ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
デヴィッド・シャイア
1972年6月の深夜、ワシントンのウォーターゲート・ビル内の民主党全国委員会本部に侵入した5人の男たちが逮捕された。 彼らは単なる物捕り犯ではなかった。 手術用の手袋をはめ、電話の盗聴工作をしようとしていた。
事件は政治的狂信者の犯行としてあっさりと闇に葬られようとしていた。 犯人達の予審に刑事犯の弁護士ではない政府筋の弁護士が来ており、犯人の一人は元CIAの人間だった。 この時からワシントン・ポスト紙の名もない記者、ウッドワードとバーンスタインはこの事件に不審を抱き、独自の調査を始めた。 彼らの上司も調査を許可して「徹底的に調べ上げろ!」と激を飛ばした。 …それが国家を揺るがす大事件になろうとは…
ホワイトハウスのポスト紙への非難は激しかったが、紙の幹部らにも支えられて二人は「裏金工作」の記事をも掲載。 国民も半信半疑だったが、やがて大統領再選委員会の幹部らは辞任し、ついには大統領補佐官が黒幕であるという記事、「ニクソン大統領裏金工作」の記事は全世界を揺るがす記事となっていく。 やがて国会における真相究明が明らかにした黒い計画とそのもみ消し工作の全貌は驚くべきものだった。 なんとホワイト・ハウスだけでなく、FBI、CIA、最高裁までも関与していたのだ。 そして大統領自身も工作に関与していたことを証明するテープも発見された。
1970年代もっとも才能があり、華やかな存在ではないがシャープなスコアで70年代を見事に泳ぎ抜き、しかし80年代の波に飲まれてしまったフィルム・コンポーザーといったら、それはデヴィッド・シャイアだろう。 『大統領の陰謀』の監督、アラン・J・パクラとの名コンビである作曲家は勿論、マイケル・スモールだ。 『コールガール』('71)、『パララックス・ビュー』('74)に続いて本作を担当しても不思議ではないのに、シャイアが、このスリリングな作品のスコアを担当とすることになったのは、勿論大統領の陰謀なんかではない。
偶然にも主演のロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマンと同じ年齢のデヴィッド・シャイアは、『ふたり』('71)、『西部無法伝』('71)などでは未だ地味な存在ではあったが、『サブウェイ・パニック』('74)の後、『ゴッドファーザー』のフランシス・コッポラから『カンバーセーション…盗聴…』('74)のスコアを依頼される。 理由は唯一つ、シャイアの妻がドン・フランシスの妹、タリアだったからだ!
妹思いのフランシスは、うだつのあがらない妻の夫に仕事を与えた。 俄然、張り切ったシャイアは、ドンも感激する位の見事なスコアを聴かせ、その後の仕事も『さらば愛しき女よ』('75)、『ヒンデンブルグ』('75)、『続・おもいでの夏』('75)と絶好調だった。 そして『大統領の陰謀』では地味ながらもホワイトハウスのダークサイドを見事にサウンド化し、観る者を凍りつかせ、震え上がらせる事に成功している。 印象的なテーマ曲もメロディ・メーカーとしての腕も証明してみせた。 その後も『サンダーボルト 特攻作戦』('76)、『ジョーイ』('77)、『サタデー・ナイト・フィーバー』('77)と絶好調。 そしてドン・フランシスから『地獄の黙示録』('79)の依頼が来た。 しかし作曲に取り掛かる前、シャイアはドンの妹と離婚。 そうするとドンからは「キミはクビだ!」と通告される。 何でもドンは「妹を泣かせるヤツは許さない!」と言うのだ。 その行動はまるでソニー・コルレオーネそのものだった!
この一件からシャイアは『ストレート・タイム』('78)、『ノーマ・レイ』('78)の傑作を発表するも1980年代は、振るわなくなってしまう。 その後はテレビムービーがその活躍の中心となり、『2010年』('84)なんての意欲作もあったが作品と共に宇宙の闇に消え去ってしまった。
長きに渡る潜在期間を経て『ゾディアック』('07)で健在ぶりを聴かせるも、デヴィッド・シャイアのあの1970年代の栄光の輝きは、どこにいってしまったのだろうか。 もし『地獄の黙示録』を担当していれば… ドンの妹と結婚生活を継続していれば… 意外にフランシス・コッポラのその後の作品を全て任されていたかもしれない… ドンの怒りを買った男、それがデヴィッド・シャイア。
『大統領の陰謀』のような魂を揺さぶられる傑作に出遭えたということは、生涯の偉大なる出来事。 それならば我ら!サウンドトラック・ボーイズは、その偉大なる作品のサウンドトラック・アルバムを所有したい!と思うのは至極当然のこと。 しかしサウンドトラック・アルバムはリリースされなかった! 何故だ!これは大統領の陰謀か!?と当時、我々は嘆いた。 だがウッドワード、バーンスタィンのように冷静に分析・判断すると、1976年当時、このデヴィッド・シャイアの冷たい効果音のようなスコア、つまり観ている間全く音楽として感じない短いアンダースコアをアルバムとしてリリースしたとしてもビジネスにはならなかっただろう。 しかしあの印象的なテーマ曲は別だった。
↑仏盤シングル
アメリカではシングル盤がワーナー傘下のELEKTRAからリリースされた。 4分13秒のこのテーマ曲、レコードの為にシャイアが新たにアレンジしたヴァージョンだが、当時ではこれがノーマルなリリースだ。 A・Bサイド共に同じ曲のステレオ、モノラルで収録。 勿論、日本でもワーナー・パイオニアがリリースしようとしたが、発売中止となる。 日本側ではA・Bサイド同じ曲では購入者からのクレームを恐れて「Bサイドを別の曲にしたい。」とアメリカ側に打診したが、見事に「NO!」との返答。 かくして泣く泣く日本ではリリースが見送られたのであった(アメリカ盤のシングルはジャケットが無いが、フランス盤のみジャケット有りでリリース)。
↑クリス・カーペンター盤シングル
時は流れて2008年、遂にFSMよりCDのアルバムがリリース。 カップリングは同じアラン・J・パクラの『コールガール』。 23曲の30分を収録し、遂に長年の夢が叶った訳だが、しかし安心するのは早かった。 このCDにはシングル盤テイクはなんと見事に未収録だったのだ。 これが最後の大いなる陰謀なのか!? この時、「CDが全てでは無い!」と何処からか声が聞こえた。 この声こそディープ・スロートのラスト・メッセージだったと、サウンドトラック・ボーイズは、再認識したのである。
↑CD
1976年8月、『大統領の陰謀』は公開された。 この偉大なる傑作をリアル・タイムで鑑賞した中高生、あるいは大学生の方々も今では甘いも酸いも経験した50代でありましょう。
主演のロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマンは、共に1937年生まれですから当時、39歳。 かたやハンサムだけれど硬派な男、レッドフォード。 小柄ながら驚く演技派の小さな巨人、ホフマン。 対照的なビッグ・スターの共演も魅力だが、面白いのはホフマンの出世作『卒業』は、当初レッドフォードが降りたためにホフマンに回ってきた役。 そんな二人の競演をこんな硬派な作品で観られた1976年当時のフィルム・ガイズは、本当に素晴らしい時代を過したもの。
1976年に公開されフィルム・ガイズが興奮した作品を並べると、『狼たちの午後』『タクシー・ドライバー』『候補者ビル・マッケイ』『カッコーの巣の上で』『熱い賭け』『さらば愛しき女よ』『風とライオン』『ロッキーホラー・ショー』から『アウトロー』『ダーティ・ハリー3』と来て『オーメン』『カサンドラ・クロス』『グレート・ハンティング』『アンデスの聖餐』、とどめは『エンテベの勝利』『ソドムの市』まで実によりどりみどりなラインナップである!