ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
オーストラリアの真っ赤な大地にそびえるエアーズロック。 ここで大規模な麻薬取引を追ってカーチェイスが繰り広げられていた。 激しい追撃の末、中国人の犯罪者チャン(サモ・ハン・キンポー)が逮捕される。
一方その頃、香港警察の特別支局員ファン・シンレイ刑事(ジミー・ウォング)は香港上空を無許可でハンググライダー飛行をしたキャロライン(ロス・スピアーズ)を逮捕…したはずが早速懇ろになりホテルで濃厚なラブシーンをキメるのであった。
豪州当局よりチャン逮捕の報を聞いたファン刑事は身柄引取りにオーストラリアへ向かう。 シドニー警察のウイラード(フランク・スリング)とイモータン…じゃなかったモリー(ヒュー・キース・バーン)と合流、留置場で早速チャンをボッコボコに折檻し、「豪州じゃそんなの禁止なんだよ!人権知らんのか!」とたしなめられる。
翌日裁判所での犯罪者送還手続きに向かう途上、チャンが何者かに狙撃され暗殺。 この麻薬取引事件の背後に潜む暗黒街の首領・ウィルトン(ジョージ・レイゼンビー)の存在を嗅ぎ付ける。 外国ゆえ捜査権限が無いにもかかわらずウィルトン主催のパーティに殴り込みを掛け難癖をつけるファン。 さらにウィルトン経営の空手道場に殴り込みを掛けるなど暴れたい放題。 しかし手練れの手下の反撃に遭い、瀕死の重傷を負う。
彼を助けたのはたまたま近くを通りかかったワゴン車を運転していた若い女性、アンジェリカ(レベッカ・ギリング)。 彼女の父がたまたま獣医という大変都合の良い展開で一命を取り留めるファン。 さらに回復と同時にアンジェリカともさっそく懇ろとなるファンであった。
しかし好事魔多し。 ウィルトン一味の待ち伏せに遭い、山道でのカーチェイスの末アンジェリカが死亡。 烈火の如く怒りに燃えるファンは通りがかりの車を強奪しウィルトンの手下を追撃、これを殲滅するのであった。
ファンはウィルトンを大金庫に押し込めた上、ロープを伝ってビルの最上階から華麗に脱出。 「これがウィルトンの犯罪の証拠だ」 「なんてこった、まったく大したタマだよあんたは!わあっはっはっは」 と呑気に爆笑するシドニー警察コンビを尻目に最上階ではウィルトンが爆死、大金庫内の火薬に次々と引火しビル屋上は壮絶に火柱をあげて燃え上がるのであった。
あの昭和四十八年から五十一年をワンパクに生きた我ら小学生達にとっては、ガキんちょから大人(ロクでもない)の扉を開いたのであるよ!のねんのねん。 いつも学校から帰宅すると、駄菓子屋で得体の知れない怪しいお菓子を頬張りながら、歌うは『仮面ライダー』『ウルトラセブン』『花のピュンピュン丸』『妖怪人間べム』の主題歌。 しかし『燃えよドラゴン』のラロ・シフリンのあのテーマ曲が、地元の商店街でも鳴り響くと全身に電流が流れたのです。 そして怒涛のごとく香港カンフー映画が続々と公開。 その音楽に覚醒したのでありました。 特にブルース・リー主演作品は幸運にもサウンドトラックがリリースされたので、我々ガキんちょ達は「昨日の俺たちとは違うんやで!」とリー作品のテーマ・ソングを(でたらめに)唄いまくったのでありました。
そんな香港カンフー作品達は「著作権?そんなもんは知るか!バレたら笑って誤魔化せや!」と音楽はパクリ専門がほとんどでありました。 中でもクィンシー・ジョーンズの『鬼警部アイアンサイド』を大胆にも使用した『キング・ボクサー 大逆転』('72)、バリー・ホワイトのラヴ・アンリミテッドの「愛のテーマ」を事もあろうに堂々とタイトル・バックに流した(面の皮が厚いのもほどがある!)『新死亡遊戯 七人のカンフー』('75)の他、ほとんどがマカロニ・ウェスタン、ロック等の既製のレコードからの流用であり、その後年のクェンティン・タランティーノの師匠とも呼べるそのDJセンスは、それはそれは職人技が冴えわたるものでありました。 そんな音楽に知らず知らずに魅了され、「香港映画の音楽はすげえ!」と認識させられるのでした。 「もう俺たちのライフ・ミュージックはアニメや子供向けのテレビ・ソングやない、香港カンフー・ミュージックや!」と学校の女子達に叫ぶも冷たくあしらわれたものでした。
そして昭和五十一年、地元の商店街の八百屋の兄ちゃんに似て、京塚昌子のホーム・ドラマにも出ていそうな親しみあるマスクのジミー・ウォング主演作の『スカイ・ハイ』が誰が呼んだかやって来ます。 公開前にはイギリスのビージーズ的なジグソーの唄う『スカイ・ハイ』がスマッシュ・ヒット。 それこそ地元のスーパーを始めあらゆる所で鳴り響いていました。 本編のスコアはノエル・クインテン(リリースされたサウンドトラック・アルバムにはクィンランとクレジット。どっちやねん)。 ビートの効いたホワイト・ソウル・タッチのアクション・スコアは、ジミー・ウォングのあの髪型をさらに際立たせていました。 「ジョセフ・クーもいいけどノエル・クィンテンもいいな。」と我々の間で異口同音に語ったのです。 それは「カレーライスもいい、焼きソバも好き。」の感覚に近いものがありましたね。
研究熱心な者達は、劇場プログラムやサウンドトラック・アルバムを購入しても、ノエル・クィンテンのプロフィールが一言も記されていないのに軽いショックを受けました。 「まさか『タイガーマスク』の覆面レスラーみたいに、ニッポン人かも?」と疑問を抱き、兄貴の高校生に聞くと 「ああ、それはストリップの金髪ダンサーはアメリカ人とちゃうで。大阪のオバちゃんが金髪のカツラを被ってるんや。」 と言い、何か世の中の黒い陰謀を感じたものでしたが、ちゃんとその後もサミュエル・ホイ主演の『皇帝密使』('84)、ジャッキー・チェン製作『レディ・スクワッドU』('89)、リンゴ・ラム監督、ダニー・リー&オリビア・ハッセー主演『聖戦』('90)等の音楽を担当しました。
リンゴ・ラム監督、サモ・ハン・キンポー主演の『一触即発(未)』('91)の後、しばらく表舞台から遠ざかっていましたが、2010年にアメリカのTVドキュメンタリー『Martin Yan's Hidden China』で唐突に復帰。 翌2011年には香港のスポーツラブコメディ『熱浪球愛戰』で久々に劇映画のスコアを担当したのでした。
昭和の時代を駆け抜けて生きたSoundtrack Boys達は、皆夕陽に向かって随喜の涙を流しながら叫びました。 何故なら海外作品でありながら、世界で日本のみサウンドトラック・アルバムがリリースされる!という快挙が多々あったのです。 そう、島国にっぽんのみの独占発売! 昭和三十年代から五十年代のにっぽんは、高度成長期。 映画もレコード産業界もそれはそれは怒涛のごとくに、にっぽん中を興奮の坩堝にしておりました。 そんな時代に堂々とにっぽんのみリリース、或いはにっぽんが最初のリリースのサウンドトラック・アルバムの代表的な作品としては、
エンニオ・モリコーネの『ケマダの戦い』('69)、『ペイネ 愛の世界旅行』('73)、『哀しみの伯爵夫人』('74)、『オルカ』('77) フランシス・レイの『個人教授』('68)、『別れの朝』('71) ロイ・バッドの『狙撃者』('71) デイヴ・グルーシンの『エリックの青春』('76) セルジュ・ゲンズブールの『さよならエマニエル夫人』('77) リズ・オルトラーニの『アマゾネス』('72)、『スキャンダル』('77) ステルヴィオ・チプリアーニの『コンコルド』('79) ジョルジュ・ドルリューの『ジュリア』('78) ジョン・バリーの『フォロー・ミー』('73)、『死亡遊戯』('78) フランコ・ミカリッツィの『空手アマゾネス』('74) ブルーノ・ニコライの『荒野のドラゴン』('74) ジョニー・マンデルの『午後の曳航』('76) ミシェル・ルグランの『太陽が知っている』('68) アーネスト・ゴールドの『さよならミス・ワイコフ』('78) ラロ・シフリンの『オフサイド7』('79)、『バトル・クリーク・ブロー』('80) そして一連のブルース・リー主演作、ジョセフ・クーの『ドラゴン危機一発』('71)、『ドラゴン怒りの鉄拳』('72)、『ドラゴンへの道』('72)などがそうでした。 そして『スカイ・ハイ』も堂々とにっぽんのみのリリースなのであります。
アルバムがリリースされる前に斬り込み隊長のごとくにBASFレーベルから、シングルがリリースされスマッシュ・ヒット。 そのBASFの発売元のテイチク・レコードの誇るレーベルOVERSEAS・オーヴァーシーズから16曲入りのアルバムがリリースされました。 このオーヴァーシーズと言うレーベル、当時は「サントラのキング」と言われたキング・レコードは、映画音楽・サウンドトラックの売り上げのシェアをほぼ独占するように破格のリリース量を誇っておりました。
そのキング・レコードが誇るレーベルにSEVENSEAS・セブンシーズ(現在は演歌専門レーベル)がありました。 そんなキングに対抗するようにOVERSEAS・オーヴァーシーズは誕生するのです。 あちらが七つの海を渡るのなら、こちらはその「大海を越えちゃる!」とネーミングされたとか。 しかしリリースされたのは『ミレイユ・マチュー エンニオ・モリコーネを歌う』('73)、ミシェル・ルグランの『モン・パリ』('74)とほんの少数でその大海に沈んでいくのでありました。 そんな中、唯一のヒット・アルバムは『スカイ・ハイ』だけでした。 リリースから約三年間は堂々のセールスを誇り、結構バック・オーダーもあったのです。
アルバムは全十六曲。 シングルとは別ヴァージョンのジグソーの主題歌も収録の上、ブルース・リー作品同様、セリフと効果音も収録。 特にブロンド娘と異常に熱の入ったラブ・シーンを演じるジミー・ウォングのあのマスクには不似合い?な「愛のテーマ」が二曲も収録されています。 あの昭和・メンコのようなイラスト・ポスターと同じジャケットが、ミョーに笑顔にさせてくれます。
余談ですが、このアルバムの権利元・出版権利は映画の配給元の東宝東和の誇るCAM JAPAN。 そのためで、アルバムのB面の四曲目の「カーチェイス」が翌年の『オルカ』の予告編音楽として堂々と流れておりました。 CD化は… 今後もありえないでしょうね…
日本では『燃えよドラゴン』後のドラゴンブームに乗る形で入ってきた『片腕ドラゴン』('71)で有名になった「天王巨星」ジミー・ウォング。 その続編『片腕カンフー対空とぶギロチン』('76)でカルト的な人気となったため、とかくキワモノとして語られることが多い彼だが、実は香港映画史にとっては実に重要なポジションに鎮座している御仁なのだ。
もともとは水球・水泳の選手であったジミーさんだが、大学での水泳の試合中に乱闘事件を起こし資格剥奪の憂き目に。 その後当時東洋最大の映画会社であったショウブラザーズの新人採用に合格、デビューから2年後の1967年に放った『片腕必殺剣』が年間1位の大ヒット、続編『続・片腕必殺剣』('69)もそれに続く。 監督デビュー作『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』('70)では香港映画界初の100万ドル突破記録を樹立する。 さらにはこの作品、はじめて「ステゴロで人が死ぬ描写」を取り入れた、いわば『香港功夫映画の祖』とも言うべき映画なのだ。 その後当時新興の映画会社ゴールデン・ハーベストに電撃移籍し『片腕ドラゴン』を発表するなど精力的に活動を続ける。
しかしながらもともと功夫の素養がなく、ゴールデン・ハーベストのドル箱スターとなっていたブルース・リーの凄まじいアクションと比べて明らかに見劣りのするジミーさんの人気は徐々に下降。 加えて黒社会との関係の噂・ひき逃げ事件などスキャンダルが噴出し、いったん台湾へ都落ち。 その後再度香港へカムバックするも、85年の『闖將(未公開)』を最後に主演作は途絶え、あとは製作や客演としての出演のみに留まっている。 本作『スカイ・ハイ』は台湾落ちからカムバック後にゴールデンハーベストで製作・主演した作品である。
この映画のもう一人のスター俳優、ジョージ・レイゼンビーは言わずと知れた『女王陛下の007』のジェームズ・ボンド役で知られるオーストラリア出身の俳優である。 現時点では唯一英国人以外でボンドを演じた俳優だが、エゴの強さから制作サイドと揉め、結局俳優としてのキャリアの頂点がこれ1作で終わってしまった。
彼の香港映画との接点は1973年、かのブルース・リーが『死亡遊戯』の製作準備をしたところに始まる。 当時TVドラマやイタリア映画などに散発的に出演していたレイゼンビーだが、ゴールデン・ハーベストの総帥レイモンド・チョウから出演依頼があったのだ。 さっそく出演契約を結んだまではよかったが、肝心の主演俳優ブルース・リーの急逝により映画製作自体が頓挫してしまう。 いったん出演契約が結ばれていた為、その補填としてレイモンド・チョウが提示したのが3作品分の出演契約であった。
本作はメイン舞台をオーストラリアに設定し、本編のほぼ9割をシドニーでロケしている。 監督および俳優もほとんどがオーストラリアの人員で固められており、冒頭と中盤の格闘戦以外は観ていて香港映画という感覚はほぼない。 当時のオーストラリア映画界はまだ黎明期で映画製作のノウハウがあまり確立されておらず、お陰で相当無茶な事ばかりやっていたようである。 詳しくはドキュメンタリー映画『マッド・ムービーズ オーストラリア映画大暴走』('08)に詳しいが、市街地での許可なしカーチェイス、ほぼ事故と言っていい発狂スタント、クライマックスで実際に火を付けられてヤケドし怒り狂う主演俳優レイゼンビー、などなど本編より面白い裏話がまぁ出るわ出るわ。
なお現場ではとかくスターオーラを出しまくるジミー先生と他のスタッフ・キャストとの確執が相当あったらしく、このドキュメンタリー映画内のコメントでは誰一人ジミー先生を擁護せず総スカンを食うという異常事態になっていて一見の価値あり。 実際『スカイ・ハイ』劇中で監督自ら演じる警備員を異常なまでに冷めた目でストンピングし続けるジミー先生が確認できる。 気になる御仁は是非実際にご覧になってみてください…