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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Tony Arzenta (a.k.a. Big Guns)
主演 アラン・ドロン
監督   ドゥッチオ・テッサリ
音楽   ジャンニ・フェリオ

 …もし、あのジャンニ・フェリオの哀愁のテーマ曲が聞こえてくるならば…
 …あの野沢那智の声を思い浮かべて読んで欲しい…

 俺は決心した。
 毎晩、息子の寝顔を見てから眠りに就くこの俺にとって、息子は命も同然だ。
 その息子も7歳になった。
 息子の誕生日に、俺は決心した。
 「足を洗うんだ。今が潮時だ。」
 そう、俺はイタリアはミラノにある暗黒の組織、シシリー・マフィアの殺し屋なのだ……

 

 組織での将来は保障されている。
 金にも困らない。
 だが息子が俺の仕事を知る時は、いつか必ず来る。
 息子にもこの稼業を継がせるか? 冗談じゃない。
 もう闇の中で生きるのは御免だ。
 今夜の仕事で最後だ!
 トリノでの仕事は簡単だった。
 サイレンサー付きの銃で、標的に鉛弾をぶち込んで終わり、だ。
 何の感情も要らない。
 虫を殺すのと同じだ。
 …だが『殺し』に何も感じなくなってしまった俺には、とことん嫌気がさしているんだ…

 
 

 翌日、組織のオフィスで俺はボスのニックに告げた。
 「俺、トニー・アルゼンタは、堅気になる」と。
 ニックは「トニー、本当に足を洗えると思うのか?考え直せ!」と説得したが、俺は耳を貸さなかった。
 俺の決心が揺るがない事を、ニックはよく知っていた。
 ニックは「ヨーロッパの組織の幹部達の了承を得る」と俺に約束した。
 そう、ボスは俺に恩義があるのだ。
 俺はニックを信じた…

 
 

 ある朝、妻と息子は、車で出かけようとした。
 俺は窓から見送っていた。
 しかし、二人が乗り込んだ直後、車は爆発炎上した!
 ダーバン!何てことだ!」
 俺は凍りついた。
 理由はすぐにわかった。
 組織は俺に『永遠の沈黙』を与えようとしたのだ。
 だが間違って妻と子供が犠牲になってしまった。
 俺の身代わりに!

 

 

 俺は組織への復讐を誓った。
 弟分のドメニコに隠れ家を用意させ、早速、行動開始だ!
 組織もヒットマンを使って俺を消そうとしたが、俺はヒットマンどもを血祭りに上げてやった。
 パリに潜んでいる幹部もぶっ殺してやった。
 そしてハンブルグに逃げようとした幹部も列車内で怒りの銃弾をブチ込んでやった。
 昔なじみの組織の情婦のサンドラも俺に同情して情報をくれた。
 幹部の一人がコペンハーゲンに居る。
 俺はそこでも幹部をあの世に送ってやった。
 しかし負傷してしまった。
 病院に行けば警察や組織にバレてしまう。
 俺は昔の友人のデンニーノに助けを求めた…

 

 ミラノに戻った俺は、組織の恐ろしさを知る事となった。
 弟分のドメニコが殺され、サンドラをリンチして俺をおびき出して殺そうとしていた。
 でも俺は、先手を打ってサンドラを救い出して刺客を仕留めた。
 この時、俺はこの復讐に空しさを感じていた。
 人殺しが嫌で足を洗おうとしたのに又、俺はそれをやっている…
 俺はサンドラと共に故郷のシシリアへ出向いた。
 そんな時、ボスのニックが神父を通じて俺に伝えてきた。
 「なあ、トニー。もうお互い無駄な血を流すのは止めて手打ちにしないか?
 俺は半信半疑だったが、神父の説得もあってその話に乗る事にした。

 
 

 俺を安心させたのは、ここシシリアでニックの娘の結婚式があるという事実だった。
 俺にも出席して欲しいという。
 「まさか娘の前で俺を消そうとしないだろう」と俺は思った。

 無事、平和な式は終わった。ニックも俺に和解の会釈をした。
 俺は、晴れ晴れとした気分で教会の階段を下りた。
 その時、友人のデンニーノがやって来た。
 俺は笑顔で近寄ったその時、俺の腹には鉛の銃弾がブチ込まれていた!
 「おまえ、デンニーノ!」
 俺の意識は、だんだん遠のいていった。
 息子と妻の顔が、浮かんで来た。
 その時、あのメロディが、聞こえてきた…
 パローレ!パローレ!(口先だけね)だ!…
 そう、奴らはパローレ!
 口先だけだったんだ…

 
 


 『ビッグ・ガン』1973年11月に日本で公開されたんだよね。
 この時、音楽のジャンニ・フェリオはある1曲の歌で有名だったんだよ!
 そう、ダリダとA.ドロンが歌う『甘い囁き』なんですよ!
 この歌、ドロンがセリフを語り、ダリダがそのセリフの合間を縫うように歌う曲なんです。
 それはもう大ヒットしました!
 あのサビの部分、「パローレ!パローレ!」は当時の男女は、誰でも歌いましたもん。
 この曲の作曲者が、ジャンニ・フェリオなんです。

 

 元々、この曲はフェリオが、ミーナの為に書き、ミーナとアルベルト・ルーポのコンビでヒットしたもの。
 まあ、この歌、日本人が絶対、カヴァーしたら駄目な曲ですよ!
 だって歌詞の意味は、ドロンが歯の浮くようなキザなセリフで女を口説き、ダリダの歌う女側が、その誘いを軽くあしらうんだけどめげずにドロンは、さらに口説こうとする歌なんです。
 だから「パローレ!パローレ!(口先だけね!)」なんですよ。

 
 ジャンニ・フェリオという人はイタリアでは、ミーナ、オルネラ・ヴァノー二カテリーナ・ヴァレンテらイタリアン歌謡曲の作曲家で有名な人。
 数々の歌を書きサン・レモ音楽祭に曲を送りました。
 勿論、映画音楽界でも活躍。
 同期のエンニオ・モリコーネら同様、マカロニ・ウェスタン、アクション、ドラマ等、映画のあらゆるジャンルのスコアを手がけ、まるで「映画音楽の大衆食堂屋」の如くに腕を振るいました。
  代表作は色々ありますが、マカロニ・ウェスタンでは『荒野の1ドル銀貨』('66)、『さいはての用心棒』('67)、『新・脱獄の用心棒』('72)、『新・さすらいの用心棒』('76)などが有名な所。
 その他にもラブ・コメディの『イタリア式恋のアタック作戦』('73)、イタリアン・ジャーロの『ストリッパー殺人事件』('73)、『殺人迷路』('74)なども代表作でしょうか。
 

 『ビッグ・ガン』のスコアを担当するのは、恐らく監督のドゥッチオ・テッサリの希望でしょうか。
 『荒野の大活劇』('69)でも組んでますし。
 実質、映画のプロデューサーはアラン・ドロン自身ですので彼の意向次第でフランスの作曲家も起用出来たと思います。
 でもフェリオでOKしたのは自身の曲、『あまい囁き』があったお陰かも知れません。

 

 フェリオの魅力は、やはりその歌うようなメロディ・ラインでしょうか。
 どの作品も歌い、そして華麗なるアレンジが堪能出来ます。
 どうしてもモリコーネ、アルマンド・トロヴァヨーリピエロ・ピッチオー二ら同期の活躍組に比較すると影になりがちですが、フェリオ自身のホームグラウンドは、映画界ではなくイタリアン・ポピュラー界だったのかも知れませんね。
 テレビやミュージカル(マカロニ・ウェスタンのミュージカルもありました)も担当してイタリアのあらゆるレーベルでレコード・プロデューサーとしても活躍、自身でムーディなイージー・リスニングのアルバムもリリースしていました。

 1990年代、イタリアのEASY TEMPOレーベルでいくつかのフェリオの作品がリリースされました。
 その時、フェリオの魅力に触れた方も多いでしょう。
 実際、もっと評価されてもいいのではないでしょうか。
 イタリアの作曲家はモリコーネだけではないのですから!

 テーマ曲『トニーのテーマ』(by SEVENSEAS in JAPAN)は最高に男泣きのバラード!
 主人公、トニーの悲しみを語るこの曲。
 哀愁と悲愁が合わさり、悲しき男の後姿に合う曲
 ハーモニカの哀愁がたまらなくいい。
 そうだ!この曲、フェリオの名作マカロニ・ウェスタン、『さいはての用心棒』にも似ている!
 このテーマが様々なアレンジでトニーの殺しの場面に流れるという音演出は、典型的な様式美の世界、マカロニ・ウェスタン方式ですねえ!
 当時の男も女もこんなスタイルには痺れるんです。

 

 フェリオは、1973年当時のアクション・スタイル、つまり当時世界を席巻していたファンキーなブラック・シネマ・スタイルでそのスコアを際立たせています。
 オルガンのファンキーなビートにジャズ・ロックのリズムが、バック・アップ。
 そしてストリングスが援護射撃。
 本場のサウンドに比べてこちとらイタリアンですよ!
 マカロニ・ウェスタンの哀愁攻撃なんですよ!
 『ゴッドファーザー』のニーノ・ロータ『バラキ』のリズ・オルトラー二のような「ギャング・シネマ」のサンプルとは違い、ドロン作品は、1973年の現在、そう、ナウ!なサウンドなんです!

 

 1973年当時、イタリアと日本でリリースされたサウンドトラック・アルバムは、何故か内容の異なるアルバム。
 イタリアはARIETEからリリースされたアルバムは15曲入り。
 日本はSEVENSEASレーベルでジャケット違いの上、13曲入り。
 イタリア盤より曲が少ない上、セリフも少し収録され、曲の編集なども異なりますね。
 でも映画、本編と同じ順番に曲の長さも同じという「まるまる映画のサウンドトラック」をレコード化したものなんです。
 イタリア盤はアルバム・ヴァージョン、日本盤はシンプルな映画ヴァージョンと言えるでしょうか。

 
 そして日本盤にはメイン・タイトルに流れる、オルネラ・ヴァノー二の歌『逢びき』を収録しています。
 この歌はイタリア盤には、収録されていません。
 そもそもこの歌は、映画の為の曲では無く、当時アラン・ドロンが好きな歌手という事で特別に使用された歌なんです。
 ドロンは前年の『高校教師』('72)でもオルネラの歌を使用しましたし、今回も特別使用という事なんでしょう。

 

 どちらのヴァージョンがいいか?なんて比較は、当時は出来ませんでした。
そもそも輸入盤としてイタリア盤を所有していた方なんて皆無に等しかったでしょうし。
 日本ではシングル・カットもされました。
 そしてミッシェル・クレマン楽団やシー・ヴァレンツ・オーケストラのようなカヴァー・ヴァージョンもチラホラとありました。

 

 当時、アラン・ドロン主演作の曲は比較的ヒットする傾向にありましたが、この『ビッグ・ガン』は大ヒットとは行かなかったようです。
 時は流れて1999年、イタリアの新興レーベル、EASY TEMPOより21曲の増補ヴァージョンでCDとLPがリリースされるなんて夢のようでしたね!
 しかもオルネラ・ヴァノー二の歌も収録!
 これでトニーも安らかに眠れたことでしょう。

 

 …未だ野沢那智のあの声が、脳裏に残っていたならば…
 …もう少しあの声で読んで欲しい…

 あれはいつだったか?
 遠い記憶の紐を解いてみる。
 そう、1976年だ。
 春か…夏か…はたまた秋か…?
 いや、冬だったかもしれない。
 そう、『ビッグ・ガン』がテレビ放送された時だ。

 

 放送局はテレビ朝日
 番組は『日曜洋画劇場』
 解説は淀川長冶
 ドロンの吹き替えは野沢那智
 番組提供スポンサーはSEIKO。
 時計のCM。
 ストックホルムかどこかで金髪の女の子が「わったいずむなう?」と微笑む。
 それからネスカフェ。
 このCMのBGMは「やさしく歌って(キリング・ミー・ソフトリー)」
 そしてドロンのCM、紳士服のダーバン
 1971年から始まったドロンのダーバンのCMは、当時誰でも知っていた。
 そう、アラン・ドロンも当時、とうちゃん、かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんから子供でも知っている外国のスターだった。

 

 アラン・ドロン。
 イコール「男前、ハンサム、美男子、モテ男」の代表格。
 今でいうイケメン
 しかしドロンはそんな甘い男ではなかった。
 冷たいイメージ。
 眉間のシワを寄せる独特な表情。
 その笑みは危険な香り。
 女は皆、ドロンの虜になる。
 しかし当のドロンは、女を愛さない。他人を愛さない。
 自分自身を愛する、自分自身しか信用しない危険な香りの男だった。

 

 1935年のさそり座生まれ(スコルピオ!)。
 両親は早くに離婚しアランを放り出した為、少年時代には既にいっぱしの不良になっていた。
 愛に飢えてチンピラ生活。
 14歳でヤクザに憧れてシカゴに行こうとするが、警察に捕まり放浪。
 17歳で志願兵となりインドシナ戦線に参加。
 そして復員後、パリでブラブラしていた時は女にモテた。
 そんな当時の彼女が女優で、彼女の紹介で映画界入りを果たした。

 

 ドロンの映画の役はどれもが「人殺し、犯罪者、殺し屋、ギャング」だった。
 そんな役柄で人気を上げて実力をつけていった。
 銃を撃つ時、瞬きもせず射撃。
 しかも無表情で撃つのは、実際に戦地で人を何度も撃ち殺していたからだろう。
 1960、70年代は日本では、大人気のドロン。
 日本のCMも好評な時。
 当時の女性達は、危険な香りのドロンを愛し続けた。
 そんな絶頂期、ドロン作品がテレビ放送されるのはひとつのイヴェントだった。
 勿論、『ビッグ・ガン』は高視聴率をマーク。
 その後も何度もリピート。
 一体、ドロンの作品は一年に何本、放送されていたんだ?

 

 しかし1980年代に入るとフランス映画、ドロンの人気も衰退。
 ダーバンのCMも1980年で終わりを告げた。
 でもテレビ朝日は日曜劇場でドロンの未公開作品を『復讐のビッグ・ガン』『必殺ビッグ・ガン』などのタイトルで放送していた。

 そんなドロンは、日本の阪急交通公社とタイアップして、日本の往年のファンのおばちゃん達をターゲットにしたパリ・ツアーとして『アラン・ドロンと夕食会』なるツアーを、それは何年も続ける「実業家・ドロン」として活躍していた。

 
 

 1973年、ドロンは「すべてが不確実なこの世で、ただひとつ『死』だけが確かだ。だから私は死を恐れない」と語った。
 そう、今でもドロンは生きている。
 どんなに売れない香水、『Samourai(サムライ)』をプロデュースしても、身に付けるのも恥ずかしい『アラン・ドロン印』の時計を売り出してもドロンは生きている。
 大阪は難波に「アラン・ドロン・インフォメーション・デスク」なる事務所も未だ健在だ。

 …ダーバン。
 ドロンは死なない。

"D'urban c'est l'elegance de l'homme modeme"
(ダーバンは現代を支える男のエレガンス)