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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Rumble Fish

主演 マット・ディロン
ミッキー・ローク
監督 フランシス・フォード・コッポラ
音楽 スチュワート・コープランド
Scarface Tony
This Film is Dedicated to My Older Brother, August Coppola,
My First & Best Teacher.
(この映画を、私の最初で最良の教師である、オーガスト・コッポラに捧ぐ)
I. Don't Box Me In

ランブルフィッシュとは―――闘魚(ベタ)

水槽で相手が死ぬまで闘う熱帯魚

 俺の名はラスティ・ジェームス。シケた田舎町、タルサの高校生だ。勿論、不良さ。学校にはロクに行かずに溜まり場のビリヤード場でブラブラしてるのさ。皆は俺の事をロクデナシと言うけど、俺にも誇れるモノがある。それは俺の最愛の兄貴さ。兄貴は町のワルどもを結集させて組を作り、町を支配してたんだぜ。対立の組からも恐れられてさ。腕っぷしも強くて頭も切れて、バイクを乗り回して、何をやらせてもずば抜けた存在さ。皆は兄貴の事を『モーターサイクル・ボーイ』と尊敬の念を込めて呼んだのさ。

 俺はそんな兄貴に憧れ、タバコの吸い方から歩き方から真似してたんだが、仲間は「オメエは兄貴にはなれねえさ!」とバカにしやがる!ムカツクぜ!しかも兄貴は、「対立禁止の協定」を提示して行方不明になっちまった。俺はここぞとばかりに協定を無視して対立の組のリーダーを深夜にボコボコにしてやった。俺は兄貴の後継者なのさ!そんな時、突然「協定はどうしたんだ?」とバイクで颯爽と兄貴が目の前に現れた!

 俺の誇りの兄貴が、やっと帰って来た!「どこへ行ってたんだよ、兄貴!」「カリフォルニアさ。」と答える兄貴は、なんか以前とは違ってた。「よう、兄貴!また二人で組んで暴れようぜ!」とハッパをかけても、「ケンカなんてくだらねえ。恐怖を勇気にすり変えているだけさ。」と言う兄貴。

 あれだけ暴れまくってた兄貴。ケンカのやりすぎで耳までも悪くした兄貴が、なんてこった、別人になっちまった。俺の生きがいが、なんだかなくなっちまったぜ。イライラするんで久しぶりに学校へ行ったら退学だとよ!それに別の学校に通うガールフレンドのパティが、「アンタとは別れるわ。」だと?ふざけるな!しかも彼女、あてつけに俺の仲間と付き合い始めやがった。クソ!皆、くたばりやがれ!

 俺は何気なく兄貴にカリフォルニアに何をしに行ったかを聞いてみた。兄貴は「俺たちを捨てたオフクロに会いに行ってた。」と言った。兄貴はあれだけ嫌ってたオフクロに何故?俺は飲んだくれの親父にその事を伝えると「母さんも兄貴もな、ミスキャストなんだ。」と親父は言った。訳がわかんねえ。

 兄貴は日に日におかしくなり、近所のペット・ショップの互いに殺しあう闘魚(ランブル・フィッシュ)をずっと眺めてる。兄貴は「川に戻せば闘わなくなるさ。」と自分に言い聞かせるように呟いた。

 そして深夜、俺の止めるのも聞かずに兄貴はペット・ショップに押し入った。魚を川に逃がす気だ。兄貴は俺に「オレのバイクで町を出ろ!」と言うと魚の入った水槽を持ち上げた。ヤバイ!もう外には警察が来やがった。俺が「こんな所におったらアカンやないか!」と叫んでも、兄貴は耳を貸さない。「窓から逃げようや!なんや、この窓、開(あ)かん!こりゃアカン!」とおやぢギャグを飛ばしてもダメだ!俺は捨身で「N.Y.にいいアルバイトがあるばいと!」とシャウトした瞬間、外に出た兄貴が警官に射殺されてしもたやないか!

 俺は悲しみをこらえながら兄貴の側の魚を川に逃がし、兄貴の言葉通りにバイクで町を出た。そして海に着いた。海にはカモメが舞い、俺はバイクを止めると海を眺めた。海は、とても美しかった…
II. Music by Stewart Copeland. Tulsa Rags

 監督のコッポラは「この作品のスコアは、オーケストラではなく前衛的なパーカッシヴなサウンドが相応しい。」と最初から決めていた。そこで選ばれたのが、当時ポリスのドラマーだったコープランドだ。ポリスは彼とスティング、アンディ・サマーズと1977年に結成されたロック・グループである。

 数々のヒット・シングル、アルバムをリリースしていたが、1983年頃からメンバーはそれぞれ映画の仕事に携わっていく。スティングは俳優として『砂の惑星』('83)、『ブライド』('85)に出演し、サマーズは『ビバリー・ヒルズ・バム』('86)のスコアを担当したり、他にも幾つかのサウンドトラック・アルバムに参加している。

 コッポラに抜擢されたコープランドは、ピアノ、ギター、バンジョー、フェンダー・ベース、ドラムなどのパーカッションの他にタイプライターも一人で操り、そのスコアを完成させた。

 レゲエのリズムに無機質な楽器の響き、アドリブで奏でられるパーカッションの重いビート。出口の見えない、青春のエネルギーが見事にスコアに置き換えられ、この作品の見事なサウンドトラックとして切り離せない存在になっている。彼は町の工場音やサイレンの音を自分で録音し、それをスコアに書き換えてホーン・セクションでレコーディングしたりと画期的な方法でコッポラを感動させた

 リリースされたサウンドトラック・アルバムは見事にベストセラーを記録し、数年後にはロープライスのスーパー・セイヴァー・アルバムとなった。勿論、CD化もされ親しまれたのである。

 コープランドは後にジェリー・ゴールドスミスがスコアを担当予定だったオリヴァー・ストーンの『ウォール街』('87)をストーンの希望で担当、続いてストーンの『トーク・レディオ』('88)でも見事なスコアを聞かせた。この頃からコープランドは、サウンドトラック・アーティストとして様々な作品にスコアを付けて行くが、その大半がB級作品か失敗作だ。

 印象的なのも『ハイランダー2 甦る戦士』('90)、ウィノナ・ライダーの『BOYS』('96)、キャメロン・ディアスの『ベリー・バッド・ウェディング』('98)などごく僅かしかないのが惜しまれる。しかし『ランブル・フィッシュ』は永遠に色褪せない、80年代を代表するサウンドトラック・アルバムの一枚であるのは間違いないだろう。

III. Memories of Early Summer with Diane Lane

 こんなシーンがある。ラスティが劇中、授業を受けているときにふと書棚を見上げると、その上ににダイアン・レイン扮するパティが横たわっていて、意味深にコートの前をはだけて太ももをチラリと見せる。そして今度はブラとショーツだけでラスティを誘惑しているかのように…勿論、ラスティの幻想のシーンなのだが、この描写が巧く、男子なら誰でもが頷く、誰しも経験のある見事なシーンなのだ。そう、我々男子がだ!

 このシーンを観ると不思議にも昔の我が青き中学生の初夏にスリップしてしまう。作品は高校生の物語なのにもかかわらず、自分自身の中学生時代に…。理由は分からないし、説明出来ない。

 そう、中2の初夏だ。この時期、男子も女子も自分自身の生き方、趣味や遊び、異性の好みなどを少しずつ身に付けていく。しかしながら我々男子のほうが、女子よりもそのスピードがやや速かったように感じる(あくまでも当時)。背がグングン伸び、喉仏に薄い髭。そして有名な小説を引用するなら「…見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し…憤怒の色をたたえた。…私の無知をなじり…それはめくるめく…」と男子は少しばかり、異性に対する思いが変化していく。

 初夏は夏服となり皆、半袖だ。そんな時、隣の女子のブラウスの脇から、「それ」がこぼれるように見えた時の言い様のない感動は、「眼が一瞬、眩しい」の一言だった。その「白さ」は、マルチーズの毛並みよりも白く、習字の半紙よりも輝きを放ち、ニュー・ビーズで洗った洗濯物よりも「純白」であった。

  そんな初夏のある時期、学校中の話題の時期が来た。そう、この時期は「教育実習の先生」が来る時期なのだ。しかも女子の先生である。この中2の時は、二人の先生がクラス中、いや学校中の話題をさらっていた。

 まずは「国語・古典」の先生だ。容姿はスラリと伸びた肢体。細くしなやかであり、ノーブルなフェイスにふわりとカールしたその髪は、初夏の風に踊る。少し高いヒールで歩くその姿は、優雅でありモデルのように自信に満ち溢れていた。その先生が、我々に背を向けて黒板に「私の名前は」としなやかな指でチョークを走らせた瞬間、我々男子の間から「うおおお」と歓声が上がった。先生の背中はしなやかに曲線を描き、背中から腰に描くなめらかなカーブは『鈴鹿サーキット』のようでもあり、しかしパープルのブラウスは極端に薄く、やぶれそうでもあり…そう、「完全にブラが透けていた」のである!しかも腰にはタイトなスカートである。こんな姿に我々13歳程度は「たまりまへん!」だったのである。この先生、いつも薄いブラウスの透け状態であった。我々男子は文字通り「硬直」であった。この為か数名の男子が「爆死」した。そしてクラス一、いや校内一の秀才クンが、やられてしまった。
「僕、勉強が出来なくなったよう。誰かが僕の体に盆栽を植え込んだよう!
とオカンに漏らしたらしい。
 可哀そうに、「北野に行って京大に入る。」という彼の人生設計が揺らいだのがこの時期であった。

 ちなみにこの先生、よくチョークを折り、「ゴメンね!」と屈むのでどれだけ前の席に代わりたいと思ったことか。でも女子の間では「あの先生、ワザと見せてる!」とよく言われていた。我々男子は「さすが女子の眼は鋭い。」と学んだのであった。

…先生はso sexyだった…

 もう一人は英語の先生だ。国語の先生とは違い、150cmほどの小柄で、ルックスはといえば大きな瞳は完全にタレ目で高い鼻、笑うとこぼれる八重歯、とまるでアイドルシンガーのようだった。その小さな体で「私の名前は」と黒板に書き始めるとクラス中から笑いが漏れた。字が滅茶苦茶汚いし、名前が少し笑ってしまう名前であった。

 しかし授業は、彼女のコンサートのようだった。
「さぁーみんなで読んでみて!はう・どぅー・ゆー・らいく…」
「これを訳すとなんて言うのかなぁー!」
「さぁー、○○君、言おうか!」
勿論、そのキュートさに「え、え、あの」と純朴な13歳はあきませぬ。
  そして
「この発音はね、舌を噛んでね、イタっ!先生、噛んじゃった。
男子全員、「はぅぅぅ!」と悶絶死。
  そんな先生宅に我々男子三人は遊びに行く事となった(勿論、教職課程を終えてから)。

 我々の居住区から割と先生宅は近く、お昼頃に伺うと「冷やし中華をご馳走したげるね!」と台所に立つ先生。我々は初めて異性の、しかも「年上のひと」の部屋にお邪魔しているので軽い緊張感が流れている。それでも我々はその部屋に「たんす」がある事に気づいた。
「…開けようか?」
と一人が呟いた。
「そ、それはグッド・アイデアだね!」
と一同。
 我々は息を押し殺し、その引出しに手をかけた。我々の頭にはジョン・ウィリアムスの『未知との遭遇』のテーマが鳴り響き、遂に「人類の第三種接近遭遇」の時が来た!我々のその時の顔は、「親にも見せられない、まるで鶴光の形相」であった!一番下の引き出しで見事にヒット、我々の前に眩しい光が差し込んだ。その光景は人生の中でも最高に眩しく、感動を覚えた。「それ」はまるでそれぞれに生命が宿っているかのように息づいており、理路整然と列を作り、あんなにも小さく折りたたんである事に、我々は驚愕の声を漏らした

 あまりの眩しさと可愛さに包まれたこの光景は、まるで幼稚園の時、夜店で遭遇したピヨピヨと鳴く「ヒヨコの箱」を我々は脳裏に浮かべた。この時代、ケータイ・カメラなんて存在しない時代。我々は個々の頭にその姿を焼き付けた上、手を合わせて別離の時を迎えたのである。「グッバイ、ラブリー・フレンド」と。

…宇宙にいるのは、我々だけではない…

 そして先生の食事を頂き、悲しみの帰路に着こうとした時、先生の書棚にどおくまんの『嗚呼、花の応援団』の全巻が辞書と一緒に並べられているのを見た我々はさらに涙が溢れたのだ。

…先生はso cuteだった…

 

 あの時、先生宅で何を話したかは、記憶がない。でも忘れられない。ダイアン・レインを見ると不思議にもあの時代へ記憶が蘇ってしまう。ダイアンの全盛期は、フィービー・ケイツ、ソフィー・マルソーなどアイドル・アクトレスの時代。そんな彼女のスクリーンに自分をも映し出してしまうのだ。この時、男子は皆、眠れぬ夜を過ごすのである。

…ダイアン・レインはso sexy & so cuteだった…

IV. The Godfather - Francis Ford Coppola

 コッポラは本作で全編モノクロ・パートカラーの、ほとんど戦前のドイツ表現主義的な作品に仕上げた。
 意味深なセリフ、アドリブのようなシーン。まるでラングかムルナウの映画みたいに画面から怪人が出て来るような。そう、あの『地獄の黙示録』('79)の後半に似ている。

 しかし本作はあくまでも「兄弟」の物語だ。コッポラの作品は「兄弟、親子」がテーマになっている事が多い。
 『ゴッドファーザー』の3部作は全てマイケル・コルレオーネが「兄を殺されて復讐し、そして裏切ったもう一人の兄を殺す弟・マイケルが、その罪に苦しむ」物語だ。『地獄の黙示録』でのウィラードは自身の兄・父とも言えるカーツを殺そうとしていた。その血の濃さがコッポラだ。

 義理人情に篤いコッポラは、自分の作品には家族や友人を起用する。本作では娘のソフィアをキャストに加えており、ダイアン・レインはコッポラ作品に4本も出演した女優でもある。デニス・ホッパー、トム・ウェイツ、ラリー・フィッシュバーン、そして兄オーガストの息子、ニコラス・ケイジも本作に出演している。

 現在では、娘ソフィアの監督作品全てをプロデュースしたりの親バカぶりも彼らしい。本作は実兄に捧げられており、「本当に好きな作品は『カンバセーション・盗聴』('74)と『ランブル・フィッシュ』なんだ。」とコッポラは語っている。

 本作について実兄のオーガストは「成長の一段階を描いたものだ。当然、そこにあるのは後悔だよ。弟が僕のことを尊敬していたのは認めるけど、彼の方が偉大だよ。この映画が僕に捧げられているのは、彼の中に僕が大きく位置してるんだろうね。彼は僕の方が、自分より成功すると思っていた。それをよく嘆いていた。その意味で、この映画は辛辣な映画だよ。」

 『ランブル・フィッシュ』の兄弟は、コッポラ兄弟そのものなのである。