ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
雨の中、顔を撃たれて瀕死の重傷の刑事を乗せてパトカーが走る。 NY市警第8分署では警官が電話を取り 「誰が撃たれたと思う?セルピコだぜ」 「撃ったのは警官か?」 「分からんが殺したがってた警官が大勢いたからな」 などと、およそ警官らしからぬ話をしていた。
撃たれた警官の名はフランク・セルピコ。 病院で失いつつある意識の中、セルピコは自身が警察学校を卒業して希望に燃えていたあの懐かしい日々の記憶が蘇ってきた。
11年前、初めて配属された82分署での勤務。しかし理想と現実のギャップが、若い警官の心を打ち砕いた。署の同僚・ベテランの警官達の日常茶飯事として行われていた無銭飲食、さぼり、見て見ぬふり、容疑者へのストレス解消の暴行といった不祥事の数々は彼には耐えがたいものだった。
転勤を申し出た署では私服と髭を許されて心気一転、仕事に打ち込んだ。夜間大学での勉学に励み、刑事になるべく努力した。そして彼は刑事として新たな署に配属されるが、大学で知り合った恋人レスリーはあっさりとセルピコの元を去って行った。
新たな署で同僚が何気なく封筒を渡した。中を見ると金が入っていた。それは賄賂だった。上司に相談すると「忘れてしまえ」との一言だった。
そんな折、引っ越した先のアパートで隣に住んでいたローリーという看護婦と深い仲になる。彼女とのひと時が、セルピコの疲れた心を癒してくれた。
賄賂を拒否して署内で浮き上がったセルピコは別の署に転勤したが、そこは以前にも増して汚職の蔓延する最悪の分署だった。同僚達は結託してヤクザ達から金を巻き上げては賄賂として皆で分け合っていたのだ。 「セルピコよ、受け取ってから慈善団体にでも寄付しなよ。」 と賄賂受け取りを強要する同僚達。それでも受け取りを拒絶して上層部に報告したセルピコは、たちまち署内で白い目で見られ、完全に孤立してしまった。
警察上層部はようやくセルピコの報告を受け、『警官汚職捜査班』を設置し彼に情報収集の囮になるよう希望した。セルピコは一瞬ためらったが、結局引き受けた。しかしその毎日は耐えがたいものだった。同僚達は口封じの為にセルピコを殺す事も匂わせて脅してきた。もはや同僚達はセルピコを上層部の犬としか見ていない。無力感、徒労感に苛まれ恋人にヒステリックに怒鳴り散らす毎日。上層部の公聴会にも出ても警察の恥部の暴露を恐れる為か結局うやむやにされてしまった。
セルピコは唯一信用できる友人の助言で市役所に報告するが、「警察との対立は出来ぬ」と無駄骨に終わった。ならばニューヨーク・タイムズに全てをぶちまけてはどうか、と彼は言ったが、セルピコにはそこまでの勇気はなかった。それをやってしまうとハドソン川にセルピコの死体が浮かぶ羽目になるからだ。そしてある日、ローリーは彼の元を去って行った。泣きながら―。
地獄の日々はなおも続く。同僚達は毎日セルピコを脅し続け、彼は地区中で異端者として有名になっていた。自らの死の気配を感じ取ったセルピコは遂に覚悟を決めて全てをニューヨーク・タイムズにぶちまけた。その翌日からニューヨーク中がパニックとなった。市当局は事件の全容解明に全力を尽くすことを表明、一方の警察側はスキャンダルの火消しに躍起になっていた。そしてセルピコは警察内部の恥部を暴露した仕返しなのか、NY一危険な南ブルックリンの麻薬捜査班への転属処分を受けた。
そんなある日、麻薬売人の捜査中セルピコは顔を撃たれてしまう。彼を助ける事の出来たはずの同僚達は、一切彼を助けなかった。まるでセルピコの死を望んでいたかのように―。
だが、セルピコは死ななかった。汚職警官達には調査の手が入ったが彼の心は晴れなかった。病院を退院したセルピコは退職してスイスに行った。しかし住所は誰にも知らせていない―。
「『セルピコ』には一切スコアをつけるべきではなかった」と監督のシドニー・ルメットは言う。元々ルメットは音楽の力に頼らない監督である。『丘』('65)には音楽は無く、『狼たちの午後』('75)、『ネットワーク』('77)にも音楽はほとんどない。彼は「実話に基づいている事を伝えるのに、物語を縫うように流れたり消えたりする音楽は必要だろうか?」とも語っている。
『セルピコ』ではそんなルメットの考えを製作のマーティン・ブレグマンは支持したが、この作品の最高責任者であるディノ・デ・ラウレンティスは承諾しなかった。そして「こちらで勝手に音楽を付ける!」と言ってルメットを脅した。しかたなくルメットは必要最小限として2時間10分の映画に約14分程度のスコアを付ける事にしたのだった。
ルメットが選んだ作曲家はギリシャ人の名作曲家ミキス・テオドラキスだった。そのころテオドラキスは左翼政治活動を行い、右派のギリシャ政府によって収監後、ちょうど釈放されていた時だった。パリにいたテオドラキスに会ったルメットは状況を説明、スコアを頼みたいと話し、運良くコンサートの為ニューヨークに行く事になっているテオドラキスに映画を観てもらう事となった。ニューヨークでの試写が終わってテオドラキスはルメットにこう言った。 「とても気に入った。でも音楽は入れるべきじゃない」 そこでルメットは悩みを話し 「たとえ10分でもいいから…」 と彼に頼み込んだ。
するとテオドラキスは 「映画に使える魅力的なフォーク調の曲がある」 と、あるテープをルメットに聞かせた。 それを気に入ったルメットにテオドラキスは付け加えた。 「これからコンサート・ツアーに出るので、編曲・レコードセッションはおろか、新しいスコアを書く事も一切出来ないが、これでもギャラが貰えるのか?」 ルメットは即答した。 「問題ない」
こうしてルメットは編曲・指揮・レコードセッションに当時CTIの若きジャズ・アレンジャーでありミュージシャンのボブ・ジェームズを起用し、たったの1曲、しかも『セルピコ』に書かれた曲ではないフォーク・ナンバーをソースに、約14分程度のスコアを入れることとなった。そのスコアはこの緊張感溢れる、救いがたい物語の中を砂漠のオアシスのように僅かながら流れ、時にヴァイオリン、そしてトランペットのリードで見事に物語に溶け込んでいる。少しずつ流れていたテーマ曲はラスト・シーンからエンド・タイトルに希望の泉の如く溢れ出し、そのメロディはマンドリンの甘い音で奏でられる。まるで大都会のアスファルトに咲いた、小さな希望の花のように。その元となったテオドラキスのフォーク・ソングは「Old Roads」という。
テオドラキスはギリシャの有名な音楽家であり、1960年代のヨーロッパでは左翼人の英雄のような存在であった。数々の投獄、そして国外追放に屈せず、交響曲、協奏曲、バレエ音楽、ポピュラー音楽、そして映画音楽を作曲した。そして民主左翼連盟の国会議員もつとめ、当時のヨーロッパでは若い世代のカリスマ・ヒーローでもあった。
映画音楽ではコスタ・ガヴラスの『Z』('70)、『戒厳令』('73)を筆頭に『エレクトラ』('61)、『死んでもいい』('62)、『その男ゾルバ』('64)、『魚が出て来た日』('67)、『風雪の太陽』('73)が代表的である。ギリシャでは解放後、数々のテオドラキスの音楽が解禁となり、1980年代に入り、未リリースの映画音楽などがリリースされた。
『セルピコ』では実際に音楽を担当した訳ではないが、堂々と音楽担当としてクレジットされた。それがテオドラキス開放の標だったのかもしれない。
『セルピコ』は企画の当初から「サウンドトラックはアルバムでリリース」する事が決定していた。大プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスにとって初めてのアメリカ映画の製作作品の第1弾として、音楽面でもキャッチーなアルバムとしてリリースしたかったのだ。しかし本編のスコアが約14分程度ではアルバムにはならない。しかも音楽はテーマ曲1曲のみしかない!
しかし名ジャズ・アレンジャーのボブ・ジェームズがアルバム用にCTIタッチのクロスオーバー風にアレンジし、さらに数曲を新たにアルバム用にレコーディング。ヴォリュームを持たせて全10曲入りのアルバムに仕上げた。勿論、そのほとんどは映画本編では使用されてはおらず、アルバムでしか聴く事が出来ない。それでもバラードやアップテンポのファンク・タッチにアレンジしたりと聴き応えのあるアルバムである。この作品のサウンドトラックは当時の常識からすればリリースされた事自体が奇蹟的と言える。
だがアメリカ、フランス、イタリア、イギリス、日本などワールド・ワイドにリリースされたが売れ行きは奮わず、あっという間に廃盤となってしまった。それでもシングル・カットされ、フランク・プゥルセル、パーシー・フェイスなどのイージーリスニング・アーティストに好まれてカヴァー・レコーディングが生まれ、ペリー・コモのヴォーカル・カヴァーもあり、日本ではモーリス・ローラン・オーケストラなる怪しいバンドのカバーレコーディングもある。
リアル・タイムの売れ行きが悪かったせいか、その後リイシューは全く無かったが、1992年にギリシャでテオドラキスの映画音楽の権利が全て買い取られ、『セルピコ』は彼の他作品と同時にLPとCDでニュー・ジャケットで再発売された。さらにアメリカのDRGより『セルピコ』の他、3作品をプラスして2枚組のCDでリリース。そして現在、ギリシャではリマスター版のCDがさらに新しいジャケットで発売中である。
もしあなたが今日に躓いたら、『セルピコ』のアルバムを聴くといいだろう。
『セブン』('95)で初出勤のブラット・ピットの刑事が妻に「どうだい?セルピコみたいだろ!」と言う。今でこそアメリカでは「セルピコ = 名刑事、いい警官」の代名詞となってはいるが、当時は「仲間を平気で売る自分勝手な男」とも言われていたのだ。特に警官達は「仲間、相棒意識」がとても強い。軍隊でもそうだが、命の危険にさらされている彼らは自分の妻や恋人よりも相棒や仲間と過ごす時間が長い。そして危険から救うのは常にその相棒や仲間達なのだ。そんな仲間や相棒がたとえ不正・汚職に手を染めていたとしても告発することは裏切りと感じてしまう。裏切られた仲間、相棒は自分の危険を助けてくれなくなるからでもある。
実話でもある『セルピコ』には身に染みるセリフがいくつもある。 例えば、汚職をしている刑事の一人がセルピコに言うこんなセリフ。 「自分でもこんな事をやっていて悪いと思う。最初、拒絶したら仲間からつるし上げにあった。それに子供が居て金もかかるんだ」 「お前も受け取れよ。受け取ってからどこかに寄付しろよ。死にたくはないだろう」 「フランク、君のことは好きだが、受け取らないのはおかしいぞ。皆、君の事を変人扱いしてるぞ」 …となんだか妙に納得してしまうようなことを彼らは言うのだ。
セルピコが警官になったのは全く純真な子供時代の憧れからだった。子供の時、事件が起きて野次馬の中を掻き分けて来た警官。皆、警官を見ると道を空けた。その姿はスラッとした青い制服。その姿を見て子供だったセルピコは警官に憧れ、尊敬の心で崇め、そして遂には自らが警官になった。だから彼にとって汚職警官は彼の純真な記憶を汚す、邪悪な人間達となる。清濁併せ呑む―勿論、それも出来たかもしれない。告発などしなければよかったのかも知れない。セルピコは決して強い男ではない。毎日恐怖に震え、夜も眠れない。そしてそのストレスの矛先を恋人であるローリーに向けてしまう。彼女もそんな彼を支えてきたが、ついには疲れ果てて去る方を選ぶ(だってその方が楽だから。愛していても自分が身軽の方がいいもの)。
監督のシドニー・ルメットは言う。 「脚本に書かれたセルピコは、時にイヤな人間に思えてくる。彼は不平不満ばかり口にしている。しかしアル・パチーノが演じたセルピコはとても好きだ」 と。
パチーノ自身は撮影前にフランク・セルピコ本人と会った。彼はパチーノ同様、イタリア移民の子孫である。握手をしてセルピコ本人の眼を見ると彼の強固な意志を感じたという。そしてある日、パチーノはうっかりと愚かな事を彼に聞いた。 「なあフランク。どうしてあんなこと(内部告発)をしたんだい?」 セルピコは少し考えて 「それが自分でもよくわからないんだよ。でもそうしなければ、夜音楽を聴く時の自分がイヤになると思ったんだ」 と答えた。このセルピコの返答を聞いてパチーノは大変彼の事を気に入ったという。
セルピコはパチーノの代表作でもあり、本人も好きな作品のトップ・リストに揚げている。作品も当時、アメリカでは大ヒットした。当時、警察ものの大ブームでもあったが、他は皆、汚職でもなんでもやりそうな刑事たちが主人公なのがおもしろい(『フレンチ・コネクション』『ダーティ・ハリー』『警官ギャング』など)。
監督のシドニー・ルメットはその後も「警官汚職」をテーマにした『プリンス・オブ・シティ』('81)、『Q&A』('90)、『NY検事局』('97)を監督。パチーノもその後、刑事・警官はハマリ役となり、『クルージング』('80)、『シー・オブ・ラブ』('89)、『ヒート』('95)、『インソムニア』('02)、そして最新作『RIGHTHEOUS KILL』('08)でも再び刑事役を演じている。
もし、明日が見えなくなってしまった時。そんな時は『セルピコ』を観るといい。Beyond tommorow.