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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Sorcerer: 恐怖の報酬 (1977)
監督・製作   ウィリアム・フリードキン
主演 ロイ・シャイダー
音楽(作曲・演奏) タンジェリン・ドリーム
Sorcerer
 南米奥地の寒村・ポルベニール
 いや、そこはお世辞にも「寒村」とすら言えないような、文字通りの「掃き溜め」だ。
 そこに、さながらアリ地獄に落ちたアリの如く、ドン底から這い上がろうとしている男たちがいた。
 皆、一度は「死んだ」連中ばかり。
 そんな彼らに与えられた、自由と再生へのチャンス―
 

 

 南米のジャングル地帯の油田で発生した火災を鎮火させる為、トラックでニトログリセリンを運ぶという任務だ。
 簡単なようだが、ほんの僅かなショックでも爆発を起こすニトロを、ジャングルの悪路を突っ切って300キロ先の油田まで運ぶという殆ど自殺行為のような命がけのミッションである。

 だが、ここから抜け出せるなら死をも恐れはしない!

 
 ”運転手求む。4名。高報酬確約。
ただしボーナスは一瞬で地獄行きの特急券―”
 
 

 この危険極まりない任務に志願したのはドミンゲスセラーノカッセムニーロの4人。
 ドミンゲスは強盗を働いてニュージャージーから、セラーノは銀行取引の不正がバレてパリから、カッセムは爆弾テロを起こしたエルサレムからそれぞれ逃亡し、名前を消し、過去から逃れて偽名で生きる連中だった。
 ニーロは特に逃亡しているわけではないようだが、不気味な雰囲気を持つ一流の殺し屋であった。
 皆、石油会社から支払われる報酬を手に、この掃き溜めからの脱出を夢見ていたのだ。

 
 だが運搬に使えるトラックは殆どスクラップ同然の代物。
 4人は使えるパーツを寄せ集めて何とか動く程度まで2台を修理し、さらに出発直前に石油会社の責任者に交渉の末、報酬を倍増させることに成功する。
 しかし貪欲なまでの執着心に突き動かされた彼らも、大自然の魔物のようなジャングルの道中でこの世の地獄を味わうとは予想だにしなかった。
 

 

 叩きつけるように降りしきる雨と嵐、舗装されてない砂利と泥濘の悪路、さながら迷路のようなジャングル、殆ど朽ち掛けた地獄のようなつり橋、そして嵐による巨大な倒木が彼らの行く手を阻む。
 運命の神から出されたとしか思えないような難関を、しかしなんとか突破してゆく男たち。
 それは是が非でもここを抜け出す、という強い意思の力のなせる業であった。
 烏合の衆に過ぎないと思われていた彼らの間に、いつの間にか僅かな連帯感も生まれ始めていた。
 だが、神に挑戦し、見事打ち負かしたと確信する彼らの背後には、刻一刻と魔術師(SORCERER)の魔の手、運命の最後のカードが切られているとは、神ならぬ身の知る由もない―。

 
 

 彼らが運命の魔術師の罠に嵌ったと気がついた時には既に遅かった。
 ふと柄になく故郷の家族について語りだした直後、タイヤがパンクしコントロールを失ったトラックは崖下へと転落、積荷のニトロで粉々にフッ飛ぶセラーノとカッセム。
 その爆発音に引き寄せられるように現れた山岳ゲリラとの睨み合いの末、地獄に引きずりこまれたニーロ…

 気が付くとドミンゲスはたった独り、迷路のような山岳地帯で道に迷い立ち往生していた。
 エンジンはガス欠、彼をあざ笑うかのような死神の高笑いが耳にこびりついて離れない。
 悪夢のような難所を潜り抜けたのに、皆ほんの「はずみ」でいとも簡単に命を落としてゆく。
 ニュージャージーで死の淵から潜り抜けてきた俺も、とうとうここで終わっちまうのか?
 死への恐怖のあまり錯乱し、狂気に陥りかけたドミンゲス。
 しかし彼の生への執着心が死神を追い返したのだ。
 なんとか一人生き残り、無事ニトロを運び終え、石油会社から莫大な報酬を手にするが、既に生きた心地はしなかった―

 
 
 だが彼が生き残った事さえも、死神の掌の中でのささやかな悪戯にすぎなかった。
 運命を操る魔術師と死神は結託して、つかの間の安息を享受しているドミンゲスの背後に冷たく歩みよっていた…
 

 1974年、ウィリアム・フリードキンは自身の作品『エクソシスト』のキャンペーンの為、滞在中のドイツ・ミュンヘンでタンジェリン・ドリームの音楽を聴いた。
 おそらく当時タンジェリン・ドリームがVIRGINと契約しリリースしたアルバム『PHAEDRA』を聴いたのだろう。
 この時点でフリードキンは音楽に感銘を受けたのみだった。
 

 

 だが、翌年『恐怖の報酬』の製作が決まるとパリでタンジェリン・ドリームのメンバーとミーティングを持つ。
 そこで彼らにストーリーを話し脚本を手渡すと、即座にフリードキンの依頼を快諾。
 そして撮影開始後6か月ほど経ってから、撮影中のドミニカ共和国のジャングルに彼らから約90分のテープが届けられた。
 彼らは映像を一切観ずに作曲・録音しフリードキンを驚かせた。
 このテープのおかげで、困難な撮影で頭を悩ませていたフリードキンは奮起し、無事撮影は終了した。

 
 フリードキンは後にこう語っている。

 「彼らの音楽が場面ひとつひとつのニュアンスを捉え、高めることを可能にしてくれた。
  この映画は彼らの音楽によって作られたのだ」

 タンジェリン・ドリームの音楽は単調なリズムの反復シンセサイザーの魔力によって、心理的な圧迫・緊張感を引き起こすような効果をうまく取り入れている。
 映画の原題、SORCERER(魔術師)に相応しく、多重録音のシンセサイザーの音楽が呪文のようでもあり、次々と展開する心臓も凍りつくような恐怖の場面の連続にジワジワと浸透し、観ている者を地獄へと誘う。

 少々極論となるが、フリードキンは格別、彼らの音楽を愛しているわけではない。
 あくまでも映画の効果を上げる「音響の道具」であったに過ぎない、と言ったらそれは言いすぎだろうか?
 元々フリードキンは

 「閉所恐怖症と不条理な恐怖が私を捉えるテーマ。
 逃げ場のない緊張状態におかれた人々に引き付けられる。
 主人公たちはいつもなにか強迫観念に取り付かれているのだ」

 と語っていた。
 『フレンチ・コネクション』('71)や『エクソシスト』('73)同様、この『恐怖の報酬』も音楽は緊張に満ちた状況を作り出す演出法でもあるだろう。

 

 しかしフリードキンは編集作業中にタンジェリン・ドリームの音楽だけではどうも物足りなさを感じていた。
 そこで彼はその時点でリリースされたドイツ・ECMレーベルの前衛ジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットのアルバム『HYMNS SPHERES』から『SPHERES(MOVEMENT 3)』を、なんとオープニングから随所で使用することとした。
 このアルバムはジャレットが西ドイツの教会でパイプオルガンで即興演奏した前衛音楽である。
 その曲を油田の火災現場、恐怖の遭遇シーンやら、ロイ・シャイダーがクライマックスで死神に導かれて迷うシーンに使用するなど、ある意味タンジェリン・ドリームのオリジナル音楽を追い出してまでも効果を上げる結果となっていた。

 

 さらにラストの安酒場および国際版の短縮版のエンド・タイトルに流れたのは、ジャズ界の大物チャーリー・パーカー『I'LL REMEMBER APRIL』だ。

 さて、1977年の公開時、このタンジェリン・ドリームのサウンドトラックに随喜の涙を流している若き映画監督が2人居たのをご存知だろうか。
 彼らは将来、彼らに自作のスコア作曲を依頼しようと心に誓っていた。
 その1人は劇場映画デビューの『ザ・クラッカー 真夜中のアウトロー』('80)と『ザ・キープ』('83)でタンジェリン・ドリームを起用したマイケル・マン
 そしてもう1人はジェームス・グリッケンハウスだ(『ザ・ソルジャー』('82)。『マクべイン』('92)では脱退したメンバーのクリス・フランケと組んだ)。

 タンジェリン・ドリームがその後サウンドトラック・バンドに移行していくのも、全ては『恐怖の報酬』が原点なのである。

 1977年当時、タンジェリン・ドリームはVIRGIN UKと契約しており彼らのアルバムはVIRGINよりリリースされていた。
  だが『恐怖の報酬』は製作会社がUNIVERSALの為、特例でサウンドトラック・アルバムはMCAより12曲入りのアルバムがリリースされた。
  アルバム・プロデュースは勿論彼ら自身が担当。
  アメリカを始めイギリス・フランス・イタリア・日本など、世界中のあらゆる国でリリースされた。

 
  しかしこのタンジェリン・ドリームのサウンドトラックは、聴く者を優しい気持ちにしたり、感動させたり、涙させたり、安らぎを提供するような癒しの音楽では決して無い。
  時に聴く者を限定して拒否反応を起し、苛立たせ、怒らせ、不快にさせ、むしろ狂気へと駆り立てるようなソリッドな音楽だ。
  ただ聴く者に『極限の緊張感』を感じさせる特殊なアンヴィエント・ミュージックであるのは間違いない。
  彼らの作り出した曲は、ただ音楽を音楽として愉しむのではなく、肌で感じてその何かを生み出す感情、あるいは彼方に見える『何か』を体感するのだ。
 
 

 アルバム収録曲の全てが劇中に使用された訳ではないが、1曲1曲が研ぎ澄まされており、決してその緊迫感は最後まで失われていない。
  映画自体のオープニングはキース・ジャレットの曲だが、タンジェリン・ドリームのスコアで劇中最初に流れるのはエルサレムのシーンでの「Search」
  ドミンゲスらが無言でトラックの整備を行うシーンの「Creation」、凸凹道を走るシーンの「Glind」は映像との一体感が鳥肌ものだ。
  そして絶望のラストからエンド・タイトルの「Betrayal」は予告編にも使用され「恐怖の報酬のテーマ」とアルバムにクレジットされている。
  やがてエンド・タイトルでは引き続き「Glind」が流れてこの恐怖の旅は終わる。

 

 アルバムのセールスはアメリカ・日本では振るわなかったが、イギリス・ドイツではベストセラーとなり、リリースから10年経過しても堂々のレギュラー・アルバムとして好セールスを記録。
 そして1990年代にはスムーズにCD化も行われた。
 映画本編は置き去りにされた感じだが、タンジェリン・ドリームの音楽は堂々と歩き続けているのが頼もしい。

 
 『恐怖の報酬」の旅はその後も続く。
 1977年当時のメンバーはエドガー・フローゼただ一人となった2000年、ドイツ・TDIより『ANTIQUE DOREAMS』なるCDがリリースされた。
 このCDは1980年代のTVのサウンドトラックを中心に収録されたレア・トラック集だが、ここに1981年のサンフランシスコでのライヴ録音の「恐怖の報酬 + ザ・クラッカー」が収録されるという嬉しいサプライズが!
 そして2003年にVIRGIN UKより『TANGENTS 1973−1983』なる5枚組のCD SETがリリース。
 エドガー・フローゼ自身がチョイスし新たにレコーディング部分をリミックスして全曲を一新したこのSETだが、なんと『恐怖の報酬』からの6曲が新ヴァージョンとして聴けるという、マニアには無視出来ないシロモノである。
 
 
 さて、この『恐怖の報酬』を憑き物のように聴きまくっていたのは1980年当時のA君である。
 彼は1978年から延々このアルバムを聞きまくっていた。
 そんな1980年の3月、A君は高校受験の発表を目前にしていた。
 両親や友人には「余裕で合格っすよ!」と豪語し、合格したら親に「アレもコレも買ってもらう!」と皮算用まで毎日考えていたそうだ。
 そして発表日、余裕シャクシャクで自身の受験番号を探すA君だったが…彼の番号だけが永久欠番…。
 勿論、A君は全身の血が凍りつき、青ざめた。

 「お、親になんと報告しようか…?」

 

 帰り道、親に電話も入れずにA君は途方に暮れた。
 そこで彼の脳裏に浮かんだアイデアは
 「ロイ・シャイダーのように名前を消して消えよう。北海道の牧場で働こう!」
 …決心するが早いか電車に乗り、逃亡の旅に出た。
 その時、A君の頭には「Betrayal」が鳴り響き、心はすっかりロイ・シャイダーになりきっていたという。
 しかし高揚感もつかの間、フラリと降りた駅前の「丼物・麺類一式 食堂 角屋」木の葉丼を食べていると急に心細くなり、泣きじゃくった。
 あまりにも無様な姿に驚いた食堂のおばちゃんに背中をさすってもらい、
 「人間、生きていたら色々あるわよ。これでも飲みんさい」
 と無償で差し出された三ツ矢サイダーにA君の涙はさらに溢れ出した。

 

 食堂内の電話で親に電話を入れ、おかんに「早く帰って来い!」と怒鳴られた時、A君は我に返った。
 なんだかホッとして家路を急ぐ時のA君の頭には、タンジェリン・ドリームの緊迫感に満ちた曲ではなく、A君が名画座で観た『恐怖の報酬・短縮版』のエンド・タイトルで流れたチャーリー・パーカーの「I'll Remember April」がやるせなく流れていたらしい。

 ここで彼の『恐怖の報酬』の旅も終わったのだ…

 1974年、当事ウィリアム・フリードキンは世界の映画監督の頂点に立つ男だった。
 若干35歳『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』の連続ヒットで彼には不可能を可能にするなどたやすい事だった。
 むしろ太陽を消してしまう事すら朝飯前だったろう。
 さらに当時11歳年上のフランスの大女優ジャンヌ・モローも恋人として手に入れた。
 フランスの鉄火面のコワモテかつクールな大女優年下の色白・眼鏡のフリードキンにメロメロだった。

 

 彼は次回作は自身で製作も担当し、本当にやりたい作品をやる、と心に決めていた。
 そして1953年のアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画の名作『恐怖の報酬』をリメイクする企画に夢中になり、それを次回作とすることに決めた。
 なんとなくベッドでモローに話すと彼女もこの年下の恋人の為に力を発揮するようになる。
 彼女のフレンチ・コネクションをフルに使い、なんとクルーゾー監督に会う約束をアレンジして、見事リメイクを許可する約束を取り付ける事に成功する。

 

 そしてフリードキンはUNIVERSALPARAMOUNTの2社に莫大な製作資金を捻出させ、1976年からモローの故郷・パリで撮影をスタートさせた。
 その後、ドミニカ共和国にて数ヶ月の過酷な撮影が続く。
 そんな現場でも才能溢れる色白の眼鏡男は怒鳴り、自分のやりたいように撮影を続行させた。
 例の嵐のつり橋のシークエンスなど想像を絶するショットを熱帯のジャングルで見事にカメラに収めた。
 撮影終了後、フリードキン含むスタッフは熱病で何日もうなされたという。
 その後フリードキンは自分の思うように編集に没頭。
 傍にはモローが居たお陰で彼は勇気溢れてその仕事も無事完了させた。

 
 
 ついに彼は自信満々で作品を完成させ、1977年の公開を迎えた。
 この年、フリードキンと年上のモローは正式に夫婦となる。
 フリードキンは公開されたら『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』以上の絶賛とヒットを確信していた。
 「オレには怖いものなんてない!」と豪語した彼だったが、いざ映画が公開されると―
 非難と不評の波が一気にやって来た!
 そして頭の固いヨーロッパ系のシネフィルからは「古典に対する冒涜だ!」と一斉に野次られた。
 

 フリードキンは落ち込んだ。
 無理もない、あれだけ苦労して作り上げた自信作が一夜にして奈落の底に突き落とされたのだ。
 スタジオは全米以外では収益を上げるため短縮したハッピーエンド・ヴァージョンを作り、タイトルも『SORCERER』から『WAGES OF FEAR』に変えて公開した。

 

 しかし結果は同じことだった。
 フリードキンは絶望のドン底に落とされ、その後約10年間は『恐怖の報酬』の挫折から抜け出せなかったという。
 1979年にはモローも彼の元を去った。

 この時、フリードキンは魔術師の運命に操られていたのだろうか?
 ドミンゲスは自分自身だったのか?
 それとも?

 しかし、フリードキンは死ななかった。
 『ブリンクス』('78)ではライトタッチの実録・強盗ドラマでリラックスして一線に復帰。
 続く1980年にはアル・パチーノ主演の『クルージング』で本来のフリードキンの底力を観せて、1985年には大傑作『L.A.大捜査線 狼たちの街』を世に送り出したのだ。

 
 
 
 

 ここで今あらためて『恐怖の報酬』について考えてみたい。

 公開当時、古典に対する冒涜だのアメリカ人のフランス人に対するコンプレックスだのとほざいたシネフィル達はもう消え去った。
 モノクロの古典を見事にギラギラした現代版に作り変えた魔術師は、フリードキンがそのトップバッターと言えるだろう。
 そしてその後もブライアン・デ・パルマが古典の『暗黒街の顔役』('32)をリメイクした『スカーフェイス』('83)も公開時の反応を見れば『恐怖の報酬』とまるで同じだ。

 
 今流行の魂の抜けた安直なリメイクとは異なり、フリードキンが挑んだこの『恐怖の報酬』は、神に挑んだ人間の底力を見せた男の執念でもあり、決してそれは今でも色褪せてはいないのである。