ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...
―1968年―
ペンシルベニア州の鉄鋼業の町、クレアトン。スラヴ系の人達が住む小さな集落である。マイケル、ニック、スティーブンの親友3人組は毎日鉄鋼工場で汗を流し、週末は鹿狩りを楽しむ平凡な男達だ。しかし彼らはベトナムに徴兵されることになり、スティーブンの結婚式、そして町の人たち総出での豪勢な歓送会の後、彼らは最後の鹿狩りへと向かう。
ベトナムへ旅立つ前、ニックはマイケルに尋ねた。
「約束してくれ。俺の身に何が起きても、俺を見捨てないって」 「ああ…もちろんだ」
平凡だが平和な日々、友や恋人、愛する新妻にしばしの別れを告げて地獄のベトナムの戦場に旅立った時から、彼らと残された者達の人生の歯車は狂ったように反転していくなどとは、まだ誰にもわからなかった―。
―1970年―
北ベトナムのジャングルの戦場で3人は偶然にも再会を果たすが、揃ってベトナム軍の捕虜になってしまう。そしてサディスティックなベトコンの看守にロシアン・ルーレットを強要される。非道な仕打ちに神経をズタズタにされ発狂寸前となるが、マイケルの最後の機転でなんとか逃げ出すことに成功する。だが、身も心も疲れきっていた3人は、運命の大きな力によって戦場で離ればなれとなってしまった。
一年後、サイゴンの病院を退院したニックがサイゴンの夜の街をさまよっていた。記憶と正常心を失っていた彼は、戦争闇商人の甘い誘惑に負けてしまい、ロシアン・ルーレットのプレイヤーとなってしまう。そんなニックを偶然闇賭博場で見かけたマイケルだったが、再び運命の見えない力により、親友ニックはサイゴンの闇に消え去ってしまった―。
―1973年―
マイケルはたった1人、故郷のクレアトンの街に帰還した。街の人々は暖かく迎えてくれたが、彼の心は冷え切っていた。親友のニックとスティーブンの居ない町は、もはや彼の居場所ではなかったのだ。しかし帰っていないと思っていたスティーブンが、実は帰還して軍の病院に入院している事を知る。懐かしい友との再会に喜びを隠し切れないマイケルだったが、彼の前には現れたのは戦場で両足を失い、変わり果ててしまった友の姿だった。もう2人には以前のような会話も出来なかった。
混沌の支配するサイゴンの街でニックの消息を探し当てたマイケル。しかしそこにいたのは懐かしき親友の変わり果てた姿だった。すっかり麻薬に溺れ、命を賭したロシアン・ルーレットにも何も感じない、抜け殻のような姿のニック。そんなニックをマイケルは故郷へ連れ帰ろうとする。だが―運命はなんと冷酷で無慈悲なのか―こともあろうに、一番の親友とロシアン・ルーレットの賭博場のテーブルで対決することになろうとは!
必死に説得を続けるマイケル。懐かしいペンシルバニアでの思い出―俺と一緒に帰ろう。木を憶えてるか?山は?鹿は一発で仕留めるんだ。そう、一発で―。
次の瞬間、ニックは躊躇なく己の頭に向けた銃の引き金を引いた。たった一発で、すべてが終わってしまった。あとには親友の名を叫びながら号泣するマイケルの姿だけが残された―
「ディア・ハンター」の製作会社はイギリスのEMI。よって音楽はイギリスの作曲家、スタンリー・マイヤーズによる映画オリジナル…と思われていたが実は違う。テーマ曲の「カヴァティーナ」と挿入曲の「サラバンド」は現在では既に映画音楽のエヴァーグリーン、クラシックとなった曲だ。カヴァー・ヴァージョンも大量のレコーディングがある。しかしこの2曲は「ディア・ハンター」の為に作曲された曲ではない。1971年には存在していた既製の曲なのである。
この2曲は同年のイギリスの新鋭ギタリスト、ジョン・ウィリアムスのアルバム「CHANGES」に収められていた。というのもこのアルバムの作曲・オーケストラ指揮・プロデュースがスタンリー・マイヤーズその人だったのだ。この2曲を当時から愛していた監督のマイケル・チミノは、監督デビュー作の「サンダーボルト」('74)でもこれを使いたいと希望したが、主演スターで最高責任者でもあるクリント・イーストウッドに却下された(それでもタイトル・バック他のスコアは「カヴァティーナ」的なギターであった。イーストウッドは「カヴァティーナ」は気に入らなかったが、スコアにギターは賛成した。その記憶が「許されざる者」('92)で復活したのかが興味深い。「許されざる者」のテーマは「カヴァティーナ」とよく似ている)。
そして監督2作目である「ディア・ハンター」の製作陣はチミノのアイデアを前面的にバックアップ。マイヤーズを採用して「カヴァティーナ」をテーマ曲としたのだ。劇中で流れたオリジナル・アルバムのヴァージョンと別にメインおよびエンド・タイトルを新たにレコーディング。勿論、ギター演奏はジョン・ウィリアムスである。そしてこの曲をモチーフに必要最小限の控えめなスコアを聞かせている。必要最小限とはいえ、鹿狩りのシーンでは雄大なコーラスを聞かせ、ベトナムでの悲痛なトランペットと不安なオーケストラの対比が見事である。また、前半にはマイヤーズ自身のアレンジでロシア民謡なども聴かせてくれる。
約3時間のこの作品のスコアは全体的にごく少量である。いかにこの作品が「音楽の力」に頼り切っていないか、現在の全編に無駄にスコアを敷き詰めた作品がいかにダメであるかを知らせてくれる。そう、音楽は「必要最小限」でいいのだ。そうすればテーマ曲が際立ち、観終えたらイヤでも「カヴァティーナ」のメロディが脳裏から離れなくなるのだ。
マイヤーズはイギリスの作曲家で、「カレードマン大胆不敵」('65)で映画音楽デビュー。マーロン・ブランドの怪作「私は誘拐されたい」('68)、「マロニエの別れ道」('70)、「ケープタウン」('75)など地味ながらも英国人らしいスコアを聞かせていた。「ディア・ハンター」以後も「愛はエーゲ海に燃ゆ」('78)、ジュスト・ジャカンの「チャタレイ夫人の恋人」('81)、そしてイギリスで修行時代のハンス・ジマーを弟子に従えての「O嬢の物語 第二章」('84)、「マリリンとアインシュタイン」('85)、「ペーパーハウス 霊少女」('88)などがあり、ニコラス・ローグとのコラボレーション「錆びた黄金」('81)、「漂流者 2人だけの島」('87)、「トラック29」('87)、「真・地獄の黙示録」('93)といった傑作の他、「あなたがいたら 少女リンダ」('87)、スティーブン・フリアーズの「プリック・アップ」('87)、フォルカー・シュレンドルフの「ボイジャー」('91)なども忘れられない。もうマイヤーズはこの世にはいないが、彼の名曲「カヴァティーナ」はこれからも永遠に生き続けるのである。
「ディア・ハンター」は1978年12月下旬、アカデミー賞ノミネートの資格を得る為に1週間のみの限定公開を行い、1979年2月から本格的に全米で公開された。この時点ではサウンドトラック・アルバムのリリースは無く、というか当初からその予定は全く無かった。3月に世界で日本のみ、キングレコードがイギリスのロンドン・レーベルにあったロニー・アルドリッチのピアノ・カヴァー版「カヴァティーナ」を発見してシングルでリリースしたのが唯一のレコードであった。
しかし同月アカデミー作品賞など5部門を受賞して作品の評価が頂点に達すると、急遽6月にサウンドトラック・アルバムがリリースされると発表された。しかしキャピトル・レーベルのデヴィッド・カヴァノウとルパート・ペリーがプロデュースした10曲入りのアルバムは、収録時間が極めて短く、少し物足りないアルバムであった。
「カヴァティーナ」と「サラバンド」は「CHENGES」のレコーディングと、エンド・タイトル・ヴァージョンを収録。そしてダイレクトに映画のサウンドトラックから取った音質のあまりよくないロシア民謡、マイヤーズの他のスコアが2曲のみとはあまりにも寂しい。いかにも「急いでリリースしました。」といわんばかりのテイストで映画そのものの満足感がこのアルバムからはあまり得られない。特に不評だったのは、劇中印象的に流れるフランキー・ヴァリ&フォーシーズンズの「君の瞳に恋してる」が未収録だったこと。権利関係の問題と言えばそれまでだが、この歌だけは入れて欲しかった。
それでもリリースされないアルバムがこうして世に出たことは喜ばしく、日米共にベストセラーとなった。アメリカではスーパー・セイヴァー・アルバムとなり、1980年代一杯までもレギュラー・アルバムとしてベストセラーを続けた。そして1989年、日米共にCDとして再リリース(何故かCDのトップの「カヴァティーナ」はLPとはヴァージョンが違う)。そしてカヴァー・レコーディング盤も大量にリリースされた。中でもフランク・プゥルセル、シャドウズのレコーディングが素晴らしい。
珍盤としてはイタリアのCINEVOXでリリースされた「ロッキー」とのカップリング・アルバム、香港で出た「カヴァティーナ」の広東語ヴァージョン、そしてジャワのガムランで演奏したカヴァーもある。しかし今としてはやはりコンプリート・アルバムのリリースを切に望みたい。
男として生まれた以上、「男冥利に尽きる」と実感する時はいつだろうか。誰しも振り返るような可愛い女を恋人にした時か?人も羨むとびきりの美人と結婚した時だろうか?マイケル・チミノだったらそんなものは一蹴し、「男たるもの、唯一の親友そしてライバルを持つべし!」と答えるだろう!そしてその理由は「自分が窮地に陥った時、全てを棄てて自分に助けに駆けつける友や、生涯のライバルが居るからこそ、自分も生きていると実感できる」と付け加えるだろう。
結局のところ、全ての男はバカである。女の方が男より数倍利口である。生き方や思考は男よりも優れている女は、「損得」を身に付けている。というよりもそのDNAを生来のものとして得ている。だから明らかに無駄と分かっている行動には出ない。時に友情よりも自分を優先する。そして執着心が無いから、必要とあらば物事全て(男も)を棄ててしまえる。
しかし男は違う。無駄な物事に疾走し、執着し、意固地に生きていく。そんな男をマイケル・チミノは描いてきた。それも二人の男の友情と対立をテーマにして。
例えばデビュー作の「サンダーボルト」('74)の世代を超えた二人の男たち。若き相棒を失った中年の犯罪者は、彼の死に自分の帰るべき場所を見失ってしまう。 「ディア・ハンター」の帰らぬ友との約束を果たすために、死を覚悟で戦地に舞い戻る男。 「天国の門」('80)の同時に同じ女性を愛した二人の男は、永遠のライバルでありながら、一人は自分の死に際にライバルに彼女を託して死んでいく。 「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」('85)の対立する刑事とヤクザ。二人は敵対しながらも相手を認め合う。 「シシリアン」('87)の若き盗賊と彼を慕う舎弟。兄貴を超えようとした弟分には死が待っていた。 「逃亡者」('91)の犯罪者に占拠された初老の家主。立場が上と思った犯罪者は家主の隠された力に最後は屈服してしまう。 「 心の指紋」('96)では若きチンピラと有能な医者との不思議な関係。二人の旅の終焉には医者は別人として新たに生まれ変わる。それは二人の男だけの心の言葉でしかわからない。
常に二人の男達をテーマに描くマイケル・チミノ。彼はしかし、最も才能がありながら最も不幸な監督である。1996年の「心の指紋」を最後に、現在まで映画は撮れないでいる。
彼は1963年イエール大学を卒業。その後一時グリーン・ベレーに入隊する。除隊後演技を学び、アクターズ・スタジオでは演出も学んだ。そして「サイレント・ランニング」('70)の脚本、「ダーティハリー2」('73)の脚本でクリント・イーストウッドに認められて監督デビュー。監督2作目の「ディア・ハンター」でそのキャリアの頂点を迎える。
しかし莫大な制作費を注ぎこんだ意欲作「天国の門」の興行的失敗で袋叩きに逢い、その後「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で復活するも常に製作上のトラブルなどが絶えず、現在まで干されたままである。クリストファー・ウォーケンは言う。「マイケルは(映画が撮れなくて)とても不幸だ。可哀想だよ」と。
だが昔からフランスでは評価が高く、2007年、フランスの支援で数分間の映画館をテーマにした短編を監督している。現在のアメリカの映画人はよほどの能無しの集団かもしれない。チミノを忘れてはいけないのだ!
「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」では主人公の同僚が言う。「世の中はなあなあの世界だ。妥協しろよ!」と。「ディア・ハンター」のマイケルは「鹿は一発で仕留めねばならない。二発目は恥だ」とのポリシーを持っている。他人からすれば只の頑固、偏屈である。
でもいいじゃないか、男はバカであっても。どんなときも一緒に酔いつぶれる友を持っている(窮地を救ってくれる)と感じる時が、まさしく「男冥利に尽きる!」瞬間なのだ。まるでニックを救いに行ったマイケルのように…