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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

 
Klute: コールガール

 

 1974年から現在へ。
 毎日、霧の中で生き抜くも明日が見えない。
 希望が無い。
 目隠しをして見えぬ敵と闘っているようでもあり、時には男としての自信も行方不明。
 そんな時にはスティーヴ・マックィーン主演、ジェリー・ゴールドスミス音楽の『パピヨン』で勇気を貰うのだ!

 

 奇跡的に2010年、11年に銀幕に蘇った『パピヨン』。
 劇場内に漂う加齢臭もなんのその、最前列に陣取る茶髪の10代子連れヤンキー・ヤンママも駆けつけての上映中、3歳児が何度も銀幕舞台を横切り、「ウキャキャ!」と叫びまわる。
 ヤンママの「これ!降りなさい!」の平成サラウンド効果も新たにリミックスされて響き渡り、マックィーンの雄姿を再認識させてくれた。

 
 

 劇中、マックィーンは逃げる理由を一切語らない
 ただ「逃げる」のみ。
 蝶は大空に羽ばたく為に生まれて来たようにオリに閉じ込めた虎は逃げようとするのがあたりまえのようににマックィーンは、脱走する為に生まれて来たんだよ!
 DNAがそうなんだよ!
 閉じ込めたら自然と逃げるんだよ!
 劇中、バッタをそっと逃がしてやる姿のマックィーンは無言だが、男は行動で語る姿に惚れる!
 そして恩義のある友は何があっても裏切らない
 独房の中、飢えと幻覚に悩まされても耐え忍ぶその男気溢れる行動に、当時の観客はマックィーンに惚れたように、今改めてマックィーンの男気に心が熱くなる。

 

 そしてゴールドスミスの音楽だ!
 劇中、パリは一切出て来ないが哀愁溢れるテーマ曲はパリのシャンソン風
 シャルムな甘いメロディをシュゼット・アコーディオンを奏でると主人公のパピヨンの心は、灼熱の南米ギアナから冬のモンパルナスへ蝶のごとくに羽ばたくのだ。
 誰だ!メガネのミキのCMみたいな曲と言うヤツは!
 この甘いテーマ曲とは対照的にエンド・クレジットの前衛的な旋律は、まるでゴールドスミスの『NHK・日本紀行』のよう、いや自身の『猿の惑星』をも感じさせる。
 最後の締めくくりの派手な鳴らし方がハンパねえ!

 

 1974年、サウンドトラック・アルバムはバカ売れ
 数多くのカヴァー・ヴァージョンも生んで、中でもフランスのフランク・プゥルセルのシングルが大ヒットし、隠れカヴァーとしてアメリカの男女コーラス集団トレンドが歌うのも忘れがたい。
 また、数多くのオムニバス・アルバムのジャケットも飾った『パピヨン』は、ゴールドスミス作品の我が国最大のアルバム、シングルの売り上げを記録したのも忘れてはならない(次点としては『カサンドラ・クロス』('76)、『ランボー』('82)辺りか)。

 

 

 マックィーン、ゴールドスミス共々、天国の蝶となった今、両者の最高作は『パピヨン』だ!と叫びたい。
 え?マックィーンの最高作は『荒野の七人』
 『大脱走』
 いや『砲艦サンパブロ』
 ゴールドスミスの最高作は『パットン大戦車軍団』
 『グレムリン』
 『トータル・リコール』だって?
 オーケイ!
  たぶん一晩中議論しても収拾がつかないだろうから、改めて『パピヨン』は、マックィーン、ゴールドスミスにとってベスト作品の一本と言えるだろう、と再び叫ぼうではないか!

 
 

 さて、ラスト・シーンのダスティン・ホフマンの涙をさらに溢れさせたのは、初公開時の1974年の4月下旬の時点で広島県在住の高校2年の女子が、何と!『パピヨン』を14回も鑑賞していたという事実である。
 女子高校生ですよ!
 16歳ですよ!
 学校の帰りに映画館へ通ってたのですよ!
 しかも14回も!
 今で言えば武井咲、AKBの渡辺麻友みたいなコ?が『パピヨン』を観に行っていたのですよ!

 
 このコ「ワタシ、マックィーンに恋狂いしてる!」と言って乙女心、恋に恋するいたいけな純な女子コーコーセーが、『パピヨン』で感動するとは恐るべし!
 いや素晴らしい!
 昭和の女子高校生!
 どうせ今の女子高校生が観ても(ま、まず観ないけど)
 「えー!マジぃ!ムサイ、オッサンばっかじゃん!ムリ、ムリ! てか無実なんか知んねーし。逃げてんじゃねーし。てかギロチン、ムカデ、マジでムリ!え?マチュレットてヤバくね?あの腹筋、ヤバい、ヤバい!てかガチでモーホーじゃん!てか長くね?もうマジでバイトの時間だし!」
 …てなことになるのが普通ですわな。
 それに「あ?ダイバー、見えてんじゃん!CGで消せね?」とか言わなくてもいい事も指摘されるであろうし。
 
 
 現代の女子高校生とは、一分とも会話が出来なくても1974年の女子高校生となら話が弾む事間違いなし(笑)。
 ま、スカートにカミソリを忍ばせている、杉本美樹池玲子のようなスケバン!かも知れないけど。
 でも絶対、彼女はゴールドスミスのサウンドトラックの愛聴は勿論、マックィーンの生き様に惚れぬき、ラスト・シーンで流した14回もの涙は、あのパピヨンが身を投げた真っ青な海のように美しい涙だったに違いない。
 

 

 1979年より現代へ。
 「鹿は一発で仕留めなければならない。」
 ロバート・デ・ニーロ演じるマイケル・ヴロンスキーの信条。
 昼間は鉄工所の仲間達と飲んでは騒ぐが、いざ鹿狩りとなると孤高のハンターと化す。
 そして親友とヴェトナムの戦場へ旅立つ前の約束を何が何でも守り抜く男気溢れる熱き男。
 彼こそ男の参考書!なのだ。
 そして彼に襲い掛かる過酷な運命を優しく癒すのが、スタンリー・マイヤーズの音楽だ。

 

 「結婚してくれる?」
 (一瞬、驚いて)「ええ、いいわ」。
 マイケルの親友ニックと恋人のリンダの最後の会話の後、ニックはマイケルに
 「(戦場で)もし何か起こったら、俺を残して帰らないでくれ。絶対に連れて帰って欲しいんだ。約束してくれ。」
 とマイケルに託す。
 地獄の戦場から一人戻ったマイケルだが、彼の戦場体験は完結していない。
 あの友が居なければ意味がない!

 
 嗚呼、もう男泣きですよ『ディア・ハンター』は。
 何かと名作としての評価は高いのにも関わらず、やれロシアン・ルーレットがだの、ヴェトナムの描写がだの風当たりも強いのも事実ではありますが、本作は青春映画でもあり、平凡な人間達が残酷な運命を受け入れて乗り越えるヒューマン・ドラマでもあるのです。
 別に彼らは政治的な発言は一切語らず、ヴェトナム戦争という運命をすんなりと受け入れて行く。
 そして骨格はどっしりとした男の泣き節
 親友を救いに陥落寸前の炎のサイゴンに降り立ったマイケルは、まるで東映任侠映画の高倉健のようでもあるし、女には理解し難い男の世界でもあるのです。
 「自分は無傷で帰還出来たからいいじゃん。危険を冒すしてまでも戦場へ舞い戻るなんてバカじゃん。」
 と思われても男は無駄な道を行く。
 

 

 待たされる恋人リンダも辛いが、リアル・タイムは観る側がガキんちょのせいで無事帰還したマイケルに
 「(ニックはもう帰ってこないから)ねえ、一緒にベッドへ行かない?」と言うリンダに
 「この尻軽女!乗り換えやがって!こんな女は信用出来ん!」
 と大いに憤りを感じたが、今では痛い程に女の性と哀しみが分かるもの。
 とにかくこの孤独感を一瞬でも忘れたい、恋人に一番近い距離に居たマイケルとなら。
 マイケルが自分の事を好いてるのも利用してまでも深い孤独感。
 マイケルも密かな彼女への思いもあるが、二人でベッドに向かっても、ただ砂を噛むような思いしか残らない。
 このシーンは優しくもあり結構辛いもの…

 

 堅い男の約束を果たしたマイケルの腕の中でニックは息絶える。
 その時、マイケルは絶叫し号泣する
 号泣って最近、
 「ペット・ショップのスコティッシュの猫ちゃんが可愛くて、連れて帰るぅぅって号泣しちゃいました!えへ!」
 とか
 「号泣ぅぅ!ニッポン・チームがシュートを決めました!」
 みたいに簡単に号泣しているが、大きな声で叫びながら泣くのが本当の号泣だ!
 マイケルがニックの血だらけの頭を抱えながらのあのシーンも本当の号泣だ!
 そして1979年の上映後の劇場のロビーでも皆、本当に号泣していた。
 オカンもアネキも「がぉぉぉ!」と獣のように泣いていた。
 マスカラの黒い滝が流れても泣き、別の黒メガネの文化系女子のOL風の姉さんも
 「びえぇぇぇ!ニックぅぅぅ!もうアタシ決めた!今年の盆休み、ニックの墓参りに行くもん!びぇぇぇ!」
 と花のピュンピュン丸のチビ丸のように号泣していた........

 
 

 スタンリー・マイヤーズのテーマ曲「Cavatina」は今でこそ70年代を代表するシネマ・ミュージックのクラシックだが、当時サウンドトラック・アルバムのリリースが、アメリカでは79年の5月、日本では6月と遅れたリリースだったが、いち早くイギリスではシングル盤がCUBEよりリリースされていた。
 後日、判明するのだが「Cavatina」は1971年に存在していたマイヤーズとギタリストのジョン・ウィリアムスの隠れた曲だった。
 そのアルバム『CHANGES』は日本でもリリースされ知れ渡るが、ベルギーではジャケットもディア・ハンター・ヴァージョンでリリースされたりシャドウズのカヴァー・シングルもイギリスなどでリリースされるなどして世界に知れ渡る名曲となった。

 
 

 今ではマイヤーズの名作だが彼はその後、『チャタレイ夫人の恋人』('81)、『O嬢の物語 第二章』('84)などの佳作でも知られるが、あのハンス・ジマーの映画音楽の師匠としても知られる事となったのです。

 時を経ても廃れるどころがさらに輝きを増していく男気のドラマが「ディア・ハンター」であり疲れた男の心の乾きを潤すのが「Cavatina」であります。

 1984年から現代へ。
 とにかく痛快だった。
 リアル・タイムはMTVの全盛期。
 『ストリート・オブ・ファイヤー』は全編を埋め尽くすロックン・ロールにスタイリッシュな映像の丸ごとヴィデオ・クリップのようなロックンロール・ミュージカル。
 ストーリーはいたって単純、誰でも分かる、お姫様(ロック・スター)を助け出す王子様(はぐれ者)のノンストップ・タッチのアクションだ。

 

 その王子様のトム・コーディがカッコいいのなんの。
 無口で無愛想で腕っぷしが強く、ブラック・コーヒーにバイクをかっ飛ばして口惜しい事にニヒルなイケメン。
 こんな王子様が、命がけでお姫様を救おうとするのだから婦女子もウットリ?
 そしてライ・クーダー率いるザ・ライ・クーダー・バンドが奏でるへヴィなブルース・ロックが、タイトに響いてトム・コーディのカッコよさをさらに倍増させていた。
 いよっ!トム・コーディ兄貴、アンタはカッコよかったよ!

 

 別れた元カノが窮地に陥ってると知ったら世の元カレ達は、損得抜きで救いに飛んで行くか?
 苦い想い出が蘇ってもすっ飛んで行けるか?
 我らがトム兄貴は、行くんだよ!
 もしかしたらトム兄貴、単純なバカ?かと思うギャラリーの影の声も耳に入らず極悪集団に囚われた元カノを出前のラーメン鉢を回収に行くがごとくにバイクで救出!
 そして「頼んでもないのに助けにこないで!」とお姫様のワガママっぷりに辟易しながらも珍道中を繰り広げます。

 

 そんな冒頭からエンディングまでの間、鳴り響くロック・ミュージックのカッコいいこと!
 ライ・クーダーのスコアの作曲はクーダー自身とボブ・シーガー
 そして当時新進のロック・バンド、フェイス・トゥ・フェイスのヴォーカリスト、ローリー・サージェントをフィーチュアしたサウンドトラック用バンドのファイヤー・インクのナンバーが燃える!
 ラストの「Tonight is What it Means to Yong」はイギリスで12インチ・シングルでリリースされたり、日本でもシングル・カット。

 
 

 そして日本のテレビの『ヤヌスの鏡』で日本語・ヴァージョンが登場してから、オリジナル英語・ヴァージョンとして改めてリリース。
 また、ダン・ハートマンの「I Can Dream About You」もシングル・ヒットしたりと当時のミュージック・シーンの話題のサウンドトラックとして暴れまくったもの。
 本当に当時はノリノリだった。
 何でだろ?
 観る聴く側が、青春真っ只中だったのかな?

 

 ラスト、後ろ髪を引かれながらも元カノの前から立ち去るトム兄貴。
 元カノは心の奥底で「…帰ってきて…。ヨリを戻したいの、バカ野郎!」と思っている(はず、いやそうに違いない)が、トム兄貴は男勝りの女ソルジャーのマッコイ(リメイクしたらミッシェル・ロドリゲスで決まり)を相棒にして何処かに消えてしまう。
 でも絶対二人に男女関係はない!と言い切れる。
 それは時を経た今でもそういい切れる。
 そして時々、何も考えずにこのロックン・ロールの寓話に身を委ねたくなる。
 そんな夜は勿論、「今夜は青春」!

 1974年3月、マックィーン演じる執念の寡黙な男に感動。
 次いで79年4月、男泣きの仁義に生きるデ・ニーロに心を奪われ、そして84年8月、さっそうと現れた無名のパレ兄貴に痺れた!
 …そんな彼らと出逢ったのは、今は無きシネラマOS劇場だった。

 巨大な湾曲したスクリーンに映し出された男の中の男たち。
 総座席数は1278席
 そんな巨大な劇場を制覇した真の男たち。
 シネラマのスクリーンに70ミリ、シネマスコープを映写して、人呼んでスーパー・シネラマ方式上映!超ステレオ音響!
 『パピヨン』はモノラル、『ストリート・オブ・ファイヤー』はビスタサイズ、と細かいことはどうでもいい。
 今現在、映画館はシネコンと呼ばれる、商業ビルの上階にまるで金太郎飴のようなコンパクトなサイズで仕切られた場所では真の男たちが暴れるのは非常に狭すぎる!
 しかも場内、ロビーカード(スチール写真)、プレスシート等のディスプレイも無く、上映後「とっととお帰り下さい」と言わんばかりの無味乾燥な空気感は一体何だ?
 全く後ろ髪引かれる事なく、去らなければならないのだ。
 そんなシネコンが現代の映画の殿堂とは呼べない!

 

 シネラマOS劇場は、戦後まもなくの1947年にオープン。
 1955年に名称「シネラマOS劇場」としてハリウッドのシネラマ・ドーム(現在も活躍中)と同じサイズで再オープン。
 とにかく巨大なスクリーンに相応しい超大作しか上映されない、映画ファンにはパンテオン!に相応しい劇場だった。
 全席指定席、完全入れ替え制。
 1960年代のお正月興業の際は、劇場前にダフ屋も現れて大盛況であった。
 この劇場、気軽に入れる大衆映画館では全くなく、例えるなら高級レストラン、つまり入場料金がバカ高かったのである。

 

 1974年の『パピヨン』上映時の料金を例に挙げると −

 SS席(座席数46)\2000
 S席(160)\1500
 A席(788)\1100
 B席(284)\900(全て大人当日料金)

 といかに一般人が気軽に「時間あるから映画でも観るべ!」のような気分では入れない。

 

 前売り制度はあるがコンサートのように「希望する日時、座席を指定」して購入
 その日、「あのー、病気になりましたので返金して下さいな。」は通用しないのである。
 日曜日に家族4人でシネラマOSで映画鑑賞後、三番街の中村屋レストランで夕食!なんて軽く万札が吹っ飛び、「あー!何て贅沢な!ブルジョワ一家!」と近所で噂の的になる事間違い無しであった。
 指定席でも購入したら、約1週間前から体調を整え、前日にはオトンに「早く寝ろ!」と怒鳴られて当日に挑むのである。
 劇場のバカでかさに驚き、入場すればプログラムの販売嬢の特別ブースもあり、球場のスタジアムのように「何番入り口」が無数にあり、しかも指定席まで案内嬢が連れてってくれるのだ!(その時のオトンはニヤけていた)
 巨大な(現在のシネコンの最大スクリーンの数倍大きい)スクリーンに映し出された作品に酔いしれて再びロビーに行くと売店では、上映作品のポスターが\100で販売。
 場内、場外に張り巡らされたロビー・カード、ポスターの数々。
 うしろ髪を何百回も引っ張られて劇場を後にした。
 その後、劇場付近のロケーションも理解して行った。
 隣にはOSレコードというショップがあり、勿論上映作品のサウンドトラックを販売。
 そして劇場横の細い筋には立ち食いうどん屋
 ここのきつねうどんが旨いのなんの!
 真冬に食すと何故か幸福感が腹に染みたもの。
 また、場内の売店で販売されていた「殿様印の味カレー」なるかっぱえびせんに似たスナック菓子もこれまた鑑賞の良き相棒でもあった。

 

 このシネラマOS劇場は観光地としても全国に知られており、地方からの旅行コースにも組み込まれ、OS劇場でシネラマ映画鑑賞というのは金閣寺に行くのと同格でもあったのだ。
 しかし1980年に隣に別の劇場がオープンした頃から超大作はその別の劇場に奪われ、上映作品もシネラマOSの看板に相応しくない作品が上映されることとなる。

 

 やがて指定席制、入れ替え制も無くなり(まるで『パピヨン』の収容所が閉鎖されたように!)、ロビーにはゲーム機が設置されていく。
 表では倉庫蔵出しのポスター、チラシ、宣伝材料等のショップもオープンとこの時期、マックィーンには相応しい劇場ではなかった。
 いや、この時マックィーンはもう既に死んでいた!
 …そして1991年2月、シネラマOS劇場、崩御(でも「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。」と思っている)。

 

 時々、こんな夢を観る。
 ―目が覚めるとそこは、かつてのシネラマOS劇場のど真ん中の座席。
 そして映写が始まると、かつての我がヒーロー達の連続上映が始まる。
 勿論、『パピヨン』、『ディア・ハンター』、『ストリート・オブ・ファイヤー』。
 歓喜の涙をぬぐうその手には味カレー。
 「嘘だろ?これは夢?」と劇場横の立ち食いうどん屋で腹を満たした時、何故かいつもここでこんな白昼夢から目覚めてしまうのだ―。