ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
真夜中のシカゴ。一晩中雨が降り続き、人々は深い眠りに落ちているが、ここに眠らない狼がいた。彼は手馴れた動作でビルに侵入し、金庫室から獲物のダイヤモンドを盗み出すと夜の闇に消えていった。
狼の名はフランク。昼間は中古車屋を経営しているが、実は少年時代から犯罪者であり、本来の姿は真夜中に生きる狼、THEIFだ。彼は盗んだダイヤを裏ルートでさばいて大金を稼いでいるが、彼なりの仁義を貫く「時代に取り残された男」なのだ。
彼は裏稼業の師匠である年老いたオクラという男の刑務所の面会は欠かしたことがない。しかしオクラは死期が近づいており、ある日面会に来たフランクにこう漏らした。
「…ここでは死にたくない」
なんとかオクラを出所させて病院に入れてやりたいが、それには大金が必要だった。
フランクには過去に夜の顔を知らぬ女房に逃げられた事があったが、今は行きつけのカフェのウエイトレス、ジェシーに夢中だった。ある夜、勇気を振り絞り、自分の本当の姿を打ち明けた。
「俺の妻になってくれ。俺の支えになってほしい。」
返事は「イエス」だったが、しかし彼女は子供を生めない体だった。彼女の為にもフランクは遂に裏稼業から足を洗う決意をする。
しかし夜の狼に逃げ場は無い。フランクの腕を見込んで闇社会のボス、レオが仕事を持ち込んだ。一度はキッパリと断るフランクだったが、巨額の報酬、豪邸、そして彼がもっとも欲しい「赤ん坊」までも闇ルートで与えた。遂に一度きりとの約束でレオの仕事を引き受けるフランク。ロサンゼルスの宝石会社のダイヤを盗み出す仕事は見事に成功した。
報酬を受け取ろうとしたフランクだったが、しかしレオは金を渡さない。それどころかフランクの弟分を惨殺してフランクを脅した。
「いいか、貴様は俺のイヌなんだ。 女を売春婦にさせてやろうか? あの赤ん坊を死なせたいのか? 俺のいいなりの仕事さえやれば生かしておいてやる。」
オクラが死んだ夜、フランクはジェシーと赤ん坊を安全な場所に逃がすと、長年かけて大きくした中古車屋に自ら火を放ち、自分の家をもダイナマイトでふっ飛ばした。自分の「守るべきもの」を自ら破棄したフランクは、闇夜に一人、レオの豪邸を襲撃する。闘いの中で自らも負傷しながらも、レオをこの世から葬った。そしてフランクは、どこへともなく、闇夜に消え去っていったのだった。
監督のマイケル・マンの強い希望で音楽を担当したのはタンジェリン・ドリーム。当時カリスマ的な人気を誇った西ドイツ出身のシンセサイザーを操るプログレッシヴ・ロック・グループだ。1969年にリーダーのエドガー・フローゼが、サルヴァドール・ダリと出会った事にインスパイアされて結成された。
メンバー・チェンジを何度も行い、西ドイツのOHRレーベルから数枚のアルバムを発表。この時に小規模な西ドイツ映画のサウンドトラックも担当する。そして1974年、イギリスのVIRGINレーベルと契約。「PHEDRA」から「STRATOSFEAR」などの傑作アルバムをリリースした。彼らの奏でる、幻想的で闇夜にこだまするエレクトリックなサウンドは、ヨーロッパ中の話題となった。
1977年に「恐怖の報酬」のサウンドトラックでアメリカ映画を初担当。「ザ・クラッカー」を経て多数のアルバムをリリースし、そして世界中でコンサートも行ったこの時期はまさにタンジェリン・ドリームの黄金期であった。この黄金期・1980年代のメンバーは、エドガー・フローゼ、クリス・フランケ、ヨハネス・シュメーリングの3人。彼らは1983年には日本でもコンサートを行った。この年彼らはVIRGINとの契約が終了となり、VIRGINでの最後のアルバム「HYPERBOREA」をリリース後、サウンドトラック・バンドとして数多くの映画、TV映画のサントラ制作に総力を上げていく。「ザ・ソルジャー」('82)、マイケル・マンと再度組んだ「ザ・キープ」('83)、「SF・ザ・ウェーブ」('83)、「ストリート・ホーク」('84)、「ビジョン・クエスト 青春の賭け」('85)、「ベルリンは夜」('85)、「レッド・ヒート」('85)、「二ア・ダーク」('87)、「ミラクル・マイル」('88)、「スーパー・コップ90」('90)など多数に及ぶ。
よほどギャラが良かったのか、彼らは映像音楽制作にどっぷり浸かっていた。その間もレーベルを移籍してJIVEより「LE PARC」などアルバムをリリースしていたが、グループの方向性の相違によりC.フランケとJ.シュメーリングがメンバーを脱退。新たにポール・ハスリンガーを迎えて新生したが、サウンドトラックの仕事は続行していった。アルバムも「TYGER」などをリリースするが、往年の輝きのサウンドは失われ、1990年代のタンジェリン・ドリームのサウンドは、「ニューエイジ」と呼ばれるアンヴィエント・ミュージックとなってしまった。
現在はフローゼの息子と2人で活動している「親子タンジェリン」だが、ビートルズの歌の歌詞にインスパイアされてネーミングされた「TANGERINE DREAM」は、「時代に取り残された遺物」なのだろうか―――? いや、現在はロックが要求されない時代だが、タンジェリン・ドリームの残したプログレッシヴ・ロックは永遠なのである。
現在では数々のリリースされなかったサウンドトラックなどが、ブートレッグとしてマニアの間で流通し、リアルタイムのサウンドトラックは様々なレーベルでリリースされていたため、マニアックなリスナーの興味の対象となっているのである。なおオフィシャルリリースのサウンドトラックでは「TATORT」('82)、「ハートブレイカーズ」('85)が、西ドイツ・VIRGINレーベルのみの貴重なリリースの名盤である。また、西ドイツ・VIRGINからは3枚組の大ベスト・アルバムの「DREAM SEQUENCE」があり、これはVIRGINレーベルのアルバムからのエディット・ヴァージョンのベストアルバムである。「卒業白書」('83)の別テイク・ロング・ヴァージョンの2曲が収録など、サウンドトラック・ワークも収録の最高のアルバムになっている。このベスト盤をベースに2003年、エドガー・フローゼ自身の編集した5枚組のCDベスト盤もリリースされている。これはフローゼ自身がオリジナルのサウンドをモチーフにして新録音を行い、そしてオリジナル音源にリミックスしたもの。そのうちの1枚が映画音楽編となっており、数本の映画からチョイスされた音源が聞けるのがとてもいい。
タンジェリン・ドリームは、サウンドトラックしか聞かないマニアの中にも新たなファンを獲得したが、それは抜けたメンバーが、再びサウンドトラック制作に手を染めているからだ。 クリス・フランケは、「マクベイン」('91)、「ユニバーサル・ソルジャー」('92)のほか、TVシリーズなどを多数担当。ポール・ハスリンガーも「アンダーワールド」('02)、「アドレナリン」('06)などを手がけている。
彼らがその映像音楽に貢献したのは誰しも認める事実だろう。しかし、タンジェリン・ドリームの絶頂期のサウンドトラックの最大の傑作が、「ザ・クラッカー」なのもまた確固たる事実なのである。
リリースされたサウンドトラック・アルバムは8曲入りで、ヨーロッパ・日本などではVIRIGINから、アメリカはELEKTRAからリリース。アメリカ盤のみ追加音楽のクレイグ・セイファンの曲が収録(ラスト・シーンからエンド・クレジットに流れる、東映・浪花節調の曲)。オリジナルのVIRGIN盤にはC.セイファンの曲は無いが、「BEACH SCENE」を収録。
レコーディングはベルリンにあるクリス・フランケのスタジオで行われ、監督のマイケル・マンとタンジェリンの共同プロデュースで作業が行われた。アルバムは「BECHE THEME」で幕を開けるが、その曲構成が素晴らしい。当時、映画を観ていないタンジェリンのファンからもオリジナル・アルバム同様に愛されたのだ。大都会の闇夜に生きる狼を描写するシンセサイザーと単純なリズム・パターンは、聴く者の耳に深く刻み込まれるのだ。
そしてこのアルバムはヨーロッパ・アメリカ共にベスト・セラーを記録。80年代後半にはスーパー・セイヴァー・アルバムとしてロープライス盤でさらに人気を上げた。CD化も早く、1990年にはヨーロッパ・日本でリリース。さらにオフィシャルではないが、15曲入りCDも存在。数々の編集違いのブートレッグCDも存在している。
時代に取り残された男たち―――。
この永遠のテーマを監督デビューの「ジェリコ・マイル」('79/TV)から、この劇場長編処女作の「ザ・クラッカー」、そしてその後の作品で常に描き続けるマイケル・マン。「ザ・クラッカー」でジェームズ・カーンは死を覚悟して敵の根城へ乗り込む前に自分の家や店を爆破してしまうが、この行為を理解出来ないとマイケル・マン作品の真髄は理解出来ない。
自分の守るべきもの、そうしてきたもの全てを破棄してしまう。想い出を葬りさり、己の道を突き進む。だが自分の仁義を貫くには犠牲が伴う。それを覚悟で進む。 一生、飼い犬として生きるのであればより容易く生き永らえることが出来るが、しかし死を覚悟してでも己の道を歩む。それがマンの世界の男の姿なのだ。
ただしマンの世界は、何も不可能を可能にするスーパーマッチョな男たちではない。皆、実は普通の男たちであり、タフではあるが「精神的には弱い」男たちだ。口汚く罵り、グチを爆発させて怒り、絶望し、自信を喪失してしまう。そしてその喪失から彼らを救うのは、必ず女性キャラクターなのである。
マイケル・マンは女性の描き方が下手だとよく言われるが、実は違う。マンは「男より女の方が強い」と分かっているのだ。「ザ・クラッカー」ではJ.カーンの暗い過去を許し、包み込むC.ウェルド。「刑事グラハム」('86)の盲目でありながら連続殺人犯の心を見抜くJ.アレン。「ラスト・オブ・モヒカン」('92)のお姫様からタフな女性に変身するM.ストウ。「ヒート」('95)の男たちに人生を狂わせられながらも慈母のような愛情を見せる女たち。そう、女は強いのだ。
「男は未練がましく過ぎ去った思いを所有しようとし、女はそれを断ち切ろうとする」
だからマイケル・マンの描く女は精神的にタフであり、「男に自信を取り戻させてくれる」のだ。「ヒート」のA.パチーノも妻の言葉で勇気付けられ、「コラテラル」('04)の夢破れたJ.フォックスは、弁護士の女性を救おうとして、忘れていた自分の中の「男」を取り戻す。
女が強いのは「毎月のムーンライト・セレナーデ」に耐え、数々の失恋を経て精神的にタフになり、やがて出産して大地のどすこいな母となるからだ。だからマイケル・マンが描く女は、輝いているのだ。そんな女に囲まれてはじめて、男たちは自分の道が歩けるのかも知れない。
また、マイケル・マンが描く男たちは皆、「自分自身の影・分身」を追いつめて最後に倒すのだが、自分自身の影を倒した為に自己も喪失してしまう。「ザ・キープ」('83)、「刑事グラハム」、「ヒート」の男たちがそうだ。「ヒート」でA.パチーノとR.デ・二ーロが絶対同じフレームに収まらないのはそのせいだ。自分自身の分身なのだから。相手が正面ならもう一人は背中を向ける。ラストのパチーノの喪失感溢れる顔は、自分自身の影を消した男の抜け殻だったのだ。
しかしそこから、マイケル・マンの世界の男たちは自分自身を取り戻して己の道を歩き続けてゆく。そして最後にとあるパラダイス、ユートピアに辿り付く。そこにはタンジェリン・ドリームが奏でる、「BEACH THEME」が高らかに流れている。でもそのメロディを誰も一緒に楽しんではくれない。そこには誰もいないのだから。そのメロディを楽しむのならそれを覚悟せねばならない。
マイケル・マンが描く作品のラスト・シーンは、必ず「男の後姿」で締めくくられる。それは「ザ・クラッカー」から「マイアミ・バイス」('06)まで何一つ変わっていないのだ。