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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Klute: コールガール
主演   ジュリエット・ミルズ
リチャード・ジョンソン
監督 オリヴァー・ヘルマン (a.k.a. オヴィディオ・G・アソニティス)
R・バレット
音楽

フランコ・ミカリッツィ

Killing Fields, The

 むかーしむかし、ブリットとハリー・キャラハンの刑事たちが暴れた街、サンフランシスコにジェシカという名のクール・ビューティな人妻がおりました。
 うーん、今風に言うと女優のキルスティン・ダンストによく似たジェシカです。
 二人の子供にも恵まれ、レコード・プロデューサーの夫と共にそれは幸せな日々を送っておりました。
 でも彼女には、夫に言えない秘密を抱えておりました。

 

 

 それは十年前、髭面のムサい男と不倫、いやその男と悪魔の懇談会に参加して自ら悪魔に身を捧げようとしたことがあったのです。
 しかしそれを阻止したのが当時の恋人、悪魔と腹を割って話せる髭面の男ディミトリでした。
 ジェシカの豊満な肉体に憑りつこうとした悪魔の怒りはそれは大変なものでした。
 「…ディミトリ、覚えてろよ…」

 

 悪魔から逃げた十年後のディミトリは、悪魔に脅されておりました。
 「いいか、お前の人生はあと数日だ。
 だがもっと生きたいのならあの女を探し出せ。
 その女から生まれてくる胎児を何としてもお前の手で取り出すのだ。
 そうすれば許してやろう。」
 と理不尽な要求を突きつけられたディミトリは、何とかジェシカを探し出します。

 
 

 そんな頃、ジェシカは日々「明るい家族計画」を実施していたにもかかわらずの急な妊娠に驚いておりました。
 しかもお腹の赤ちゃんは異常な急成長をしております。
 「怖い!この子だけは産みたくない!」と叫ぶジェシカに異常な事態が起こったのは、それからまもなくでした。
 子供部屋の物が飛び交ったり、真夜中にジェシカが近くのコンビニへ買い物に行くのならまだしも何処かほっつき歩いたり、意味不明な行動をしたり。
 そして獣のような唸り声をあげたと思ったら、彼女の形相が変わり、緑の反吐を吐いたりとそれはもう平和な家庭は、滅茶苦茶やおまへんか。
 途方に暮れる夫は、医者に診せるも何ら解決しません。
 それどころか頭をグルグル回したり、汚い言葉を吐き、まるで悪魔が憑りついたような…

 

 そうです!ジェシカに悪魔が憑りついたのです。
 鈍感で平和な夫は悪魔なんて理解していませんでした。
 しかしジェシカが「ディミトリをつれて来い!」と叫ぶので「誰…?昔の彼氏…?」と日々不安を感じていた夫の前にディミトリが現れました。
 もう夫にはこの謎の男こそが最後の手段と感じて家にディミトリを招き入れました。
 ジェシカに憑りついた悪魔は、
 「さあ!お前の手でこの女の赤ん坊を引っ張り出せ!
 んーいや、気が変わった!
 お前には死んでもらう!
 実は遊びの為にお前を利用したのだ!
 この女も赤ん坊なんてどーでもいいのよ!」
 とディミトリに吐き棄てるように言いました。

 …ホンマに回りくどいことを…

 
 

 

 ディミトリは死んでジェシカにはまた平和な日々が戻りました。
 家族旅行に出かけたある日、息子の目が突然、ピカリと光り出しました。
 そうです。
 今度は息子に悪魔が憑りついたのです。

 …悪魔のやることなすことは、ホンマに理解不能です…

 ピエロ・ピッチオーニアルマンド・トロヴァヨーリリズ・オルトラーニ、そしてエンニオ・モリコーネ
 彼らは1960年代に黄金期を迎えたイタリア映画界を代表する作曲家達です。
 彼らは娯楽映画のサウンドトラックにその精力を注ぎ、多くのファンも獲得しました。
 そんな彼らの系統を受け継いで1970年代頃から活躍した、比較的同系統の作曲家と思われるのが、グイド&マウリッツィオ・デ・アンジェリスダニエル・パトゥッキ、70年に開花したステルヴィオ・チプリアーニら。
 そんな彼らに加わるのが、今回取り上げるフランコ・ミカリッツィではないでしょうか。
 彼らも娯楽映画を得意とし、親しみやすいメロディとシャレたアレンジ等で魅了するスコアで、勿論ファンも多く獲得しております。
 しかし担当作品のレヴェルが著しく低い事などもあり、時に「パチモン・フィルム御用達部隊」とも言われてもおりますが、それはいくらなんでも言いすぎでしょう。
 

 

 フランコ・ミカリッツィらの特徴として − あらゆるポピュラー・ミュージックを何でも取り入れてしまう − そこが魅力です。
 ジャズ、ロック、ディスコ、クラシックetc何でもござれ。
 出来ないジャンルなんてない。
 そうです、ミカリッツィらは街の大衆食堂と同じです。
 カレーライス、スパゲッティ、丼物、麺類、洋食中華和食と何でも調理してしまう大衆食堂。
 どこか懐かしいオカンの味付け。
 それがミカリッツィなのです。

 
 

 マカロニ・ウェスタンの『風来坊/ 花と夕日とライフルと』('70)で注目の後、『メリーゴーランド』('74)で大ヒット。
 『空手アマゾネス』('74)、『卒業生』('75)、『課外授業』('75)そして『ザ・ビジター』('79)等、
 お涙頂戴もの、お色気アクション、スケベもの、ホラーも担当の堂々たる大衆食堂的な作品を担当するミカリッツィの魅力は計り知れませんが、そんな彼の傑作が『デアボリカ』なのです。
 ここでは悪魔もの作品とは思えない、ブラック・フィーリングのソウル・ミュージックで迫ります。
 サックスも唸るジャズ・ロックも聴かせており、「おい、この音楽は一体?」とこのスコアだけを聴いて誰が悪魔憑きのホラー・フィルムと思うでしょうか。
 この辺りの音楽演出が、イタリア映画なのです。
 アメリカ映画とは違うのです。

 

 マカロニ・ウェスタンや残酷モンド・ドキュメントの流れる哀愁のメロディや美しい調べ。
 ジャーロの残虐な殺しの場面になったらビートの効いたロックのリズム等、まるで水と油のような音楽演出
 それがフランコ・ミカリッツィの『デアボリカ』なのです。

 『デアボリカ』のサウンドトラックは本国のイタリアではアルバム・シングルと共に、老舗レーベルのCAMよりリリースされました。
 このCAM盤のジャケット・デザインのユニークなこと。
 黒人の妊婦姿のジャケットを観るとホントっに謎の映画です。
 これじゃガーナのチョコレートの包み紙ですよ。

 

↑IT盤LP(表)

↑IT盤LP(裏)
 

↑日本盤LP

 10曲入りのアルバムとシングルも日本ではTAMレーベルよりリリース。
 そうです!当時、ブルース・リーのドラゴンもののLP・シングルを、同じ曲にも関わらず、タイトルとジャケットをカメレオンのごとくに操り、小中学生のなけなしのお金を搾取しまくった東宝・TAMです。
 このTAM盤のジャケットは日本版のポスターを採用の為か、映画の内容をダイレクトに伝えてはおりますが、まさかこんなソウル・タッチの「BARGAIN WITH THE DEVIL」で幕を開けるとは夢にも思いません。
 続く「JESSICA'S THEME」のソウル・タッチのスキャットに絡みつくソプラノ・サックスの音色が、異空間へと誘います。
 「DIMITRY'S THEME」のダイナミックなリズムとサックスはまるでギャング・アクションのテーマのようです。

 
 基本的にこの3曲のアレンジで構成されているのが、いかにもイタリア映画のサウンドトラックらしくていいのですが、それでも「FAMILY'S THEME」のような爽やかなイージーリスニング的な曲もあり、ミカリッツィのアレンジは飽きさせませんね。
 

 本国、イタリアでの売れ行きは芳しくなかったようですが、日本では1979年の6月のテレビ放映された頃まで堂々たるセールスを記録したようです。
 FM放送でもよく流れていたので割と好セールスだったのでしょうか。
 カナダでもアルバムがリリースされ、フランスでもシングル盤がリリースされておりました。

↑日本盤シングル
 
↑日本盤CD
↑IT盤CD
 
 時が流れてCD時代に入りましたが、イタリア・CAMのマスターテープの事情からCD化は不可能と言われておりました。
 CAMのマスターテープ倉庫の不備による理由がそれでありました。
 しかし2002年にアナログ・LPの皿起しながら日本のVOLCANOレーベルより奇跡のCDがリリースされてファンの喉を潤しました。
 このCDも世間の風に吹かれて忘れ去られた2011年、イタリアのDIGITより6曲増しのCDが再び奇跡的にリリースされ、映画の悪魔同様、何で今更?感も感じながら狂喜させてくれました。
 

 「あのぅー、『デアボリカ』って『エクソシスト』のパクリですよねぇ?」
 と当時、真面目な中学生が鑑賞後に言いました。
 でも『デアボリカ』のプロデューサーや監督は
 「何ぃ?変なイチャモンは止めてーな!
 これはウチらが考えたお話やで。
 『エクソシスト』?そんなん知りまへん。
 ウチらのんがあまりにも傑作すぎて驚いてんのんか!」
 と堂々と言うでしょう。
 ホンネは
 「あっちが少女に悪魔が獲りつくんやったらコッチはそのオカンに悪魔が憑りつくんやで!
 主演はイギリス人でサンフランシスコ・ロケの完璧なアメリカ映画のフリで騙すんや!」
 のくせに。
 スタッフ、キャストにイタリア人が混じっているからバレバレなのに。

 

 1973年の『エクソシスト』の世界的ヒットをちゃっかりパクった『デアボリカ』も他のパクリもの同様、オリジナルを超えるどころか足元にも及ばない出来なのは、当時から証明されております。
 もうこの感覚、イタリアのお家芸ですもんね。
 歴史劇、マカロニ・ウェスタン、刑事もの、ギャングもの等、アメリカ映画の流行ったものをすかさず流用、転用。
 笑えるのが『ある愛の詩』('71)の難病ものを転用して難病で死ぬ子供ものを連発したり、不思議ちゃんの女の子にも流用した『ラスト・コンサート』('76)っていう傑作も生みました。

 

 もうイタリア映画界ってヴィスコンティ、フェリーニ作品のような世界的なアートも生むのにパクリ王国でもあります。
 でもこんな娯楽映画を製作している者達は、何も歴史に残るようなアート・フィルムを作っている気はないのです。
 いかにひと夏、デッカく稼ぐのか?
 そんな娯楽映画を作っているのです。
 だから和食、洋食一式!の大衆食堂のような連中なのです。
 パクるのも
 「人類は皆、兄弟!仲良くやりましょう! 映画は皆のもの。
 パクってパクられて。ドスコイ!」
 ってのがイタリア人・映画魂です。
 もし訴えられたられたら
 「そんなん、シラを切り通せばええがな。
 バレたら笑ってごまかせばええがな。すんまへん。

 
 
 …こんな連中の考えることですから『デアボリカ』も主婦に悪魔が獲りつくというアイデアだけでは、一本の映画にはなりません。
 ツジツマは勿論、こんな結末では…と突っ込んではイタリア娯楽映画は楽しめません。
 でも音楽が異常に良かったりするもんですから憎めないのが、イタリア大衆娯楽作品なのです。