ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
1973年、冷戦時代の米ソ。 アメリカの神学校をやめたクリスは、元FBIで現在は防衛会社に勤める父を悲しませていた。 それでも父のはからいで防衛産業の大手に就職したクリスはどこかものたりない毎日を送っていた。 唯一の楽しみは飼っているファルコンを大空に羽ばたかせること。
クリスが退屈な資料管理から最高機密を扱う部署に出入りが出来るようになったのも頭脳明晰さを買われてだった。 しかしクリスはそこでアメリカ政府の黒い秘密情報を知ることとなる。 ウォーターゲイト事件は勿論、CIAはオーストラリアの選挙をも裏で操作していたのだ。 クリスは理想と信仰、道徳観を失い、アメリカの黒い影に驚くばかりだった。
そこでクリスは親友のドールトンに秘密を打ち明けた。 ドールトンは現実からドロップアウトしてヘロインの密輸をしているアウトロー。 ドールトンはクリスの地位を利用してアメリカの機密情報をソビエトに売ることを提案した。 単なるゲームのつもりか、それとも正義感からか―二人は、後にとんでもない事態になることも考えずに危険なゲームを開始した。 己の身の破滅も知らずに。
ドールトンは早速、メキシコのソ連大使館に接触。 情報を大金で売ることに成功。 そしてソ連側の要求する情報を得ることも約束した。 こうして即席スパイの二人組は、コードネーム = ファルコン・アンド・スノーマンとして続々とアメリカの機密情報を盗み出してソ連に売り続けた。
しかしソ連の要求の重圧を感じ始めたクリスは危険なゲームの終わりを感じ始めていたが、ドールトンはそれを拒否。 もし裏切ったら秘密をクリスの父にばらすと逆に脅してきた。 こんな最中、クリスとドールトンの周りにはCIAの影が付きまとっていた。 そしてクリスは自らソ連大使館に向かい、終わりを告げるも拒否されてしまう。 もう米ソの緊張はゲームではないのだ。
CIAもKGBも怖くなったクリスは逃亡しようとするが、時は既に遅かった。 ドールトン共々逮捕されてしまう。 そして1977年、裁判の結果、ドールトンは無期懲役、クリスは40年の刑を言い渡された。 しかし何不自由ない環境で生きてきた若い二人の本当の動機は、裁判でも誰も知ることが出来なかった。
1980年代、映画のサウンドトラックを任されるアーティストは映画界以外から選ばれることが多くなっていた。 ロック、ジャズ界から意外なミュージシャンがサウンドトラックを担当し成功を収めていた。 勿論、この時代はレコード産業も巨大なマーケットとなり大ヒットも連続、MTVの相乗効果もあってかサウンドトラックの売り上げも立派なビジネスであった。
「コードネームはファルコン」もそんな時代に誕生した作品だが、もし無能なプロデューサーであれば 「1970年代の話だから当時のロックを大量に使用してそれらを収録したサウンドトラック・アルバムをリリースして丸儲け!」 といったことを考えただろうが、幸か不幸か(?)製作も担当した監督のジョン・シュレシンジャーは馬鹿ではなかった。 自作の音楽には鋭いセンスを発揮していたシュレシンジャーは、当時全米はおろか世界でも人気・実力を認められていたジャズ・ギタリストのパット・メセニーにスコアを依頼。
この頃、メセニーはサウンドトラック・ファンには、僅かにジェリー・ゴールドスミスがスコアを担当した「アンダー・ファイア」(83)でギター演奏で参加していた事を知られる程度であったが、ジャズ・フュージョン界ではトップ・ギタリストだった。 メセニーは1976年に名門ミュンヘンのECMレーベルから「ウォーター・カラーズ」をリリース。 6弦、12弦、15弦ハープ・ギターなど様々なギターを弾き分け、彼独特の世界を確立。 翌1977年には自己のグループ、パット・メセニー・グループを結成してアルバム製作、そして世界にコンサート・ツアーでそのサウンドで魅了していく。
1980年にはメセニーの良き相棒、ライル・メイズ(「コードネームはファルコン」でも共に作曲)と二人で名アルバム「ウィチタ・フォールズ」をリリース。 この頃、日本でも大人気のトップ・ジャズ・ギタリストとなっていた。 1983年には2度目のグラミー賞を受賞という大物の貫禄のメセニーが、新たに挑んだのがこの「コードネームはファルコン」のサウンドトラックなのだ。
ライル・メイズも共に作曲を担当。 演奏はパット・メセニー・グループ。 そしてオーケストラ演奏はナショナル・フィルハーモニック・オーケストラ。 さらに主題歌はデヴィッド・ボウイがこの作品に共鳴して自ら作詞しメセニー・グループをバックに歌う!といった当時としては快挙としか言いようがなかった奇跡的なコラボレーションが実現した。 ボウイ自身の「キャット・ピープル」(82)の主題歌と共に今では彼の2大映画主題歌のクラシックでもある。
2000年代も10年が経過したが、どれだけのサウンドトラック・アルバムがリリースされただろうか? その中に”永遠のエヴァー・グリーン、聴き惚れる1枚、さらに自分にとってのクラシック”と呼べるアルバムは存在しているだろうか?
では、今現在はどうだ? 過去と比べて上回るサウンドトラックのニュー・アルバムが果たして存在しているか? 確かに新作を観ても音楽は鳴っている。 いや、むしろ過剰とも言えるヴォリュームで鳴り響いている。 しかしアルバムで聴いてもそこには感動も驚きも無い。 もはや無機質なパッケージだ!と言えば言いすぎだろうか? 事実、新作のサウンドトラックのアルバム・リリースが少なくなり、異様な数量でリリースされるCDはそのほとんどがかつての過去の作品なのだ! この現状は異常なのかもしれない。
1980年代は暗い思考回路など持たない時代。 そんな1985年の”サウンドトラック・アルバム・オブ・ジ・イヤー”と呼べるのが「コードネームはファルコン」だ。 主題歌がデヴィッド・ボウイの為、当時のボウイの契約レーベルのEMI AMERICAから9曲入りでアルバム・リリース。
アルバム・プロデュースはパット・メセニーとライズ・メイズが担当して完成度の高いアルバムに仕上げた。 本編はどうしても劇音楽の性質上、スコアが細切れとなるが、メセニーはそんな劇中の印象的なシーンの曲、即ち「DAULTON LEE」「THE FALCON」の2曲、主人公達のテーマ曲をアルバム用に再レコーディングを行った。 この2曲が素晴らしく、前者はショーン・ペンのテーマでライル・メイズのシンセサイザーが素晴らしくスタイリッシュでメセニーのシンクラビーア・ギターが冴え渡る。 そして後者はティモシー・ハットンのテーマ曲。 メセニーのクラシック・ギターとメロディの優雅さが感動を呼ぶ。 さらにこの2曲はメセニーが”エンジェル・ヴォイス”と絶賛するグループのメンバーのペドロ・アズナーのスキャットがフィーチュアされて素晴らしい。
また、アルバム構成が素晴らしく(アナログ・LPとして)A・サイドの「DOULTON」「CHRIS」と続き「THE FALCON」で終わり、B・サイドがボウイの歌う「THIS IS NOT AMERICA」で始まり、いよいよサスペンス・フルなナンバーが続いてラスト、感動の「EPILOGUE」でこのアルバムが終わる。 曲の並べ方の素晴らしさには舌を巻く程なのだ。 ただ劇中のスコアを簡単にパッケージしました!ではないのである。
映画自体の公開は1985年の1月25日だが、公開の2週間前にはボウイの歌う主題歌がシングルと12インチ・シングルでリリース。 そして映画公開と共にアルバムがリリース。 日本では2月にシングルがリリースされ映画公開がさらに8か月後なのにアルバムもリリースされた。 勿論、売れ行きもよく日本以外にもイギリス、フランス、イタリア等でもリリースされてベストセラーを記録。 CD化も速くて、EMI MANHATTANよりリリースされてCDでもロング・セラーを記録している。 そう、映画自体は置き去りにされてもこのアルバムは現在も生き長らえているのだ。
レコーディングはロンドンのスタジオ(オデッセイ、EMI・アビーロード)で行われたこのアルバム。 今、改めて聴くと映画のメモリアル・アルバムというよりも何か過ぎ去ったあの1980年代の青春時代のはかなさ、切なさ、哀愁、そしてほろ苦さがカレイドスコープのように脳裏に駆け巡る。
今では遠く過ぎ去った青春。 忘れかけたあの時代。 だがこのパット・メセニーのアルバムと共にどうしてもあの時が蘇ってしまう。 もうただのサウンドトラック・アルバムなんかじゃあない。 青春のフォト・アルバムと呼べるかもしれない。
ここはアメリカではない 僕の中に宿る君の面影はやがて消え去るかもしれない これは奇跡ではない ここはアメリカなんかじゃないのだから
花は咲きそこない季節はせわしなく移る ここはアメリカではない これは奇跡なんかじゃない
あの頃は雪が汚れ無き地を覆っていた こんなに広い大空はどこにもなかった 僕にも見当はつく ここはアメリカではない
夏は山から姿を消してファルコンは地上へと舞い降りる こんなに広い大空はどこにもなかった 明日の雲の動きを読む者があった
あの頃は風が遥かなる新たな地に踊っていた こんなに広い大地はどこにもなかった 僕にもかろうじて見当はつく
ここはアメリカではない 違うんだ ここはアメリカなんかじゃない