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ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです... |
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主演 |
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ハリソン・フォード |
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監督 |
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リドリー・スコット |
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音楽 (作曲・編曲・演奏・制作) |
ヴァンゲリス |
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All Those Moments Will be Lost in Time,
Like Tears in The Rain......
(想い出もやがて時が来れば消えてゆく。
雨の中の涙のように…)
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2019年のロサンゼルス。地球規模の大気汚染の為、太陽は失われ、酸の雨が降り注ぐ…もはや人間の住む都市ではない。高層ビルに囲まれ、異文化が混沌と入り混じった異様な空間が広がっている。
花形産業は遺伝子工学であり、『レプリカント』と呼ばれる人造人間が生産され、植民惑星の奴隷労働などに使用されていた。特にタイレル社のレプリカントは優れており、知力も体力も人間に勝っていた。そんなアンドロイド達は、人間に反旗をひるがえしては地球に戻るため、警察は『ブレードランナー特捜班』を組織してアンドロイドの始末を行っていた。 |
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そんななか、タイレル社製レプリカント4体が、スペースシャトルを乗っ取りこのロスの闇に逃げ込んだ。早速、凄腕のブレードランナー・リック・デッカードが捜査に当たった。デッカードはレプリカントの足取りを追うと奇妙な事実を知る事となる。レプリカント達は予め寿命がセットされている事。記憶を持ち始めており、自らの生命の終わりを感じ取っていた事など…
捜査で知り合った美しい女性のレイチェルもレプリカントだった。幼少の記憶をも記録されたレプリカントのレイチェルに心を動かされるデッカード。涙すら流す人造人間に触れるうち、デッカードの冷えきった心に温もりが生まれはじめていた。 |
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一体、二体とレプリカントを始末していくデッカード。捜査の動きを感じ取ったレプリカントのロイ・バッティは、自らの最期を感じ取り、自身を生産したタイレル社の社長を惨殺してデッカードとの最期の対決に挑むのだった。
人間には記憶という素晴らしい力がある。それは生きてきた自身の証である。その記憶力が存在しなかったら、それは果たして人間と呼べるのだろうか?
知力も体力も四肢も何ら人間と変らない人造人間が記憶を持っていれば、埋め込まれていれば、電気羊の数を数えて眠りに就くのだろうか......? |
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高層ビルの屋上で遂にロイ・ヴァッティの命の電源は消え落ちた。デッカードを殺さず、最期に会話をして、ロイの人生のスイッチは切られたのだ。そしてロイの腕から一匹の白い鳩が大空に飛びたった。
まるで消え去って行ったアンドロイド達の生まれ変わりのように...... |
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『ブレードランナー』公開時の1982年、ヴァンゲリスは『炎のランナー』('81)で'82年度のアカデミー作曲賞を受賞、そしてサウンドトラックのアルバムとシングルが大ヒット中であった。そんな熱い時にこの『ブレードランナー』が登場した。何もアカデミー受賞後に引き受けた仕事ではない。既に『炎のランナー』の作曲中に『ブレードランナー』の仕事は決定しており、『ブレードランナー』の前にコスタ・ガヴラスの『ミッシング』('82)を完成させていた。 |
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ギリシャ人であるヴァンゲリスは、1982年当時、既に名の知れたシンセサイザー・アーティストであり、プログレッシヴ・ロック界の人気ミュージシャンであった。日本でも全てでは無いが彼のアルバムは多数リリースされており、レコードショップには堂々と「ヴァンゲリス」のコーナーが授けられていた。 |
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ヴァンゲリスは1970年代に精力的に自身のアルバム、そして様々なヨーロッパのミュージシャンのアルバムに参加、そしてメジャーでは無いが数々の映画のサウンドトラックにそのサウンドを刻み込んでいた。パリからロンドンに拠点を移してからはアルバムのリリースも増えて、POLYDORレーベルでリリースした数枚のレコーディングはヒットアルバムとなっていた。 |
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ヴァンゲリスのアルバムは、ただ聞き流すポップ・アルバムではない。何重にもレコーディングされた楽器とシンセサイザーの音は、ヴァンゲリス自らの手で鳴り響き、リスナーの耳に届く時は、それは存在しない映像をも吹き込まれているのだ。聞く度に違う印象を与え、繰り返し聞きたくなる欲求をも与えてくれる。
聞く者によれば難解な電子音楽に聞こえるかもしれない。しかしヴァンゲリスは気にしない。彼は自身の音楽活動を始めた時、こう語っていた。
「長い目で見て、支持される音楽を創りたい。少数の人々が対象でもかまわない。コマーシャルベースではやりたくないんだ。」
元々画家志望でもあったヴァンゲリスは映像にも関心を持ち、映画のサウンドトラックの仕事も精力的にこなしている。そんなヴァンゲリスの初のハリウッドメジャー大作が『ブレードランナー』であった。 |
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1982年6月。アメリカで『ブレードランナー』は公開された。7月には日本でも公開。確かにポスターには日米とも、「オリジナル・サウンドトラック・アルバム ポリドール・レコード」と記されていた。映画のエンドクレジットにも堂々と「Original Soundtrack Album Music by Vangelis Polydor Records」とクレジットされていた。しかし待てど暮らせどリリースされない。インターネットなんかまだ存在しない時代だったが、7月の日本公開時には散々情報が飛び交っていた。
「遅れてリリースされる」
「いやリリース中止になった」
「ようやく8月にアメリカで出る」・・・
「ヴァンゲリスの次のアルバムに数曲収録される!」との情報もあった。
しかし8月の半ばで「リリースされない」との事実が確定した。その時の我々の落胆した姿たるや!それは『ショック』の一語では片付けられないほどのものだった。そう、まるで「つき合っている女子に一方的にフラれる」ような… |
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突然の電話で
「もう、別れるわ。電話もしてこないで」
「えー!何で?別れるって理由は?」
「とにかくアナタがワタシを好きだって事が許せないの!」
「えー!訳がわかんない!あんなに卒業したら結婚して夫婦で私鉄沿線で『純喫茶』をやろうと誓い合ったのに…メニューに「おしるこ」を入れようねって二人して語り合ったのに…」
…と、こんな絶望感を真夏の一番楽しい時期に味わうことになった我々は、もはや生きていく自信がなくなったのであった。 |
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その後、少しずつリリース中止の理由が我々の耳に届いた。ヴァンゲリスが「自己のイメージに合わないから中止にした」(じゃあ何で音楽を引き受けたんだよう)とか、「映像との一体化を望んだ」(しかたないか)とか。
そこでポリドール日本支社に電話で問い合わせると「アーティストの意向で出せない。日本のみ出そうと動いたがダメだった。シングル盤すらアーティストが許可しない」との南極の氷のような返答が耳に突き刺さった。
この時点で『ブレードランナー』のサウンドトラックアルバムの夢は完全に断たれたのであった… |
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そして失恋のような痛みも薄らいだ秋の爽やかな日々に突然、ワーナー傘下のフルムーン・レーベルから「オーケストラ・ヴァージョン」のアルバムがリリースされた。そう、我々の心の乾きを癒す、絶好のリリースであった!
ヴァンゲリス自身は参加はしていないが、劇中の印象的な曲が聞けるとは!「ラブ・テーマ」をサックスで奏でるのは『タクシードライバー』のトム・スコット。イアン・アンダーウッド、リチャード・ティーら参加ミュージシャンは、L.A.の名スタジオ・ミュージシャンだ。フリューゲルホルンは「ボビー・デアフィールド」のチャック・フィンドレー!一部チープなアレンジも許せる位にこのアルバムは一大ベストセラーとなった。 |
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そう、皆『ブレードランナー』の音楽が好きなのだ!そして1982年の終わりにはオリジナルの「ラブ・テーマ」を演奏したイギリスのディック・モリッシーが、自身のジャズ・ファンク・グループの「モリッシー・ミューレン」のアルバムに「ラブ・テーマ」を華麗なジャズ・ファンクでアレンジして収録。ジャケットが「H.フォードとS.ヤング」のデザインでシングル、そしてアルバムより長いロング・ヴァージョン(メイン・タイトルの部分もイントロと中間にミックス。)を12インチでイギリスのみリリース。遂に少しずつ雪解けの時が迫っていた。
1984年には日本のSMS・レーベルより「ヌーボー・オーケストラ」なる正体不明のアルバムにシンセサイザーで奏でられた「エンド・タイトル」を収録したアルバム(ついでに「ミッシング」も収録)がリリース。アメリカではGNPより二ール・ノーマンが同じく「エンド・タイトル」をアルバムに収録したりと『ブレードランナー』の音楽は人気となる。
1985年にはオーケストラ・ヴァージョンが日本でもリリース(遅い)。そしてモリッシー・ミューレンのアルバムもCDのみひっそりとリリース。この頃、『ブレードランナー』自体が、ビデオカセットやレーザーディスクで親しまれていた。 |
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1989年の夏の終わりにヴァンゲリスのコンピレーション・アルバム「THEMES」に遂にサウンドトラックヴァージョンの「ラブ・テーマ」「エンド・タイトル」を収録。大きな話題となった。このベスト盤は、ジャケットもショーン・ヤングだが、ヴァンゲリス自身はアルバムのプロデュースをしておらず、ドイツのグラモフォンが製作したもの。この時期、ヴァンゲリスはポリドールを離れているので、これは彼の置き土産的なアルバムである。 |
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そして1993年の終わりには非公式CDでサウンドトラックの音源の約80パーセントを収めたアルバムが登場して震撼させた。音質はイマイチだが遂に登場だ!トドメは1994年6月にヴァンゲリス自身による『ブレードランナー』のアルバムがリリースされたのだ。12年がかりでようやくのリリース。ブラジルのみLPでもリリース。このLPを手にしてようやく巡り合えた恋人のように歓喜の涙を流す我々。 |
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ヴァンゲリス自身のアルバムには映画で使用された曲は全て収録されておらず、劇中には流れない曲も収録されているが、これはヴァンゲリス自身のサウンドトラック・アルバムの考え方によるものだ。
『炎のランナー』のアルバムも、半分はアルバム用に再アレンジしており、映画の中に使用した曲をアルバムにそのままパッケージする、というのはヴァンゲリスの考えに反しているのだ。よってヴァンゲリス自身の「ブレードランナー」のアルバムと考えればよいのだ。 |
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1995年頃から最初の非公式盤の焼き直し的なCDが「雨後のタケノコ」のように大量にリリースされている『ブレードランナー』。何故、1982年にリリースされなかったのか?日本でも翻訳版が出版された「メイキング・オブ・ブレードランナー」でもその事に触れてはいるが、明確な答えは記されてはいない。
こんなにも世界中で愛されて支持されているサウンドトラックはない。リリースに至る歴史も『ブレードランナー』を超える作品は、今後も生まれないだろう。 |
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この『ブレードランナー』はスコットの監督3作目だ。当時、スーパー・ヴィジュアリストとして「エイリアン」('79)の大ヒットにより大作『ブレードランナー』の監督を担当。その独特の美的・映像感覚で世界のカルト・ムービーを生み出した。その映像は濡れた舗道にスモークが立ち込め、絨毯を敷き詰めたように流れる多量のスコア。スコットは『ブラック・レイン』('89)あたりから自己の「映像作家」性を見事にエンターテイメント化していく。現在では狭い分野の映像作家ではない。立派に大作をヒットに導く巨匠だ。 |
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スコットの特徴としては作曲家との問題点も特筆に価する。『ブレードランナー』でも何度もヴァンゲリスに曲の書き直しを要求、ジェリー・ゴールドスミスとの『エイリアン』『レジェンド 光と闇の伝説』('85)での確執。巨匠モーリス・ジャールとの『白い嵐』('95)。名コンビのハンス・ジマーの素晴らしいエンド・クレジットのスコアをボツにした『テルマ&ルイーズ』('91)、『グラディエーター』('00)のある曲の引用など。 |
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他の個性的な監督と比較すると音楽に対するアプローチが、今一つ不明瞭なのもスコットの魅力かもしれない。『ブラック・レイン』ではVIRGINレーベルのアーティストのナンバーをチョイスしたり、『誰かに見られてる』('87)ではスタンダード・ナンバーをスティング、ロバータ・フラックに歌わせたり、『レジェンド』のアメリカ版ではヴァンゲリスの好敵手タンジェリン・ドリームが音楽を担当し、そのタンジェリン・ドリームをバックにヴァンゲリスの盟友、ジョン・アンダーソンが歌う!なんて荒業をも披露してくれるのが、スコットである。 |
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『ブレードランナー』がスコット作品のサウンドトラックの頂点なのかは聞く者の判断に委ねるが、当時はSF作品のスコアはクラシカルなオーケストラと決まっていたのを、あえてヴァンゲリスをチョイスした事は決して間違いではない。
あと何年、このサウンドトラックが聞き親しまれるかは誰が知ろうか? |
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『ブレードランナー』の音楽は素晴らしく美しかった。
だがそれだけではない。
ぞっとするようで、不気味で、心に残る、寂しい音楽でもある。
ヴァンゲリスの仕事は見事だった。
彼の音楽はこの映画で重要な位置を占めているのだ。 |
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(ルトガー・ハウアー) |
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