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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Merry Christmas Mr.Lawrence

主演 ナーチャ・ブルンクホルスト
監督   ウルリッヒ・エデル
音楽 (作詞・作曲・歌・制作)
デヴィッド・ボウイ
(「STATION TO STATION」「LOW」「HEROES」「LODGER」「STAGE」より)
フィルム・ミュージック(オリジナル・スコア)
ユルゲン・クニパー

<起訴>

1977年7月。
高校生クリスチーネ・ヴェラ・F
被告は1976年2月以来ヘロイン常習者である。
そしてヘロイン購入の資金の為、売春を行った...

<判決>

1978年6月。
被告は一連の麻薬の取得について、有罪とする。
そして保護観察処分とする...

<回想>

 あたしはクリスチーネ。13歳。ベルリンの団地に母と妹と住んでいる。両親は離婚。母は仕事と若い恋人に夢中。あたしには無関心。妹はあたしの相手にならない。学校なんて最低。毎日がウンザリ。退屈。でも大好きなデヴィッド・ボウイの音楽は、あたしをほんの一時、別世界へと連れて行く。素敵。

 
 あたしの関心はディスコ「サウンド」だ。そこはフィクサー(ヘロイン中毒者)たちの溜まり場。でも最高にクールな仲間が集まっている。あたしも友達と初めて行ってからサウンドの常連となっていった。いつもボウイの曲が大音量で鳴り響き、最高。音楽に酔ったせいか、勢いでLSDを試してみた。でも強烈な吐き気。そんなあたしを優しく介抱してくれたのはクールな男の子、デートレフだった。そんな彼や彼の仲間と友達になるのにそれほど時間はかからなかった。でも彼らはヘロイン中毒者だった。
 

 家でボウイの音楽を聞いている時は、普通の女の子だ。でも少しずつ体は薬物を要求している。ボウイのコンサートに行って酔いしれた、その帰りにあたしはヘロインを鼻から吸い込んだ。気分は最悪だったけど、これで好きなデートレフと同じ世界に一体化したと思うと幸せだった。

 
 

 14歳の誕生日を友達のバブシーと祝う。彼女は立派な中毒者でヘロインを買う為に売春もしている。あたしたちはいつもツォー(動物園)駅でたむろしていた。仲間はそこに集まりトイレでヘロインを打っていたのだ。あたしもその頃には、すっかり中毒者になっていた。1日に2回打たないと禁断症状が出るくらいだった。当然、ヘロインを買う金に困ってきた。

 デートレフは男に自分の体を売り、ヘロイン代を稼いでいた。あたしは彼を軽蔑したが、いつしかあたしも体を売るようになっていた。ヘロインを絶ちたいが、止めれない。止められない。助けて欲しい。母には言えない。苦しい。でもヘロインを打つと別世界へとトリップできてしまう。悪循環だと思うけど、止められない。

 ある日、あたしとデートレフは勇気を振り絞り、部屋に篭ってヘロインを絶つことにした。3日間の地獄のようなターキー(禁断症状)に耐え、あたしたちはクリーンになった!
 でも、あと一回だけ、とヘロインにまた、手を染めてしまう。そこからは地獄だった。死人のような顔でツォー駅をふらつき、変態男に体を売ってはヘロイン代を稼ぐ。
 デートレフも同じだった。思考能力がない。あたしはもう普通の女の子ではない。生ける屍だった。ツォー駅は地獄の住人で溢れていた。

 
 そんなある夜、駅の売店の新聞で、友達のバブシーがヘロインの打ちすぎで死んだ記事を見た。あたしはもう生きる気力を完全に失った。あのバブシーが死ぬなんて!
 14歳で彼女が死ぬなんて。あたしの頭はもう空っぽだった。ふらふらとトイレに入り、死を覚悟で高濃度のヘロインを打った。意識がもうろうとしてきて風の音が聞こえてくる。
 死んだ友人の顔が浮かんだかもしれない。「バブシー、逢いにきたよ...」

 でもあたしは死ななかった。ようやく母の助けで田舎の村に住んでからは1年以上もヘロインとは縁がない。時々、デートレフを思い出す。助けてあげたいけどまずは自分が生きなければ。自分のことだけで、精一杯なのだから...

 この映画のサウンドトラックとして全編に使用されたのは、コンサート・シーンにも特別出演しているデヴィッド・ボウイの曲。彼はこの映画のテーマに共鳴して自作の曲の提供を快諾した。ボウイ自身も1970年代初期から奇抜なルックスでロック・シーンを席巻したが、そのプレッシャーからイギリスを離れた後コカインに溺れてしまい、その後薬物を絶ちながらベルリンでレコーディングしたアルバムの3枚、一般的に「ベルリン3部作」と呼ばれているレコーディングを中心にそのままサウンドトラックに使用されている。

 

 1976年から79年の5枚のアルバムからセレクトされた10曲がそうだ。
STATION TO STATION」(ステイション・トゥ・ステイション) - 3曲
LOW」(ロウ) - 1曲
HERORS」(ヒーローズ) - 3曲
LODGER」(ロジャー) - 2曲
STAGE」(ステージ) - 1曲
 この時期はボウイの絶頂期であり、ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティらとの作業でベルリンのハンザ・スタジオで行ったレコーディングは、ロックの歴史の1ページを刻みこんでいる。
 しかし、これらのアルバムは決して、ティーンエイジャーやローティーンが聞くポップ・ロックではない。ひと夏聞いて、その後忘却の彼方に葬られるヒット・ソングでもない。アートなロック、プログレッシブなロック、知的なロックとでも言おうか。大人の為のロックである。安っぽい失恋やラブ・ソングではなく、ボウイの書く歌詞は、知的であり政治的でもある。実在のクリスチーネが大好きなアーティストであるボウイ。彼女のような精神年齢の高い十代は1970年代には大勢居たのだ。

 「LOW」「HEROES」ではインストゥルメンタルを多用する実験感覚、アメリカでレコーディングした「STATION TO STATION」のホワイト・ソウルなファンク。時代の先を行くボウイのナンバーが、この映画でも絶大な効果を上げているのも特筆すべき点である。そしてそれ以上にこの映画でのボウイはレコード・ジャケット、ポスターとして登場し、遂にコンサート・シーンで本人が登場する。煙からヌーっと現れ、ブルージーンズに真っ赤なジャケット。顔は青白く、目の周りは黒い。まるで死人の顔だ。そう、彼は死んだジェームス・ディーンのコスチュームに身を包んだ死神なのだ。コンサート会場を埋め尽くす若者に、死の香りを撒き散らす死の天使なのである。そんな彼を王子さまを見つめるような女の子の眼差しを向けるクリスチーネ。手を伸ばせば憧れの王子さまに触れる事が出来るのに、ただ見つめるだけのクリスチーネ。

 
 エンド・クレジットを含め、劇中3度使用されるナンバー「HEROES」はこの映画の主題歌と言えるだろう。歌詞は1980年代末まで存在したベルリンの壁を歌っているが、その後2001年に世界貿易センターテロ事件で亡くなったNYの消防士を称えるコンサートでもボウイ自身が歌った。その時は歌詞の内容が変化し、たった1日で散っていった英雄たちに捧げるソングに変化していた。又、映画には使用されていないが、「HEROES」のアルバムにはこの「クリスチーネ・F」の世界を予言して歌ったようなナンバー「SONS OF THE SILENT AGE(沈黙の時代の子供たち)」が収録されている。
 

 リリースされたサウンドトラック・アルバムは全9曲。全てボウイの5枚のアルバムからセレクトされている(「STATION TO STATION」のアルバム・ヴァージョンのみ未収録) 。簡単に言えばボウイのベスト・アルバムではあるが、映画を観てから聞くとまるで映画の為にレコーディングされたかのような錯覚を起こす貴重なアルバムなのだ。

 

 ボウイのマニアからは「HEROES」のドイツ語ヴァージョン(歌詞の中間部分がドイツ語)や「STAY(ステイ)」「TVC 15」のシングル・エディット(映画ではアルバム・ヴァージョン)・ヴァージョンを収録しているのも支持された点だ。映画では地獄絵図のようなツォー駅のシーンやサウンドのシーンで流れるインストゥルメンタルの「SENSE OF DOUBT(疑惑)」と「WARSZAWA(ワルシャワの幻想)」が、まるでこの映画のスコアのように見事な効果を上げている。

 
 

 映画で初めて流れるナンバーは「V-2 SCHNEIDER(V2 シュナイダー)」(V-2とは第2次大戦中にロンドンを狙ったヒトラーのミサイル名。)で「WARSZWA」で幕を閉じるこのアルバムは、1981年4月に映画公開と同時にドイツでリリース。そしてフランス、1982年4月にはアメリカ、日本、オーストラリアでリリース。特にドイツでは何度も再プレスされる位のベストセラーを記録した。CD時代に入り長らくは、ボウイ・マニアの間ではブートレッグのCDが流通していたが、2001年にEMIよりオフィシャルのCDがようやくリリースされた。

 

 一人のアーティストの既製の曲で構成されたサウンドトラックとしては類を見ない効果と、アルバムの出来がいいためか、1980年代初期の傑作サウンドトラック・アルバムの一枚として、今日も決して色褪せる事はない。

 なおこの映画の為にオリジナル・スコア(クリスチーネと妹のシーンほか、地下鉄のシーン)のほんの短い2曲を作曲したのは「ベルリン・天使の詩」(87)、「フランスの友だち」(88)などを手がけたドイツ人のユルゲン・クニパーであるが、もちろんアルバムには収録されていない。

 実在のクリスチーネが書いた手記「クリスチーネ・F われら動物園駅の子供たち」が1978年に発行、一大ベストセラーとなりドイツ中で話題となった(日本でも発行)。そして彼女と同世代の10代に支持を受けて映画化。1981年4月にドイツで公開されるや大ヒットし、ウォルフガング・ペーターゼンの「Uボート」と肩を並べるほどの結果となった。その後ヨーロッパ中で公開され、1982年4月にはアメリカ、ついで6月には日本でも公開されている。

 この映画は暗い。重い。救いがない。観終えても幸福感など全くない。憂鬱と倦怠が残る。娯楽ではないこの映画。視点は同情など一切なしにドキュメンタリー・タッチで描かれる。まるで空高くから見つめる神の視点のように。神は何もしない。助けの手を差し伸べない。ただ少女の愚行をじっと観察しているだけだ。でも神を彼女を救った。それは生き残る事だったのだ。

 

 実在のクリスチーネは映画公開後に注目され、ドイツの週刊誌「STERN」の記者として活躍した後、しばらくしてまたも薬物に手を染めたが立ち直り、現在ではドイツ在住のシングル・マザーとして元気に暮らしているという。しかし、死んだという噂もある。