物語。 妻、子供、そしてファミリーを喪っていく男の物語。 望まぬ人生を歩んだ男の喪失のサーガだ。 だから胸に染み入り、そして永遠に忘れられない。