ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
ある日のこと。 南カリフォルニアの人里離れた道路でヒッチハイクの車を探す二人の男が出逢ったとさ。 大男のマックスは6年の刑期を終えてきたム所上がりの男、小男のライオンは5年間の船員生活におさらばしてきた男だったとさ。
凸凹な二人は何故か気が合い、意気投合したとさ。 マックスはライオンに「一緒にピッツバーグで洗車屋をやろうや」と持ちかけ、ライオンも承知したとさ。 ライオンは5年前に妊娠中の妻を捨てたのが心残りで男か女かも分からない子供に会いたいと言う。 ならば、とまずピッツバーグへ行く前にマックスは彼の妹に会いにデンバーへ行き、そしてライオンの妻の居るデトロイトへ向かい、そして最終目的地のピッツバーグへ向かおうとしたとさ。
マックスは資金をピッツバーグの銀行に預けてあるのさ。 二人は無賃乗車やヒッチハイクで旅を始めたのさ。 ケンカっ早くて人を信用をしないマックスと明るくてひょうきんなライオンはさらに友情を深めていったのさ。 旅の途中で必ず、ケンカをして暴れるマックスをいつも明るくなだめるライオンだったのさ。 マックスの妹のいるデンバーに着くと彼らは酒場で大騒ぎをしたとさ。 でもマックスが酔ってケンカを始めて警察沙汰になったとさ。
マックスとライオンは逮捕されて30日の強制労働になってしまったとさ。 短期なマックスはそれをライオンのせいにして絶交したけど、ライオンが牢内でリンチにあうと激怒してさ。 そう、リンチした相手を半殺しにして二人の友情は復活したのさ。
ようやくマックスの心にはライオンの心が染み付いてきたのさ。 堪える気持ちも持ち始めたとさ。 でもライオンの妻子に対する罪悪感が、マックスには不安だったとさ。 「もし、ヤツの妻が再婚でもしててみろ、ヤツは....」 ライオンは恐る恐る妻に電話したけど、受話器の向こうからは悲しい現実が待っていたとさ。 …妻は再婚して子供は死産だったと… でも全て妻の悲しい嘘だとはライオンは知らない…
電話を切ったライオンはわざと明るく振舞い、子供は男の子だ!と喜んだけどマックスは不安だったとさ。 そんなマックスの不安は的中したのさ。 ライオンが公園で遊んでいた男の子を抱き上げて噴水に入っていってしまったからさ。 この時、マックスはライオンのショックの大きさを知ったのさ。 病院に意識不明で入院したライオンにマックスは誓ったのさ。 「コイツの治療費のために貯めた金を使おう!」とさ。
マックスは金を取りにピッツバーグへ向かったとさ。
あのニーノ・ロータのサーカス・ミュージックにどことなく似ているし、このトランペットの音色は『道』にも似ているのだ! そう、ライオンは『道化師』なのだ! だから音楽がニーノ・ロータ的なのかもしれない。 あのニーノ・ロータの音楽をもっとモダンにアメリカン・カントリーにしてジャズ・ロック的にしたこの『スケアクロウ』の音楽。 全編、このテーマ曲のアレンジで構成された音楽を担当したのは「70年代で最も才能に溢れて、そして埋もれてしまった作曲家」の最右翼、フレッド・マイローなのだ。
彼の『ボーイズ・ボーイズ ケニーと仲間たち』('76)を担当して意気投合。 そして『ファンタズム』('79)という大傑作を生み出す。 しかしコスカレリ、マイロー共にその後、ブラック・ゾーンに埋もれてしまい、『ファンタズム2』('88)で再会するや『ファンタズム3』('94)をも生み出してしまう。そしてダメ押しに『ファンタズム4』('98)までもつれ込んだ末、マイローは1999年に還らぬ人となってしまう。 これでは生涯、「ファンタズム・シリーズの人」として裏街道でしか語られない作曲家かもしれない。 それに彼のサウンドトラック・アルバムはほとんどリリースされておらず、『ブルー・エンゼル』『ボーイズ・ボーイズ ケニーと仲間たち』などはこの日本でしかリリースされていないのだ。
『スケアクロウ』のオリジナル・サウンドトラックはアルバム、シングル共にこの世には存在しない。 本国アメリカでもリリースされていない。 しかし、世界で日本のみスタンリー・マックスフィールド・オーケストラの演奏でシングルでリリースされた(片面はエンニオ・モリコーネの「青ひげ」)。
1970年代当時、日本は今では考えられない空前の『映画音楽ブーム』の真っ最中。 日本も高度成長期を極めてどの家庭でも音楽を愉しむ「ステレオ・オーディオ・セット」を購入していた。 そんな中、映画音楽のレコードはアルバム・シングルともバカ売れした。 どのレコード会社も競って映画音楽を毎月大量にリリースした。 だがそのほとんどは「オリジナル・サウンドトラック」では無く、「テーマ曲をカヴァーしたもの、コピー演奏したもので編集した企画盤」が大量に市場を支配していた。 「最新映画テーマ・ベスト」「アクション、ラブ・ロマンス・ベスト」といった感じで「あらゆる組み合わせのアイデアを搾り出したコンピレーション」で各社しのぎを削っていた。 それは「モノホンではない、まがいもので勝負」したまるで「仁義なき戦い」のようでもあった。
CD時代から映画音楽のファンになり、現在もCDでしかこのジャンルを愉しまない人達には、到底この熱き時代の醍醐味は分からない。 また、今のまるで魂の抜けたような新作のサウンドトラックとは違い、この時代の「テーマ曲」は生きていた。耳に残った。 今、テーマ曲がカヴァーされるなんてほぼ皆無の時代とは違い、この時代は各社専属の楽団によるカヴァー・ヴァージョン戦国時代だったのだ! ただ、そのほとんどがおそろしく胡散臭い楽団名だったのである!
「スケアクロウ」のようにサウンドトラックがリリースされない作品をサッとカヴァーしてしまうのは当時の日本の名人芸である。 に、しても演奏のスタンリー・マックスフィールドとはなんぞや?一体、誰なのか? 当時人気のフランク・チャックスフィールド楽団とスタンリー・ブラック楽団から名前を頂いたような気もするが、実は当時TVの作曲家そしてジャズ・ピアニストとして活躍していた大野雄二のパロディ・ネームであるという都市伝説がある。 彼のように優秀なアレンジャーでもあると簡単に聴いて譜面に起してアレンジし、演奏もサクっとこなす。 こんなアーティストはこの手のジャンルにはうってつけである。 しかも大野氏自身も大の映画音楽マニアとくればなおさらだ。 当時は若い大野氏、おそらくはこんな仕事も難なく楽しんだろう。 なんせ「マックス(大)フィールド(野)」だし。
スタンリー・マックスフィールドは映画会社の東宝のレーベルでもあり、映画音楽にはTAMというレーベルでそれは結構な量のカヴァー・ヴァージョンをリリースした。 演奏のクオリティもオリジナルに忠実であまりチープではなく、どの曲も(恐らく大野氏自身の?)華麗なピアノ演奏がフィーチュアされている(『スケアクロウ』で華麗なピアノが聴ける)。 スタンリー・マックスフィールド・オーケストラによる代表的なカヴァーとして『ブラニガン』『男の出発(たびだち)』『ジャガーノート』『サブウェイ・パニック』『ジュニア・ボナー』『フレンチ・コネクションU』『ダラスの熱い日』などがある。
さて、マックスフィールド同様、日本フォノグラムの誇るミッシェル・クレマン楽団も伝説のカヴァーを続々と発表した。 『ジャッカルの日』『ザ・ヤクザ』『黒帯ドラゴン』『片腕ドラゴン』『ダーティハリー2』そして『ロリ・マドンナ戦争』! 1974〜75年頃、ミッシェル・ルグラン、ジョン・バリー、ヘンリー・マンシー二らが来日コンサートを大成功させていた時、あるプロモーターが「ミッシェル・クレマン楽団を日本に呼ぼう」と計画。 日本フォノグラムに「クレマン氏を呼びたいのですが…」と要請した。 しかし専属のフォノグラムは返答に困り、「…実はクレマン氏は飛行機が嫌いで…それに多忙でして…」とあいまいな返答をしたという。 実際、当時の外国名義の楽団は全て日本人であり、いかにもそれらしい外国人風のネーミングで活躍していただけなのだ。 我々もその実態を知るのはずっと後の事だった(金髪外人ストリップを見に行ったのに出てきたのは金髪のカツラを被った日本人のオバサンを見せられた気分!)。
『スケアクロウ』は1973年にシングルでリリースの後、1974年には『スケアクロウ・卒業 愛と青春の名画 ゴールデン・ダブル・アルバム』としてリリースされたオムニバスLPに組み込まれ、その後も様々な企画アルバムに入っていた。 今となればマックスフィールドが『ルパン三世』『犬神家の一族』の大野雄二とは違っていたとしても、そんなことはどうでもいい。確かめる必要も無い。 一番重要なのは、今後もCD化されないであろうマックスフィールドのアナログ盤が存在したことなのだ!
関光男の「映画音楽リクエスト!夜のスクリーン・ミュージック」! ハレルヤ! マックスのストリップ・シーンのBGMは1962年のデヴィッド・ローズの『ザ・ストリッパー』! 当時のMGM盤のシングルのB面はニーノ・ロータの『道』! Viva!
誰にも分かるものか ひとりそう思って閉ざしていた心 ふと風に舞い込んだ花びらに暖かさが広がってゆく
懐かしい田舎道よ 俺たちを連れて行ってくれ、あの故郷に ウェスト・ヴァージニア、マウンテン・ママ 家に連れていってくれ 懐かしい田舎道
ウエスト・バージニアはまるで天国のよう ブルー・リッジ・マウンテン、シェナンドー河 生命は木々よりも古い それでも山々は若く微風のようになびいている
俺たちの思い出はいつもあの娘にまとわりつく 青い海水に映るあの娘は何処に 空さえも今は暗く重たい 月の光は夜露の味 俺たちの目には涙が溢れる
いつも朝になると俺たちを呼ぶあの娘の歌声が聞こえる ラジオを聴いては遠い故郷を思い出す 車で走りながらもふとこう思ってしまう
昨日のうちに家に帰っていればよかったと