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Goodfellas House Choose One!
 

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Death Wish
主演 スティーヴ・マックィーン
アリ・マックグロー
監督   サム・ペキンパー
音楽   クインシー・ジョーンズ
 

 A Long, Long Time Ago... Once Upon A Time...
 それはそれは大昔、いや石器時代ではないあの時代…
 1960年代から70年代にかけて、つまり昭和30年代から50年代の日本は、映画音楽国家だったのです。
 爺ちゃん、婆ちゃん、オトンにオカン、兄ちゃん、姉ちゃんに小学生の友達でも映画音楽を聴きまくり、ローカルな地元商店街、喫茶店(カフェとは言わない)でも映画音楽が鳴り響き、女子高校生にいたってはラジオで映画音楽を聴きながらせっせとラブレターとリクエストのハガキ職人になり、幼稚園では映画音楽に乗ってお遊戯、行進。
 家で飼っているインコまでもが、映画音楽を歌う!というあの時代…

 

 現在の2010年代の映画音楽はと言うと、耳に残る印象的なテーマ曲は皆無に等しく、ただダラダラと流しソーメンの様に劇中、流れているだけ。
 悲しい、淋しい。
 あの70年代の映画音楽のへヴンリーな時代を知っている者からしたら現在は、渇き切った砂漠のようだ。

 

 あのフランシス・レイ『ある愛の詩』('71)やニーノ・ロータ『ゴッド・ファーザー』('72)から大量の様々なアーティストによるカヴァー・ヴァージョンが、レコード・ショップを埋め尽くし、街中で聴こえていたあの時代。
 勿論、こんな話を自分の年齢の半分位の方々に話しても、まるで石器人を初めて見る様な眼差しで「・・・ハァ、そうだったのですか・・・」と言われて当然の今。
 でも玉砕の特攻隊のごとくに「ポール・モーリア、レーモン・ルフェーヴル、パーシー・フェイスにアンサンブル・プチとスクリーン・ランド・オーケストラ!」と言っても「?????」、そしてナパーム弾の「これスペイン産のワインのREAL SANGRIA。いっちにっサンガリア!ルチオ・フルチのサンゲリア!」を投入すると、周りは氷河期に。

 

 これは最低なオヤジ・ギャグだったと反省する間も無く「・・・もう団塊の世代は、シャレが通じませんね…」と核爆弾が逆に飛んでくる始末。
 「誰が団塊の世代やねん!?」と反論するも「だってウチらそんなん知らんもんね!」…となりますです…
 こんな昔の事を昨日の出来事の様に語るのは、「オッサン化が著しい」と今では判断されるそうです。
  …でもいいんです。
 あの時はへヴンだったのは間違いないんです。


 このコラムではそんな映画音楽のカヴァー・ヴァージョンが、豊富に存在した作品をちょくちょくと取り上げていく予定です。
 今回は1973年・昭和48年に公開されたスティーヴ・マックィーン主演、サム・ペキンパー監督、クィンシー・ジョーンズ音楽の『ゲッタウェイ』です(以前第19回でも取り上げました。今回はカヴァー・ヴァージョンとして取り上げます)。
 世間から何と言われようと「誰がオッサンやねん!?」

 Steve Mcqueen.
 スティーヴ・マックィーン。
 映画音楽のへヴンリー時代を生き抜いた者なら好き嫌いは別として知らぬ者は、決していないアメリカいや世界的な大スター。
 何故ならこの時代、彼のスタイリッシュなジャケットのレコードが、LP・シングルを問わずレコード・ショップに溢れていた。
 とにかくマック(ダチは皆、こう呼ぶ)をジャケットにするレコードは、売れに売れた。
 どんなにその内容が良くなくても。

 

 この時代、アクターはマックかアラン・ドロン、ウェスタンものはクリント・イーストウッド、1974年からはブルース・リーのジャケットのテーマ集のオムニバス・アルバムが人気でアクトレスならばカトリーヌ・ドヌーヴオードリー・ヘップバーンが、その代表だった。
 とにかく彼らがジャケットを飾れば安心のブランドのように皆、買い求めたものだった。
 それにマックの作品には、カヴァー・ヴァージョンを豊富に生んだクールなテーマ曲に恵まれてもいた。
 それらはエルマー・バーンスタイン『荒野の七人』('60)、『大脱走』('63)、続いてミシェル・ルグラン『華麗なる賭け』('68)、『栄光のル・マン』('71)、ジェリー・ゴールドスミス『パピヨン』('73)だ。

 
 

 これらマック主演作品はオリジナル・サウンドトラックのアルバム、シングルがベスト・セラーを記録。
 ジェネレーション・ギャップなど関係なく本当に女子中高校生でも聴いていたもの。
 ある女子高校でピアノ発表会に『華麗なる賭け』の名テーマ「風のささやき」を文字通りの華麗なるピアノ演奏を披露した女子高校生も居たものだった。
 そんな映画音楽界のヒーロー、マックのスーパー・ヒットの『栄光のル・マン』に続くのが、『ゲッタウェイ』('72)なのだ。

 『栄光のル・マン』は作品自体が驚異的な大ヒットを記録。
 音楽の方もスーパー・ヒット。
 オリジナルのサウンド・トラックがリリースされる前ルネ・クレール楽団(勿論、日本録音)のシングル盤が先行リリースの上に大ヒット。
 トニー・フォンテーヌ楽団の怪しいシングル盤も間を空けずに大ヒット。
 満を期してのサウンドトラックも桁違いのヒット・レコードとして日本国内のチャートを賑わしていた。
 とにかく「マック作品」は売れると。

 そんなマックの話題作『ゲッタウェイ』が公開されたのは、1973年・昭和48年の3月。
 監督はサム・ペキンパー、共演は『ある愛の詩』のアリー・マックグロウ、しかも音楽は同時期に日本でコンサート来日も果たした、ジャズ界でも映画音楽界でも大物のクィンシー・ジョーンズだ。
 ジョーンズの契約レーベルはこの時期、A&Mだった。
 日本での発売元はキング・レコード
 そう、『栄光のル・マン』のルネ・クレール盤で当てたキング。
 これで再び大儲け!と喜んだのも束の間で何と本国では、アルバム・リリース無しのシングル盤のみ
 これは痛い。
 アルバムが無いなんて。
 キングお得意の配給元の東和映画を通じての、即ちTOWA MUSIC経由の日本のみアルバム・リリースを目論んだが、相手が大物過ぎた
 『ゲッタウェイ』はヨーロッパ産では無いのだ。
 アメリカ原産の大物ミュージシャンのAクラスの特級品なのだ。

 
 

 アルバムが出ないことに目を付けた日本の各レコード会社は、犯罪者のごとくに企んだ。
 「それなら客を騙してでも売れ!このマック作品に乗っかって売りまくれ!バレたら笑ってゲッタウェイ(逃げたれ!)!」としてレコード界の一大銃撃戦、映画のクライマックスのようなドンパチが展開。

 まずはポリドール。
 アルバムのジャケットが表裏共に『ゲッタウェイ』。
 アルバム・タイトルも堂々と『ゲッタウェイ』!
 これじゃ誰が見ても『ゲッタウェイ』のアルバムに見えてしまう。
 ロクに確認もしないで買ったら最後、演奏はシネ・ポップスの純国産
 しかも唯の当時のヒット・テーマ集。
 ジャケットをよーく見ると小さく「愛のロードショー」なる文字が!
 ま、価格が¥1000也なのがご愛嬌。

 

 東宝・TAMもアルバム・タイトル、ジャケットも堂々と『ゲッタウェイ』で2枚組・アルバムをリリース。
 勿論、これもスタンリー・マックスフィールド・オーケストラのテーマ曲のみのオムニバス。

 
 『栄光のル・マン』のオリジナルの発売元、CBS SONY『ゲッタウェイ スティーヴ・マックィーン集』なる豪華ピンナップ付きのダブル・ジャケット・アルバムをリリース。
 これも国産のアンサンブル・プチとスクリーン・ランド・オーケストラだが『ジュニア・ボナー』『マンハッタン物語』も網羅しており、女性ファンには売れたらしい。
 
 

 オリジナル盤のキングも負けじと『ゲッタウェイ』のジャケットで『アクション・テーマ』集でこの銃撃戦に参戦。
 でも契約の関係でオリジナル・サウンドトラックでの収録は出来ずにルネ・クレールの演奏。

 
 シングル盤も負けじとキャニオン・CINEDISCシー・バレンツの演奏盤、CROWNクレモナ・サウンド・オーケストラで殴りこんだ。
 オリジナル盤も含めて映画自体の大ヒットと共にそれぞれのリリース盤が、それなりに?売れたのもマック・パワーか。
 オカンに「『ゲッタウェイ』のLP、買ってきてえな!」「よっしゃ!」「こ、これは!?パチモンやんけ、ドあほう!」と昭和な会話も何年も続いたという。
 
 

 1976年にもポリドールは『ゲッタウェイ』仕様のオムニバスをリリースしたが、この時、カヴァー・ヴァージョンのトドメを刺したのが、通販のみの千趣会がリリースしたマック集のオムニバス。
 なんとアレンジ・演奏指揮が、イギリスのケン・ソーンだったのだ。

 
 

 …時は流れてマックもペキンパーもこの世を去った2005年、遂にファースト・スコアのジェリー・フィールディング版が完全盤CDにてリリース(1992年にリリースされたBAY CITY盤の完全盤)。
 改めて聴いてみると…
 「うーん、いくらペキンパーがこちらを認めてもやっぱジョーンズの方がいい。」
 と感じたもの。

 

 フィールディングのスコアはドライすぎで、ましてやジョーンズのような印象的なテーマ曲がまるで無いもの。
 例えフィールディング版で公開、となっていてもジョーンズのようにカヴァー・ヴァージョンが色々とリリース、なんて事にはならなかっただろう。

 1960〜70年代、世界で最もクールな男だったスティーヴ・マックィーン。
 世界で最も異性よりも同性から愛された男。
 男が惚れる男。
 世界で最も美しいブルー・アイズを持つ男。
 世界で最も演技の出来るタフガイだった男。
 そして世界で最も孤独だった男が、マックィーン aka マック。

 

 周知の事実だがマックは、1980年11月7日に不治の病でこの世からゲッタウェイした。
 本人は望まなかったにも関わらず。
 もうあれから30年以上が経過した現在では、もうマックの事を知らない、彼の映画のタイトルさえ知らない者が多くなって来た。
 それは当然かも知れない。
 「何?マックを知らない!?ドアホウ!」と怒鳴っても現在では同性同名の映画監督が今のマックィーンだ(改名しろよ)。

 

 もうマックの事を昨日の様に語れるのは、ある特定の世代のみになってしまった。
 でも嘆く事では無い。
 知らない者にマックの事を教えてあげればいいし、最高にクールなマック作品のテーマ音楽でも聴かせてあげればいい。
 マックの死後、10年程経過してからスウィング・アウト・シスターが、限定12インチ・アナログとCDで「風のささやき」をカヴァーしてリリース。
 切々と唄う女らしい歌声を聴くと自然にダスティ・スプリングフィールドのカヴァーが、蘇ったもの。
 そうマック作品のテーマ曲をオリジナル、カヴァー・ヴァージョンで聴くと今でも彼のあの少年のような笑顔が、鮮明に脳裏のスクリーンに映写される。
 アラン・ティウ・オーケストラのラウンジ・ジャズ・タッチの『荒野の七人』、ハスキーな歌声の女性ジャズ・シンガーのジョニー・ソマーズが唄う『ブリット』アンディ・ウィリアムスレーモン・ルフェーヴルの『パピヨン』、日本のみリリースのラリー・ネルソン・オーケストラの『ハンター』等を今夜も聴くだけで、あのマックの雄姿が我々の耳を癒してくれる。

 

 マックは世界的なスーパースターになった時でも地位や名声、大金などを求めていなかった。
 それは妻や子供、美人の愛人でもない。
 本当に欲しかったものは、実の父親、親父だ。
 マックが生まれて直ぐにゲッタウェイした曲芸飛行機乗りの親父。
 俳優になってからあらゆる手段を使って、実の親父の居所をやっと突き詰めた時、親父は死んで3ヶ月が経過していた。

 
 この時期からだろうか、マックはあまり人を信用しなくなり、妻や友人達を失っていく。
 信用出来るのは、ただ野良犬のみ。
 マックは雑種の野良犬を愛し、誰彼構わずマックにも噛み付く野良犬に自分を投影していた。
 この野良犬が、行方不明になった時、3番目の妻は「彼の涙を初めて見た。彼の落ち込みぶりは、辛くて見ていられないほどだった。」と語っている。
 マックは自分の死期を悟ると獲りつかれたように飛行機にのめり込み、操縦をマスターした。
 親父が乗り移ったかのように。
 

 マックは50歳の若さでこの世を去ったが、我々はこうして生きている。
 彼の作品のテーマ音楽を聴くと心の中でマックと逢える。
 そんなマックの人生を頭に入れて聴く『ゲッタウェイ』の愛のテーマ。
 不思議にも昨日とは違う味わいで聴こえて来る。
 そしてマックの声も合わせて聴こえてくる。
 あのぶっきらぼうな声が―

 Let's Do It My way. Punch It, Baby !!