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ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです... |
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主演 |
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バリー・ニューマン |
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監督 |
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リチャード・C・サラフィアン |
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音楽(製作・監修) |
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ジミー・ボーウェン |
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Nobody Knows ―
誰も知らない。
誰にも分からない。
誰にも理解されない男。
1971年・午前10時4分。
日曜のカリフォルニアで突然、消滅した男。
コワルスキー、コワルスキー。
そう、奴の名前はコワルスキー。
誰も知らない、理解されない男。
…でも俺たちは知ってるぜ!コワルスキーの事をな!!
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それはとても天気のいい日曜の朝だった。
カリフォルニアの田舎町で70年型の白のダッジ・チャレンジャーに乗った男、コワルスキーが突然、消滅した。
ヤツは何故、ここで消滅したんだ?何の目的があったのか?
その場にいた大勢の野次馬もそれは理解出来なかった。
いや、理解しようともしなかった。
そう、分かってたまるか!
…でも俺たちは知ってるぜ!コワルスキーが消滅した理由をな! |
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コワルスキー…奴は1960年、陸軍に入隊した。
ベトナム戦争に参加し、メコンデルタで負傷。
'64年名誉除隊。戦闘の功績に対して受勲。
同年、サンディエゴ警察に採用。
進級2回、'66年一級刑事となる。
そしてある事件がきっかけで懲戒免職。
67年から68年までレースドライバー。
68年レーサー・ライセンス停止。
その後は職を転々とし、70年より車の陸送屋のドライバー。 |
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寡黙で何を考えているか分からないコワルスキーは消滅する2日前、デンバーに居た。
そこで飲み屋のオヤジとケチな賭けをした。
「丁度白のチャレンジャーをカリフォルニアに運ぶから15時間でシスコまで行ってやる!」と。
「そりゃムチャだぜ!」と呆れるオヤジにヤツは「シスコから電話する」と言い放つと愛車・1970年型ダッジ・チャレンジャーをスタートさせた!
猛スピードで走るヤツをスピード違反で静止しようとした警官達をブッチギリでかわすコワルスキーのチャレンジャー!
たちまちヤツは警察から追われる身となったのだ!
ネバダに入っても警官をブッチギリ! |
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そして警察の無線をキャッチした地元のラジオ局のDJ、ブラインドマンのスーパーソウルがラジオでこの事件を伝える!
「走れ!走れ!彼はアメリカ最後のヒーローだぜ!」
と援護射撃!
走りまくるチャレンジャー!
追う警察の数も増えてきた!
走れ!走れ! |
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無言で走るコワルスキーの脳裏に、過去の出来事が走馬灯のように蘇る。
警官時代の事、冬の海でサーフィンして死んだ恋人の事やレーサー時代の事。
想い出を振り切るも、ヤツは今ではマスコミもこの事件を追う位に有名になっていた。
名前も割れて何処に向かうかも警察に知られていた。
だが、スーパーソウルのラジオ中継もヒートアップして警察情報を流してヤツを援護していた!
警察も意地でもヤツを止めてやる!と息巻いていた。
しかしヤツが何故急ぐかという理由だけは誰も知らないでいた。
…でも俺たちは知ってるぜ! コワルスキーが急ぐ理由をな! |
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コワルスキーは4つの州を突破して目的地を急ぐが、最後の目的地・カリフォルニアではあらゆる道路に警官がウヨウヨしていた!
ヘリコプターがヤツのチャレンジャーを追い駆ける!
スーパーソウルは「今までは突破出来たが、カリフォルニアへ通じる唯一の国道にはバリケードがある。突破は無理だぜ!」とラジオで伝えるが、ヤツは構わずブッ飛ばす! |
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その国道には鋼鉄のブルドーザーが道をふさいでいた!
飲み屋のオヤジに電話をかけて「オレの勝ちさ」とだけ告げるコワルスキー。
そして走り出す!
一度、停車して思いとどまるが、また走り出すコワルスキー!
警察どもは「ブルドーザーを見たらビビって止まるさ」と高をくくっていた!
そこにスーパーソウルのラジオからあのロックが流れてきた! |
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「OVER ME!」だ!
I've got rock it, roll it, feel it, somethin, nothin's comin'
Over me, over me! Hey! Hey! Hey! Oh!!!
コワルスキーの白のダッチ・チャレンジャーがスパートをかける!!
道を塞ぐブルドーザーが朝日に照らされて美しく輝く!
ヤツの応援歌、OVER MEが鳴り響き、ポーカーフェイスのヤツがニヤリと微笑んだ!
Rock it! Roll it! Over me! Hey! Hey!
そしてヤツはブルドーザーに全速で激突した!
炎上するチャレンジャー!! |
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警察もマスコミも野次馬も何故、ヤツのチャレンジャーがブルドーザーに突進したかは分からない。
理解しようともしない。
Nobody Knows... 誰も知らない。
そう、分かってたまるか!
でも俺たちは理解出来るぜ! コワルスキーの行動の意味をな!
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『バニシング・ポイント』の音楽を簡単に言ってしまうと兄弟のようなもう1本の作品、そう、かの有名な『イージーライダー』('69)と同じ演出と思われがちだが、レコーデッド・ロック・ミュージックで構成されたサウンドトラックの『イージーライダー』とは異なり、『バニシング・ポイント』ではこの作品の為にレコーディングされたナンバーが中心となっている。
そしてスコアも添えてこの作品のサウンドトラックは、ただロックを垂れ流すのではなく、緻密に計算された音楽で演出された類稀な傑作なのだ。
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その音楽をプロデュース、監修したのはソング・ライター、またマイナー・レーベルのAMOSでプロデューサーとして活躍していたジミー・ボーウェン。彼は「SUPER SOUL THEME」他の作曲、この作品の為にレコーディングされた他のナンバーのプロデュースを担当。スピード感溢れるサウンドトラックを完成させたのだ。
1971年当時は勿論、ロックの時代である。どうしても当時、反体制、暴力、悪影響などバッド・ミュージックの代表のようなジャンルだったが、60年代から既に普通に映画のサウンドトラックにもロックは使用されていた。今では誰が考えてもこの『バニシング・ポイント』の音楽はジミー・ボーウェンのプロデュースしたサウンドトラック以外は考えられない。もう映画自体に皮膚のように定着している。唯一の甘いロマンティックなナンバー、『LOVE THEME』のイントロを聞くだけで、映画のあのシーンが蘇るほどに我々の脳裏に刷り込まれている。 |
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ロックは神経を覚醒させて駆り立てるパワーがある。だから『バニシング・ポイント』はロック以外は相応しくないのである。本作のサントラに参加したミュージシャンだが、当時比較的有名だったのは既製のナンバーとして映画に使用されたハードロックのマウンテンと劇中の演奏シーンに出演したデラ二ー&ボ二ー&フレンズだろうか。そしてネバダのシーンのナンバーを演奏するのは後に『ゲイター』('76)などで知られるジェリー・リード、主題歌を歌うのは1981年に『ベティ・デイヴィスの瞳』をヒットさせるキム・カーンズなど、個性的なミュージシャンがサウンドトラックを奏でるのである。 |
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当時や、ともすれば今でもロックが流れると耳を塞ぐ人が居る。案外コアなサウンドトラック・リスナーであっても。それはそれでいい。しかしこの『バニシング・ポイント』の音楽はロックしかありえない。
…そして俺たちはこんなロック・ミュージックが大好きだ! |
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1971年のリアル・タイムにこのサウンドトラック・アルバムを手にし、聴きまくったボーイズ(ガールズ)へ―
何て幸せな!羨ましい!遅れて生まれてスイマセン!リアルタイムに青春してこのアルバムが聞けたら…!と思わせる、70年代の鉄板サウンドトラック・アルバムなのだ!誰が何と言おうと! |
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ジミー・ボーウェン自身がプロデュースしたアルバムは全14曲入り。あえて記すとアナログLPの醍醐味的な曲の並べ方なのだ!つまりAサイドは『SUPER SOUL THEME』で幕明け!Aサイドの終わりはデラ二ー&ボ二ー&フレンズの『YOU GOT TO BELIEVE』。そしてアナログをひっくり返してBサイドのトップは『LOVE THEME』!! これでグッと来させておいて6曲目の『OVER ME』でテンションが一気に上昇!そしてラストは『NOBODY KNOWS』で渋くシメて終わる。つまりこの頃には「うおおおおお!コワルスキー!アンタの後に行くぜ!!」となるのだ!!
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決して映画の登場順に並べられた訳ではないが、このセレクトがたまらなくいい。もうこのアルバムは只の映画のサウンドトラック・アルバムではない!聴く事自体が体験である。そのロック・レヴォリューションは何十年経過しても決して色褪せる事はない!このアルバムに心躍らない者は、何て不幸な!とまで思ってしまうのである。スーパーソウル! |
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本国、アメリカはAMOSレーベルよりダブル・ジャケットでリリース。イギリスはLONDONレーベルでリリースされた為、日本でもLONDONレーベルにて独自のジャケットでリリースされ、「NOBODY KNOWS」と「SUPER SOUL THEME」の強力カップリングでシングルもリリース。但しこれらの日本盤は契約の関係で直ぐに廃盤。少し間を空けてBELLレーベルよりオリジナル・ジャケットで再リリースされた。
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世界的にスーパー・ベストセラーとなったわけではないが、アメリカではカット・アウト盤が比較的入手しやすいなどSHOPでは親しまれたアルバムである。その為か本国でもリイシューされた事は無いようである。日本では映画のヒットとは裏腹に、あまり売れなかったようである。 |
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その後のCD化はとても遅く、ようやく2000年代にイギリスのHARKITよりリリース。その後、アメリカでもリリースされてはいるが、アナログLPと同じ内容だ。
願わくはアルバム未収録の「NOBODY KNOWS」のインストゥルメンタル(メイン・タイトルの場面他)なども収録して欲しいもの。できればCDで聴くよりLPで聴く方がいいだろう。
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このアルバムのCDをカーステレオで聞きながら、コンビニに(故意に)に突進して死んだ者が居た。警察はブレーキ・ミスで済ませたが、実は違う。だってコイツのカーステレオには「バニシング・ポイント」のCDがセットされていて、「OVER ME」が流れた所で突進している。そしてヤツの遺体は笑顔!だったと聞く。
…でも俺たちだけは知ってるぜ! ヤツの気持ちをな! |
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遠いあの70年代。2本立ての名画座では『イージーライダー』と『バニシング・ポイント』のカップリングは鉄板プログラムだった。バイカーと車の疾走もの。そしてロック。そんな兄弟のような作品、あるいはコインの表裏のようなこの2本と見られてきたが、実は似て異なる物である。根底に流れるスピリットも異なる。確かに『イージーライダー』のヒットに触発されて『バニシング・ポイント』は生まれた。つまり極論を言えば、『イージーライダー』が存在しなかったら生まれてこなかった!とも言えるだろう。だがスピリットは『イージーライダー』に真っ向から反旗をひるがえすのだ。 |
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『イージーライダー』のキャプテン・アメリカとビリーの二人は、麻薬に浸り、ひたすら現実逃避の旅を続ける。努力をしない。現実を受け入れない。でも自由でありたいと願う。そして第三者にあっけなくブチ殺されてしまう。願わない死を迎えてしまう。『バニシング・ポイント』のコワルスキーも死を迎えるが、それは他人によってではなく、自ら死を選んでいる!この死を理解出来ない者は、この作品を何千回観ても意味はないし、その後も恐らく意味は分からないだろう。実際、そういう者は最後の場面を見てもキョトンとした顔をしているし、あろう事か「自ら突進するなんてアホとちがうか?」と言い放つのだから! |
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コワルスキーの自ら選ぶ死は、いわば「切腹」、要するに「サムライの自決」である。彼は「名誉ある死」を選んだのだ。そこに悲壮感はない。だって最後の瞬間、あいつは微笑んでいたのだから!この「自決」は永遠の「男のロマン」でもある。大抵の女性には絶対理解出来ないし、むしろ理解して欲しくない男の聖域!とも言えるかも知れない(だから『バニシング・ポイント』は圧倒的に男のファンが多い)。 |
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男は基本的に(女から見て)ケチな事にこだわり、ささいな事に夢中になる。それでちっぽけな達成感で生きている事を実感する。そうして生きていける。他人から見てくだらないモノを集めたり、コレクターである事を自慢したり。コワルスキーもケチな賭けを達成する事で生きている事を実感してスピードの上で過去の想い出を清算していく。
その達成感を感じる事は生きている証拠であり、そこに自分の存在価値を見出す。そして警察に捕まることより、その達成感で「名誉ある死」を自ら選び、アクセルを全開!にするのだ。
女は子供を生むと「子供を守り、生活を安定させて守って」生きて行く。その点、男は(女よりバカなので)守れるのは「自分のこだわりと誇り」位しかない。現実逃避するのは、男の言い訳。だからケチな事にこだわり、言い訳して旅を続ける。女よりバカです!と実感出来れば少しはラクになるかもしれない。 |
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『バニシング・ポイント』のラスト・シーンにはやたら女性の野次馬が多かった。彼女達はコワルスキーの死の意味を理解していないし、理解できない。そして分からない者に言葉で説明しても決して理解はされない。だってNOBODY KNOWSだから。 |
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目をあけてよく注意したはずが、何処かで迷ったこの俺。
人生の行く道に神の助けを求めたが、果たして助けてくれたか。
答えを見つける前に俺たちは離れ離れ。
誰も知らない、誰にも見えない。
人生の灯りがつくまでは、魂が自由を得るまでは。
与えるのは誰だ?
もらうのは誰だ?
誰が答えを知っている?
誰が自由を得る?
何が聞きたい?
その言葉は何処だ?
誰が証言してくれる?
俺が死んだ時に
…でも俺たちが証言するぜ! コワルスキー! |
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