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ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです... |
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…パパンにママンにおとんにオカン…と真っ青な海に向かってアンニュイに囁いても聞こえるのは、波の音だけ。
…ここは眩しい太陽の光が降り注ぐインド洋に浮かぶセイシェル・アイランド。
なぜエマニエル夫人であるこのアタシが、こーんな暑苦しい小島なんかでボケっとしなくちゃいけないの?
…それはねえ、外交官の夫ジャンがこの地に左遷されたわけ。 |
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左遷のワケはねえ、バリ島でのアンナ・マリアとの愛の強化合宿の最後の夜に
「あー!アンナ・マリア!!アナタ、アタシの言ってるコトが分からないの?あれだけお口と両手は遊ばせてちゃダメって言ってるじゃない!それになんでアナタの体は、硬いの?こう曲げて!さあ、どっせい!」
「いったぁーい!もうヤメテ!イやよ!」
「エマニエル!もういいかげんにしないか!」
「ジャン、貴方は黙って!アンナ・マリア!アナタはそれでも女?女の資格はないわね!このマカオのオカマ!」
と叫んでアタシのフィスト・オブ・フューリーをアンナ・マリアの大事なバーミューダー・トライアングルにお見舞いしたら
「ひっどーい!パパンに言いつけてやるから!」
…アンナ・マリアのパパンはフランスの外務大臣だったの。
つまり、アタシのせいでこんなトコに飛ばされてしまった。
悪いのはアタシ…かな…? |
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この地に来てから3年になるけど、ジャンはアタシとはほとんど会話もしないの。
アタシのコトを恨んで勝手気ままに暮らしている。
アタシもこの島で暮らす上流階級の夫婦達とよろしく夜のクラブ活動を愉しんではいるけど、何故か心に寒い風が吹いている。
こんなに暑い島なのにね。
青い海をひとりで眺めているとフランスが恋しくなるの…
あのカルチェ・ラタン、マキシム・ド・パリのショコラ、カジノ・ド・サンノミヤ…(マツノモヨシ。マタセルノモヨシ)。
メガネのミキのパリ支店、ブローニュの森で早朝に犬の散歩のジジイにパンチラを見せたり、凱旋門をノーブラ・ノーパンで原チャリで暴走(ヴァンチュラ、ドロンに勝った!)したあの日々。
ああパリのアパートで毎日、サンテレビの奥様映画劇場とサタデーナイト・シアターを観まくり、MBSヤングタウン、鶴光のオールナイト・ニッポンを聴きまくってたあのとき。
それに近所の中学生と変態のオッサンが居てさ…
はぁ、帰りたいな…フランスに…
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メランコリックな毎日を過ごすアタシの前に突然、この島に映画撮影に訪れた若い映画監督のグレゴリー。
退屈しのぎにナマチチを見せてやったら興奮して飛び掛って来たカワイイコだけど知れば知るほど真面目なコだった。
カレは何でも将来、セザール賞作品を撮るつもりらしいの。
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最初はアンタなんかには無理よ!と思ってたけど何だか応援したくなってきた。
…アレ?この気持ちは何かしら?
今までにないこの気持ち。
胸の奥が痛いような。
…これって彼に恋したの?
…母性本能?
…うーん、よく分からん。
ワインとビールを飲んで寝れば直るわよ…って直らん!
毎日、胸が痛い!
ちょっとグレゴリー、どうしてくれんのよ!と言ったらカレ、明日にもパリへ帰るんですって!!
そう、そうなの。
じゃ元気でね。
アナタと過ごした時間は楽しかったわ。
アデュー。
…とオトナの女らしく別れたの。
彼は「君もパリへ来てくれないか?」と懇願したけどアタシは無言で立ち去った。
…でも帰り道、カレと海辺でスッポンポンで愛し合ったあの時が蘇ってきて、ううっ、アタシのポンポンが痛くなって来た… |
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カレがパリへ帰ってから毎日、ぼんやりと海を眺めて時間を潰すアタシ。
心配した夫が「なあ、どうだろうか?久しぶりに…」と誘われても嫌悪感しか感じないアタシ。
…もう自分がよく分からない。
そんな時、ふっと思い出す、あのパリの中学生。
…アイツ、今どうしてるのかな?
…とそんな時、あの中学生からのエアーメイル・送達が届いた!! |
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拝啓 エマニエルさん江 |
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お元気ですか?
ボクはあれから高校進学を諦めて、ブルース・リーに憧れてヌンチャクを持って「ドラゴンになる!」と決心して家出をしました。
でも運動神経が鈍いので3日で諦めて今では中華料理店の名門、天満の「龍門」で毎日、鳥の唐揚げを揚げて働いています。
どうかエマニエルさんも体を大事にしてください。
いつか必ず、貴方の前に姿を見せます。
その時はボクは立派な男です!
P.S.
初任給でブルーワーカーを買って体を鍛えてます)
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近所のもう中学労働者より |
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…アイツ!元気でやってるじゃない!
何故か涙ぐむアタシはその手で直ぐに電話をかけたの!
「…はい…」と消え入るような声がしたとたんに「アロー!ええかあ?ええのんかあ!」と叫ぶと勢いよく電話を切ってやったの。
逆探知で調べたあの変態オッサンにこっちからイタズラ電話をしてやった!
この時、ようやくアタシの心が決まったの。
エマニエル、パリに帰ろうと。
夫の静止する声も耳に入らずにアタシはスーツケースひとつで空港に向かった…。 |
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1作目はピエール・バシュレに唇を奪われ、2作目でフランシス・レイにオチチを愛撫されて、そして3作目で遂に秘密のバーミューダー・トライアングルにセルジュ・ゲーンズブールが突進!と毎回違う男たちにその体を優しく愛されているエマニエルであるが、実は1作目の時から音楽を依頼されていたのはセルジュでした。
この時は「ノン!ノン!やらないノン!」と断ったセルジュは、後に1作目の監督、ジュスト・ジャカンからのラブコールに『マダム・クロード』('77)で遂に「ウィ!」の返事をしてその勢いでこの『さよならエマニエル夫人』のスコアを担当することとなりました。 |
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セルジュ・ゲーンズブール。
歌手、作詞家、俳優、映画監督、ボヘミアン、変人、女たらしの変態にしてブサイクな男。
そして天才。
1950年代から個性溢れる曲と個性的な歌声で数々のアルバムをリリースして人気者となり映画音楽も早くから担当。
『唇によだれ』('59)、『アンナ』('66)、『恋のマノン』('67)に自身も出演した『スローガン』('68)、『ガラスの墓標』('69)、『カトマンズの恋人』('69)など多数を発表した頃は、既にパリの夜の顔。
フランス・ギャルなどのウブなカワイイ歌手を教育(どんな?)、ブリジット・バルドーら美人女優のつかの間の恋人。
そしてジェーン・バーキンをパートナーにしてからはジェーンを調教の上、彼女とスキャンダラスなアルバムをリリースし、二人で仲良く共演作の映画も続々と公開。
そしてセルジュが監督、音楽を担当しジェーンが主演の問題作『ジュ・テーム』('76)を世に出す頃には、セルジュの評価も頂点に達しました。
1970年代、セルジュのアルバムはジェーンのアルバムも含んで日本でもリリースされており、静かなマニアックなファンも生み出しており、このフランスのスキャンダラスな二人のアルバムを聴いている者は、どこか浮世離れした者でもありました。 |
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そんな1977年にセルジュとジェーンは仲良く二人で東京音楽祭に招かれて来日。
そしてこの年に『さよならエマニエル夫人』が登場となるのですが、最初マニアは連続するエロティック・フィルムのスコアを担当に渋い顔をしておりましたが、聴いてみるとこの時期、セルジュが酔いしれていたサウンド、つまりレゲエ、ジャマイカのサウンドだったので納得したのであります。
「さすがはセルジュらしい」と。
確かに全2作のスコアのアプローチとは全くと異なり、独特のセルジュの陽気なリズム、レゲエ・タッチのディスコにジェーンのエロティック・ヴォイス、ジンジャーな南国のリズムがセルジュ風のエロティックな世界なのです。
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1991年の死後、セルジュは本国フランスでの再評価が高まり、日本でも90年代の後半から同じように評価が上がり、書籍類も色々と出版され、この頃フランスに思いを寄せるオシャレな人々の間でセルジュのデカダンな世界に酔いしれる者が多数存在しておりました。 |
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フィリップス、フォンタナ、マーキューリーなどのレーベルを所有する日本フォノグラムの、洋楽部・製作チームB(映画音楽担当)の部長はある朝、飛び上がって喜んだ。
「ようやくウチでも大ヒットが出せる!」と。
『さよならエマニエル夫人』の音楽担当のセルジュ・ゲーンズブールは、フィリップス専属、即ち日本フォノグラムの専属なのだ!
日本フォノグラムは、この時まで映画音楽の分野ではそれなりの売り上げを上げていたが、それらは日本で録音したオムニバスなどがほとんどでありオリジナルのサウンドトラック・アルバムは少なく、大ヒットは全て他者に奪われていた。
1976年から名盤コレクションとしてシングル盤のシリーズを出したり『アデルの恋の物語』をトップ・バッターとして『フォノグラム・サウンドトラック・名盤シリーズ』をスタートさせるも『ロシュフォールの恋人たち』『若草の萌える頃』が発売中止となり、このアルバム・シリーズも消滅していた。
理由は洋楽部・製作チームAのポール・モーリア等のイージーリスニングのジャンルが桁違いの売り上げを記録しており、上層部が「そんな売れない企画はヤメれ!」の一声で沈んでいたのだ。
そんな時に飛び込んだのが『さよならエマニエル夫人』のサウンドトラック・リリースなのだった。 |
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これは痛い。
この時期、LPもシングルもプレスする手間や原料費もさして変わらず、そして売価が\2500のLPと\500のシングルで利益差も大きく、ましてや各社LPで勝負しており、LPの無い映画話題作のサウンドトラックなんて!という時代だったのだ。
部長は崩れ落ちた。
「あれだけ部下に「エマニエル!」とハッパをかけてたのにどう説明しょうか」と。
その後、判明した決定的な理由は「フランス本国でもアルバムをリリースする予定だったが、ゲーンズブール本人が出したくない!」が最大の理由だった。
会議室で部長は部下達に
「…てなワケでエマニエルはオジャンになりました…」
と告げると、この年の新入社員のCが
「不可能を可能にしましょうよ!アルバム、出しましょうよ!2作目でキングさんも日本先行で出しましたよ!」
さらにその声に続いて20代の美人社員のDも
「私もそう思います!我が社最大のヒットを出したいのです!部長、ボーナスでお子さんに…」
の声に部長は決心した。
「よし!日本のみアルバムを出してやる!」
そこで『さよならエマニエル夫人』チームが結成され部長と二人の部下が動き出す。
幸いにもDはフランス語が話せる才女の為、パリのフォノグラムに何度が電話交渉をしたが「…どうも巧く話しが進まない…」のだ(権利元はMELODY NELSON/TRINACRA MUSIC)。
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夕方からワイン片手の紳士に
「我々は日本のレコード会社の者で、パリに来た理由は…」
と説明するとこの紳士は
「どうだろう?私に任せてもらえないだろか?貴方がたの力になれると思う。」
と簡単に言うではないか。
何でもこの紳士はショービジネス界にも顔の利く実業家でマルセイユを拠点にして製粉、砂糖、小麦粉などを世界に輸出する大物のムッシュ・シャルニエだった。
彼はビジネス成功の報酬としてジャパン・マネーと何度かパリと日本を往復して欲しい、の2つの条件だけであった。 |
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アルバムは9曲入りで収録時間は極めて短く、南国的なダンス・ミュージックがベースとなっていて唯一『エマニエルと海』がシンセサイザーが波の音を描写してトロピカルなラブ・テーマを聴かせている。
『タバスコ』『ジンジャー』『ブラック・ペパー』などのナンバーは異国ムードたっぷりだ。
アルバムを聴き終えるとなる程、本国でリリースを中止にしようとした理由がよく分かる。
アルバムのヴォリュームが無く、単調すぎる。
これではシングルのみ、あるいは4曲程度のEPで充分と感じる人も居るだろう。
それに全2作のアルバムと比較してもこの3作目は異色すぎたのかもしれない。
しかし今、振り返って当時の日本フォノグラムがこれ程にも情熱をかけて日本のみのアルバム・リリースを実現させたのはもっと評価されてもいいのでないか。
2作目のキング・レコードも含めて『エマニエル』というエロティックなサウンドトラック・アルバムで世に問う、日本のみのリリースを実現させた名も無き兵士達に、ここに敬意を表して…
余談だが日本フォノグラムのパリに飛んだ洋楽部・製作チームBの部長は、1978年の春、出社前の駅の売店でチョコ・コロネ・パンとコーヒー牛乳を買っていたところを最後に忽然と姿を消したまま行方不明となり、部下の美人女性Dも朝の駅のトイレでパンティ・ストッキングの伝線を直しているところを最後に行方不明。
2年後にマカオでストリッパーとして働いていたが記憶喪失で発見された。
新入社員だったCは、部長とDが失踪してから突然、辞表を出してカツオ漁の漁船に乗り込んだまま彼もまた、行方不明となった。
この失踪にムッシュ・シャルニエが関与していることは間違いないと思えるが…真相は誰も知らない… |
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「おーい!君達!赤ちゃんが何処から生まれるか知ってますか?居たら手を上げて!ほーら、居ないだろー!先生は知ってるぞ!」
中学生になり初めての授業が美術だった。
その授業での先生の開口一番がこのセリフだった。
おまけに先生、「知りたい者は後で職員室に来るように!」
なんてこった。
我々は小学生という子供じみた世界から脱出、もうテレビのアニメ、甘いおやつ、おもちゃで遊ぶという夢の世界から身を引き締めて、これから大人の階段を上がる手段として日夜勉学に励み、俗世界の誘惑を断ち切り、僧のような毎日を送って進学校の北野高校に進み大学は京大、国立大に進学!という夢の世界地図をこの時、無残にも破り捨てられた。
「アカン、こんな中学校はアカン。」
と毎日、痛感するもこの先生、何かと
「フン!赤ちゃんの造り方も知らないくせに!世界で一番美しいのは黒人の女性!足が長くってあのオシリの形ときたら!あー、たまりません!」
と薄い頭髪を振り乱して興奮する。
この先生の影響かクラス一の秀才女子が、昨日まではコウノトリが赤ちゃんを運んで飛んでくると信じて疑わなかったのに、ある日突然、
「ねえーねえー、XXXってなーに?」
って昼食時にあどけない顔で平気に言うくらいに教室の空気が侵されてきていたのだ。 |
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そしてその空気を桃色に完全に変えたのが5月15日にテレビの日曜洋画劇場で『エマニエル夫人』が放映されるという天地がひっくり返るようなことが起きたのだ。
勿論、我々は、約1ヶ月前からどうやってこの放送を観ようか悩み抜いた。
勉学なんか頭に入れずに我々は何百、いや何千通りの方法を考えた。
当時、どの家庭もテレビは1台のみであり、日曜日の夜9時というゴールデン・タイムに『エマニエル夫人』を鑑賞するというのは、客で賑わう商店街をスッポンポンで走る抜けるくらいに、いやそれ以上に羞恥心を刺激して困難な事柄であるのだった。
夕方6時から『サザエさん』、そして7時位に夕食、そして9時から『エマニエル夫人』に突入!はどんなに考えても無理な行為であり、ナポレオンでは無い、我々は無名の歩兵であるがゆえ、皆、涙を飲んで諦めたのであった。
そして「天は我々を見放したぁー!」と夕陽に向かって叫んだのである。 |
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そんな時も過ぎて我々は緩んで来た精神に喝!を入れて勉学に励んで秋の中間テストを終えた頃にはもうフランチェスコのような神の言葉も聞き取れるくらいの人間に浄化されていた。
しかしである!
冬を迎える頃になんと『さよならエマニエル夫人』が公開!という悪魔の囁きが聞こえて来たのだ。
しかも1978年・お正月大作としてクリント・イーストウッドの『ガントレット』『007 私を愛したスパイ』、そして感動作の『マイ・ウェイ2』、『オルカ』や『カプリコン・1』などと同時に77年12月に公開されるというのだ。 |
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我々はそんなデビル・スピークには負けじ!とするが、FMラジオ、地元商店街からセルジュ・ゲーンズブールのレゲエ・ディスコの『さよならエマニエル夫人』のテーマが流れているではないか!
しかもジェーン・バーキンの色っぽい「エマニエル、ぐっばぁーい!」のお囃子が入ると我々は昨日暗記した方程式を全て破壊されてしまったのだ!
テレビのお正月映画紹介番組でもキッチリとシルヴィア・クリステルの熟れ切ったオチチが画面いっぱいに放送された頃には、イーストウッド、ロジャー・ムーア、スパック・ロマンの『オルカ』なんてどうでも良くなり、セルジュのテーマ曲の途中のギターソロで完全に頭脳と理性が崩壊し「あー、勉強出来んで何で悪いとや!」と棄て台詞を吐く悪童になりきっていたのだ。
そしてこの時、エマニエルの呪縛から一生、逃れられないと我々は悟ったのである。 |
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