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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Klute: コールガール
監督   ジョン・バダム
主演

ジョン・トラヴォルタ
カレン・リン・ゴーニ―

オリジナル音楽   バリー、ロビン&モーリス・ギブ
歌・演奏   ビージーズ
追加スコア 作曲・編曲   デイヴィッド・シャイア
Killing Fields, The

 ♪どーですか!奥さん!ボクのこの腰の動きは! いい仕事しますよ、奥さん!♪

 彼の名はトニー・マネロ、19歳。
 N.Yのブルックリンで月曜から土曜日までペンキ屋で働き、週末のサタデー・ナイトにその若いエネルギーを爆発させます!
 何処で?
 そう、街のディスコ
 彼はディスコ・キングなのです!

 

 退屈な仕事なんてサタデー・ナイトを盛り上げるためのもの。
 土曜の夕方、オーデコロンをバッシャバッシャと浴び、ド派手なボディにピッタリ(ピッチピチやんけ!)着込み、脚にも張り付くようなギャバジンのパンツ、そして仕上げは(浜村純愛用)のプラットフォーム(シークレット)・シューズ
 これで戦闘準備OK!
 ディスコへ到着すると常連仲間が集まり、トニーはディスコの顔で通してくれます。
 フロアで踊ると皆トニーのダンスに見惚れてしまいます。
 皆尊敬の眼差しでトニーを見詰めて道もあけてくれる。
 それがトニーにとって快感であり、生きている証なのです。
 サタデー・ナイトに生きるトニーなのです。

 
 

 そんなトニーもイタリア移民の大家族のひとり。
 家では口うるさいかあちゃんにとうちゃん。
 まだらボケのばあちゃんにこまっしゃくれた妹。
 家族はトニーを煙たがっています。
 そんな家族の自慢はトニーの牧師のにいちゃんです。
 「ちーとにいちゃんを見習え!」
 とかあちゃんに怒鳴られると
 「うるせえや!」
 と返すトニー。
 彼のアイドルはファラ・フォーセット(乳首ポッチ)にリンダ・カーター(ワンダー・ウーマン!)。
 憧れはブルース・リーシルヴェスター・スタローン、そしてアル・パチーノ
 部屋は彼らのポスターでいっぱいです。
 でも本当の憧れは牧師のにいちゃんなのです。

 

 あるサタデー・ナイト、アル・パチーノに間違われて美人のねえちゃんにキスを浴びてゴキゲンのトニー。
 そんな時、新顔のキュートな女の子、ステファニーに心を奪われてしまいました。
 ディスコに出入りする他の女の子とは違う彼女は、踊りも凄く巧かったのでした。
 ますます彼女の虜になったトニーは早速、ナンパに成功。
 カフェで彼女と話すと、世界のトップを目指してこのブルックリンを飛び出そうとする上昇志向な彼女に驚くトニーでした。

 
 
 上流階級のお嬢様的な彼女と違って自分は下町のチンピラのトニーは、次第に劣等感を覚えるようになりました。
 そんなある日、にいちゃんがいきなり牧師を辞めて帰ってきました。
 この時、トニーはディスコでダンス競技大会が催されるのでステファニーとペアを組んで参加することにしました。
 なぜなら優勝金をゲットしてステファニーとマンハッタンで暮らすことを考えたのです。
 毎晩、ステファニーとダンスのレッスンをするトニーは夢心地です。
 でもチンピラ仲間と夜な夜なケンカに出かけるトニーにステファニーは軽蔑の眼差しを向けるのでした。
 
 
 なんとかステファニーをなだめて競技会で踊ったトニーは自信満々で踊りましたが、自分達の後で踊ったプエルトリコのペアの踊りを見て肩を落とします。
 明らかにダンスのレベルが、彼らの方が上なのでした。
 「負けた…」と痛感するトニー。
 しかし優勝はトニーのペアでした。
 「こんなのおかしい!彼らの方が上なのに!」
 トニーは怒りながら賞金をプエルトリコのペアに渡しました。
 店の常連に優勝させた唯のショーだったと知ったトニーをさらに落胆させる事が起きます。
 チンピラ仲間の自殺でした。
 「あいつの相談もロクに聞いてやらなかった…」
 後悔するトニー。

 夜通し地下鉄に乗って夜を過ごしたトニーは、翌朝ステファニーの元を訪れます。
 一旦はケンカ別れしたステファニーの笑顔に何か新たな青春の1ページをめくったトニーの新しい笑顔が、きらめく朝の光と共にありました。

 1963年にレコード・デビューしたバリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟ビージーズ
 オーストラリアで音楽活動をしていた彼らをイギリスに呼んだのは、RSOレコードの代表ロバート・スティッグウッドと言われています。
 そう、彼はこの『サタデー・ナイト・フィーバー』のプロデューサーでもあるのです。

 
 ビージーズは彼らの魅力のさわやかなサウンドが売りでもありましたが、グループ内のゴタゴタ等もあり一時低迷。
 しかし彼らがRSOよりリリースした1975年のヒット「JIVE TALKIN'」で健在ぶりを示し、翌1976年の「YOU SHOULD BE DANCING」をずば抜けて大ヒットさせますが、長年の彼らのファンを驚かせもしました。
 これがビージーズ?と耳を疑うようなディスコ・サウンドに黒人のようなファルセットの歌声でビックリさせたのです。
 

 そんな彼らが『サタデー・ナイト・フィーバー』で曲を提供するのは運命だったようです。
 ロバート・スティッグウッドは、迷わずビージーズにこの新作のサウンドトラックを依頼したのですから。
 ビージーズはこの映画の為に5曲を提供。
 そしてレコード・リリースされるとミリオン・ヒットと正にレジェンドとなります。
 爆発的に世界中をディスコ・ブームのミラー・ボールでキラめかせたビージーズ。
 彼らはジョン・トラヴォルタというニュー・ガイを世界の憧れに仕立て上げた!と言っても決して大袈裟ではないでしょう。

 

 キラめくディスコ・サウンドを奏でるのはビージーズの他、『ジーザス・クライスト・スーパースター』の歌姫イヴォンヌ・エリマンタヴァレスクール・アンド・ギャングK.C.アンド・サンシャイン・バンドウォルター・マーフィーM.F.S.Bトランプスラルフ・マクドナルド

 

 

 また『サタデー・ナイト・フィーバー』の音楽で忘れてはならないのは、追加音楽を担当したデヴィッド・シャイア
 手堅くリー・リトナーのギターやラルフ・グリーソンのキーボードなどをフィーチュアしたスコアは、正に1977年のN.Yのナウな響き。
 どうしてもビージーズしか語られないこの作品ですが、シャイアのパートももっと評価してもしかるべきです。

 1977年の暮れに映画が公開される頃には、この『サタデー・ナイト・フィーバー』のダブル・LPでリリースされたサウンドトラック・アルバムは驚異的な売れ行きを示して行きました。
 これまでの大ヒットしたサウンドトラック・アルバムとは、全く異なるモンスター級のレコードとなるのでした。

 

↑USディスコREMIXプロモ盤

 とにかく収録されている17曲中、10曲が全英米、世界中でシングル・カットされ、その中でも6曲が全米ヒット・チャートのトップを飾りました。
 1977年末から1978年にまたがってビージーズの「HOW DEEP IS YOUR LOVE (愛はきらめきの中に)」、「STAYIN ALIVE (ステイン・アライヴ)」、「NIGHT FEVER (恋のナイト・フィーバー)」等、約半年間はシングル、アルバムはチャートのトップを飾りました。

 
↑US盤LP(表)
↑US盤LP(裏)
 

 世界中、このサウンドトラックの熱病にうなされたようにガンガン流しまくっていたので
 「あー、映画音楽はシンフォニック・オーケストラものじゃないとイカン!」
 と誰かが叫んで耳を塞いでも、あらゆる所で聴こえてくるこのサウンドトラックからのヒット曲の数々。
 でもディスコ・サウンドは嫌いという古くからのビージーズ・ファンは、往年の彼らを思い出させる美しいハーモニーのラブ・バラード「愛はきらめきの中」を聞くと、「小さな恋のメロディ」の「メロディ・フェア」、「イン・ザ・モーニング」が蘇って来ましたネ。

 
↑日本版シングル
↑日本版シングル
↑日本版シングル
 
 『サタデー・ナイト・フィーバー』は、オフィシャル・ダブル・アルバムの他にキラめく魅力的なアルバム・シングルが豊富にリリースされており、当時の過熱ぶりが伺えます。
 キラー・コンテンツは、ディスコ用の非買品のスペシャル・ディスコ・ヴァージョンの5曲入りのLP。
 ビージーズの4曲とイヴォンヌ・エリマンの計5曲が、全てアルバムより長いディスコ・リミックス・ヴァージョンで収録されています。
 勿論、その後一切、オフィシャル・リリース、CDリリースがないようです。
 
↑伊盤カバーLP
↑US盤カバーLP
↑US版カバーLP
 
 そして様々なアーティストがアルバムごとカヴァーしてリリースしております。
 それなりのそれぞれ愉しめますが、これらを間違って購入して聴いた方々は、「騙された!」となったかも知れませんネ。
 カヴァーではサルソウル・オーケストラのシングルが、当時かなりFMラジオでもよくプレイされておりましたし、当時誰でも知ってる、そして持っているのがこの『サタデー・ナイト・フィーバー』なのです。
 
↑日本版カバーLP
↑US盤カバーLP
↑US『セサミ・ストリート』盤LP
 
 CD化も勿論早く、当初はLP同様に2枚組でリリースされたCDも、1995年にはデジタル・リマスターされて1枚のCDとして蘇っております。
 またこのアルバムの素晴らしい、非凡なポイントとしてデヴィッド・シャイアのスコアも3曲、収録されていること。
 この手のアルバムでは、映画音楽家のスコアは完全に無視される事が多くて大いに憤慨させられる事は少なくありません。
 しかしこの『サタデー・ナイト・フィーバー』のアルバムは違います。
 ですから現在のDVD特典にデヴィッド・シャイアが語る映像が収録されているのです。
 
↑日本盤カバーシングル
↑日本版シングル

 「土曜の夜はフィーバーしよう!」のキャッチ・コピーで、日本では1978年のサマー・シーズンに公開された『サタデー・ナイト・フィーバー』。
 勿論大ヒットして「フィーバー」は流行語となりました。
 70年代初期では顎に手を当てると「んー、マンダム」でしたが、78年では右手を天に上げるとウルトラマンでは無くてフィーバー・ポーズとなりました。
 テレビでは志村けんと新婚夫婦コントを演じる若き岸本加代子が、布団を敷きながら笑顔で「ねえ?フィバる?」とエロい表情を浮かべると、ピンク・レディーがコンサートで「恋のナイト・フィーバー」をミニスカ・パンチラで観衆を熱狂させ、新春かくし芸大会のドラマでは前川清がトニーを演じ、いかりや長介「ですコ!ですコ!」を連呼、東大生はナンパでディスコに繰り出すのを「ディスコっちゃってる!」と言っておりました。
 あー、何処もかしこも猫も杓子もディスコ!ディスコ!フィーバー!な時代!

 

 Year!
 行きましたねぇ、踊りましたね!
 あの時代、決まって土曜の夜は、京橋のグラン・シャトー (京橋はええトコだっせ、グラン・シャトーがおまっせ)、翌週の土曜は千日前のユニバース(明日への活力… 活力…) にも!
 踊った後はオシャレなレストランのパキスタンもしくは道頓堀にあるIZUMOYAでカクテルなんかも愉しんだり。
 TAYOSHIのステーキも踊った後はサイコー。
 皆どこへ行っても顔馴染みだったし踊ったし、1988年にもフィーバー・10THアニバーサリーとしてミナミのデッセジェニで踊り明かしたもの。
 フィーバーは今でもSTAYIN' ALIVE