ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
インディアスと黄金の国ジパングを発見するため、またアジア世界に広くキリスト教を伝えるため、大西洋を横断した男クリストファー・コロンブス。 都合4回、1492年からおよそ10年にもわたる彼の航跡はいかなるものだったのか―?
1451年、イタリアはジェノバで生を受けたコロンブスは、1470年ポルトガルに渡り、航海士、貿易商として働き出す。 1484年ポルトガル王、ジョアンU世にジパングへの西回り航海の援助を申し入れるが、断られたことでスペインに渡った。 1492年スペインのイザベル女王の協力でインディアス航海に関して協定を結びサンタ・マリア号他で第一回航海に出航。 そしてキューバに到達。 新大陸発見後、1493年にスペインに帰還したコロンブスは英雄となった。 コロンブスが発見した島に植民も開始され第2回目の航海にも出航。 しかし植民地の原住民の反乱、武力制圧によりスペインでもコロンブスの権威は失墜していく。 1498年3回目の航海に出発するがサント・ドミンゴの植民地で反乱が発生。 帰国後コロンブスは新大陸に混乱をもたらしたとして投獄されてしまった。
1502年、出獄を許されたコロンブスは何かに取り付かれたように、4度目の航海へと旅立つ。 ジャマイカを通過し、ホンジュラス岬に着いた後、金の匂いを嗅ぎ取ったコロンブスは金鉱を探し当て居留地も建設するが、またしても原住民の反乱に遭い、やむなく撤退。 国王の信頼回復を目論んだ起死回生、いや狂気にも似たコロンブスの最後の航海は、こうして敗れ去ってしまうのだった。
『1492 コロンブス』は完全なハリウッド映画と思っていた人は当時から多かったようだが、この作品はフランス・スペイン合作の70mm大作なのだ。 この大作のスコアを担当するのは当初、フランスのプロデューサー、アラン・ゴールドマンとロザリン・ボッシュ(脚本も担当)の二人の希望かフランスの作曲家、ジャン・クロード・プティが選ばれた。 彼は『美しさと哀しみと』('85)や『愛と宿命の泉』('86)等でその実力をフランスでは評価されており、シンフォニックなスコアも書けるというので選ばれたのだが、リドリー・スコットが難色を示したのかこの案は遥か海の彼方に消えてしまった。
ヴァンゲリスは当時フランスで居を構えており、丁度ロマン・ポランスキーの『赤い航路』('92)のスコアもパリでレコーディングしていた。 ヴァンゲリスは勿論フランス、ヨーロッパはおろかワールド・ワイドにその名を知られるビッグ・アーティストであり、スコットとはカルト名作の『ブレードランナー』('82)のスコアも担当していたのである。 しかもヴァンゲリスとスコットの出遭いは『ブレードランナー』が最初では無く、1979年にスコットが監督してコマーシャル・フィルム『シャネルNo.5』の音楽にヴァンゲリスの曲を使用したのが最初である。 勿論スコットもヴァンゲリスで納得して無事にサンタ・マリア号は航海に出る事となった。 丁度『ブレードランナー』から10年後のヴァンゲリス、スコットのコラボレーションだが、『ブレードランナー』当時の黒い噂 − スコットの要求通りに作曲、録音を行ったのに後から曲をまるごと変更を要求してくるスコットに対してヴァンゲリスが苛立った。 もう二度とこのコンビは無いだろう! とのゴシップもあったが人間10年も経過したならばお互いの思いも変わるもの。 お互いプロフェッショナルであり、過去の想い出も「メモリーズ・オブ・グリーン」なのだから。
こうしてヴァンゲリスはこの大作のスコアに勇敢にも挑んだのだ。 本作のヴァンゲリスは従来のシンセサイザー主体のエレクトリックな音作りでは無くスパニッシュ・ギターやマンドリン、フルートを奏でるエスニックなゲスト・ミュージシャンを迎え、スペイン語のヴォーカル、大合唱団をも取り入れた一大シンフォニックを完成させた。 特に人間の声、コーラスはヴァンゲリスが『SEX POWER』('70)のサウンドトラックからよく取り入れていた手法だが、今回が一番スケールが大きかったかも知れない。 スコットが「過去と現代を行き来出来るのがヴァンゲリスだ!」と言う通り、大絶賛したこの大作のスコアをヴァンゲリスは完成させたのである。
↑LP・CDジャケット
我々はヴァンゲリスが再びリドリー・スコットと組むと聞いて飛び上がった。 『ブレードランナー』から10年後、彼らの再会は本当に道行く見ず知らずの人々に「ヴァンゲリスとリドリー・スコットがまた組むんだって!」と声をかけて梅田から難波、通天閣まで練り歩きたい衝動に駆られたものだった。 しかし晴天の喜びも一瞬、暗い雲のモヤモヤが心に描かれ始めて来た。 それは「サウンドトラック・アルバムはリリースされるのか?また『ブレードランナー』の悪夢が再来するのでは?」という懸念だった。
↑シングル盤ジャケット
↑CD裏ジャケット
我々は約10年ぶりにリリースされたヴァンゲリスの新しいサウンドトラック・アルバムを手にしながら、「おいおい、ホントに出ちゃったよ、おい!」と念仏を唱えるようにして、そのアルバムを聴いた。 全12曲収録。 劇中未使用の2曲も含めこのヴァンゲリスの音色に毎日、酔いしれた。 最初にリリースされたのはドイツでプレスされたCD、LP、2曲入りのシングル、そして4曲入りのシングル・CD(内2曲はアルバム未収録)が、イギリスを始めヨーロッパで流通。 フランスではジャケット違いでCDがリリースされ、アメリカではさらに異なるジャケットでアトランティックからリリース。
↑韓国盤LP裏ジャケット
彼は1943年にギリシャで生を受けてから1960年代初期から音楽活動を行っているが、日本、アメリカやワールド・ワイドにその名前が知れ渡ったのは1982年度のオスカー受賞の『炎のランナー』の大ヒットとその年の映画音楽『ブレードランナー』からだろう。 ヴァンゲリスがオスカーを受賞してから早いもので約30年が経過した。 ここではヴァンゲリスを映画音楽の作曲家として話を進めてみよう。
ヴァンゲリスの映像との関わりはとても古く、ギリシャ在住の1962年から早くも着手。 1967年に単独で『5000 LIES』を担当。 パリに移り住んだ時にアンリ・シャピエ監督、マイケル・ヌーリー、ジェーン・バーキン主演の『SEX POWER』がヴァンゲリスの初ソロ・アルバムにして初めてのサウンドトラック・アルバムとなる。 その後も自身のアルバム、音楽活動と平行して映画音楽のスコアを現在まで40本以上を書き上げている。 その大半はドキュメンタリー映画、TVの長編、短編が多い。 中でもヴァンゲリスの名アルバムにして名サウンドトラックのドキュメンタリー監督、フレドリック・ロシフとのコラボレーションは14本になる。 アルバムとしてリリースされたのは3作品しか無いが、ヴァンゲリスは他作品も含めサウンドトラックのアルバム化は消極的だ。 中には『高校教師』('72)の女優ソニア・ペトロヴァ主演の『AMORE』('73)も未リリースだ。
ただ圧倒的に『ブレードランナー』しか聴かないファンも多いというか『ブレードランナー』だけのヴァンゲリスが好きというファンは世界中に多い。 そのせいか2007年には3枚組ヴァージョンなんてものがリリースされており、リアル・タイムの事を思うと「時代も変わった − 遂に『ブレードランナー』に対するヴァンゲリスの思いが変わった −」と感じるのである。
現在世界中にヴァンゲリスのコレクターは多く彼のアルバムは世界中でリリースされている。 リリースしたレコード・レーベルもサウンドトラックに限っても、フィリップス、ポリドール、パテ・マルコーニ、CAM、VAMPIR、BASF、バークレイ、EGG、RCA、イースト・ウェスト、SONY等様々だ。 オリジナル・アルバムでもヴァンゲリスは放浪人のように、様々なレーベルを渡り歩いている。 1970年代はプログレッシヴ・ロック界の最右翼、80年代はキーボードの巨匠、90年代からはシンセサイザー・アーティストの様に時代ごとにヴァンゲリスのカテゴリーは少しずつ変化。 今ではギリシャの国民的アーティストだ。 ヴァンゲリス。 まだまだ我々を魅了するのは間違いない。 1979年に日本でリリースされたサウンドトラック『野性の祭典』に素晴らしいキャッチ・コピーが記されている。