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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

Sea Of Love
主演 アル・パチーノ
監督   ハロルド・ベッカー
音楽   トレヴァー・ジョーンズ
  トム・ウェイツ
 
Part 1
 ニューヨーク ― そこは華やかさと死に溢れた街。夜の孤独に支配された街。
 

 フランク・ケラーは二ューヨーク市警の殺人課刑事だ。死と孤独に隣り合わせに20年間を生き抜いた男。しかし彼は今、孤独感に支配されている。離婚が彼の心の中を空洞にした。逃げた妻は、同僚と結婚した。

 何故だ?俺のどこに問題があった?

 彼は、離婚の原因は自分自身にあったことを認めようとしない。深夜、酔いつぶれて眠る毎日。酒だけが、彼を孤独からほんのひと時だけ救う。

 
  ある日、男の射殺体が見つかった。彼は全裸で後頭部を撃ち抜かれていた。部屋にはオールディーズの「シー・オブ・ラブ」のシングル・レコード。そして赤い口紅の付いたタバコ。状況からして行きずりの女の犯行の線が濃厚だ。そして同じ状況の連続殺人が起きる。

 捜査するフランクは、被害者が新聞の「恋人募集」欄に自分の詩を掲載し、一夜限りの関係を楽しんでいたことを突き止める。現場に残された口紅などからますます女の犯行である事を確信したフランクは、自ら囮となり、コンタクトを取ってきた女とレストランなどで逢い、グラスの指紋を採取するという手段に出た。実は連続殺人の現場の指紋はすべて一致していたのだ。しかし数人の指紋を採取するも、容疑者のそれと一致はしなかった。

 だがその中に、グラスに一切触れない怪しい女が居た。

 
 

 容疑者リストに浮かんだ女の名は、ヘレン。シングル・マザーながら夜の女豹のような女。
 夜の街で偶然ヘレンと会ったフランクは、指紋を採取する為としながらも彼女と関係してしまう。そしてフランクは、ヘレンにのめり込んでいく。まるで豹に捕らわれた小さなウサギのように。

 

 ヘレンを知れば知るほど、彼女が犯人かもしれない、という疑念が湧いてくる。彼女の部屋には、「シー・オブ・ラブ」のレコード、赤い口紅、タバコ、そして被害者の新聞記事。
 ヘレンはフランクが刑事だと知っても関係を終わりにはしない。むしろフランクこそが彼女との関係を望んでいたのだ。

 
 

 フランクは、ヘレンとの関係を持ちながらも犯人の証拠を掴もうとしていた。だが心の中ではそれを隠滅しようともする。

 彼女は本当に犯人なのか?俺は刑事なのか?

 しかしフランクの刑事魂が爆発した時、全くの意外な人物が真犯人としてフランクの前に現れたのだった。

 

 フランクとヘレン。死と同居する街で出会ったふたり。お互いに孤独という共通項をもつふたり。愛が芽生え、その愛の海に飛び込もうとするふたり。

 真夜中に出会ったふたりは、真昼のニューヨークの雑踏の中に消えていった。トム・ウェイツの歌う「シー・オブ・ラブ」をバックに―。

Part 2

 「音楽は絶対、トレヴァー・ジョーンズだ!」と言ったのは、監督のハロルド・ベッカーだ。自分自身の製作作品の音楽には理解度の高い、マーティン・ブレグマンも同意する。ベッカーは「シー・オブ・ラブ」のサウンドトラックはフィルム・ノワール・タッチで染めると決めていた。そして全編にフィーチュアされる官能的なサックスとサイキックなスリラー・タッチのスコア。このスタイルは、トレヴァー・ジョーンズが「エンゼル・ハート」('87)で極めたスタイルだ。ベッカーは「エンゼル・ハート」の音楽が印象に残っていたかもしれない。

  メイン・タイトルのシャープでソリッドでメタリックなイントロが、「殺人」を感じさせ、そしてむせび泣くサックスのメロディが、主人公のフランクの孤独を歌い上げていく。このオープニングのニューヨークの夜景も素晴らしく、ポルノ街も映し出されて、いやでもあの「タクシー・ドライバー」のメイン・タイトルを思い浮かべてしまう。大都会の闇と官能を見事に酔わせて聞かせるこのジョーンズのスコアは、彼のベストの一作品でもある。

 

 トレヴァー・ジョーンズは南アフリカのケープタウン出身。1967年にロンドンに移住、王立アカデミーで学び、その後、ヨーク大学で映画音楽、映画製作を学んだという。

 学生達が製作した短編映画で映画音楽のキャリアをスタートさせ、小規模なインディペンデント作品を数本手掛け、そして1981年にジョン・ブアマンの「エクスカリバー」で注目を浴びた。

 

 

 その後ジム・ヘンソンの「ダーク・クリスタル」('82)、アンドレイ・コンチャロフスキーの「暴走機関車」('85)ではへヴィなロックとオーケストラを聞かせて、ナタリー・ドロンの「スウィート・ライズ」('88)、アラン・パーカーとの名コラボレート「ミシシッピー・バーニング」('88)、マイケル・マンの「ラスト・オブ・モヒカン」、リドリー・スコットの「G.I.ジェーン」、バーベット・シュローダーの「絶対×絶命」('98)など傑作が多数ある。

  また、「父の祈りを」('93)、「ブラス!」('96)といった英国での作品や「ノッティング・ヒルの恋人」('99)のウエスト・ロンドンに流れる優しいギターの音色が忘れられない。そして「クリフハンガー」('93)の勇気を奮い立たせるバーニングなスコアもあるのだ。

 

 「シー・オブ・ラブ」でスコア同様重要な音楽は、映画のタイトルでもある、1959年のオールディーズ・ヒット曲の「シー・オブ・ラブ」だ。フィル・フィリップスとトワイライツが歌う、ドゥー・ワップ・スタイルの甘いソング・ナンバー。劇中、殺人の後に何度も劇中に流れ、アル・パチーノが音痴ながら自ら口ずさみ、共演のジョン・グッドマンが、まるでスティングばりのファルセットで歌う。そしてエンド・タイトルでは、酒場の酔いどれシンガーのトム・ウェイツが、この映画の為にニュー・ヴァージョンで歌うのだ。このウェイツの低いダミ声は、まるでアル・パチーノが歌っているよう。そう、このソングは、フランクがヘレンに対して歌う新たなニュー・ソングなのだ。歌詞がものの見事に二人にマッチしている。
「俺と旅立とう、愛の海へ。伝えたいんだ、どれくらい、君を愛しているかを」と。

 


 この「シー・オブ・ラブ」の甘いソングは、B.J.トーマスデル・シャノンもカヴァー。そして1984年に元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントジミー・ペイジの二人にジェフ・ベックナイル・ロジャースのスペシャル・ユニットとして結成されたハニードリッパーズでカヴァーして大ヒットさせている。プラントの甘い歌声とトロピカルなシーサイド・ソングとして忘れえぬヒットとなった。
 劇中、既製曲がフィーチュアされたのは、J.J.ジョンソンが作曲しブランフォード・マルサリスが演奏した「Lament」のジャズ、ボビー・ダーリンのヒット・ソングの「Beyond the sea」のポップ(この歌は「テキーラ・サンライズ」('88)、「ブラック・レイン」('89)などでも当時よく使用されたソング)、そしてフランクとヘレンが出逢う夜のコンビニで流れるのがシャーデーの「Siempre Hay Esperanza」。この官能的なサックスのインストゥルメンタルは、ジョーンズのスコアに見事に溶け込んでいる。この曲はシャーデーの1988年のアルバムに収録されている。

Part 3

 「シー・オブ・ラブ」は、1989年9月にアメリカで公開された。この時点でサウンドトラックアルバムのリリースはなかった。無論、ポスターにもエンド・クレジットにもリリースの表記はない。しかし、作品自体が公開から予想以上に大ヒットした。先に公開されていた同じ刑事ものでも倍以上のビッグ・バジェットの「ブラック・レイン」よりも当たったのだ。そして急遽アルバムの発売が決まり、その年の11月にリリースされた。レーベルは、オリジナルのフィル・フィリップスの「シー・オブ・ラブ」同様、MERCURYレーベル

 

 LP・CDがアメリカではスマッシュ・ヒット。ヨーロッパでは、ジャケット違いでLP・CDがリリース。しかし不思議にもトム・ウェイツのソングはシングル・カットされなかった。ウェイツのファンはこのアルバムを買わなければ、彼のカヴァーした「シー・オブ・ラブ」は聞けなかったのだ。フィル・フィリップスのソングのみ、フランスだけでメイン・タイトルとのカップリングでシングル・カットされている。

 

 惜しまれるのは、急遽リリースが決まったせいかアルバム構成にやや難があることだ。ジョーンズのスコアが少ないせいもあってか、同じ「メイン・タイトル」が3度収録フィリップスのソングも2度も収録されている。ブランフォード・マルサリス、ボビー・ダーリン、そしてシャーデーのナンバーが、全て収録されていたら文句無しではあるが、残念ながらこれらはアルバムには未収録となってしまった。

 それでも、真夜中に自然とプレイしてしまう深夜型の傑作サウンドトラックアルバムには間違い無い。

 

Part 4

 真夜中の孤独感。夜、帰宅しても誰も居ない部屋。離婚や失恋の心の痛み。少しでも誰かと話がしたい気持ち。そんな感情を忘れたいが為にアルコールや非合法な薬に手を染める。そんな感情を都会に生きる人間は多少なりとも抱えて生きているが、そんな喪失感を誰しも認めようとしない。それがこの「シー・オブ・ラブ」のテーマだ。

 
 1989年当時、もちろん今のように携帯電話やメールもない時代だが、映画で描かれている恋人募集の新聞広告欄は、今の「出会い系サイト」である。見ず知らずの男女が出会い、関係を結び、運が良ければ恋愛に発展するかもしれない。しかし、この映画やあるいは現実では、悲惨な「殺し」に姿を変えてしまう。街が極端に発展したり便利になりすぎると、人々はさらに孤独感を増し、夜をさ迷い歩くのだ。
 
 

 劇中、アル・パチーノが「街が人を狂わせる。」と言う。そのセリフはパチーノ自身の心の声。彼自身、男らしさをすでに失いつつあり、女々しくも逃げた妻に酔いながら寂しさのあまり電話をしてしまう。帰宅しても狂ったように酒を浴び、うつろな目でテレビを眺めている。そして死に魅了されている。

 夜、一人で殺人現場のベッドで横たわっている。殺人者かも知れないヘレンにとりつかれてしまう。決してスーパーヒーローではない、等身大の現実感のあるパチーノが、ここでは素晴らしくいい。その姿はマイケル・コルレオーネでもなく、トニー・モンタナでもない。心に傷を持ち、最後の恋にその情熱を賭ける現実的な男、フランク・ケラーである。

 エレン・バーキン演じるヘレンは、シングル・マザーながら自分の肉体の炎を冷まそうと危険な夜のマン・ハント、いや行きずりの恋で生きている女。ブロンドの髪、赤いルージュとレザー・ジャケット。まるで真夜中の大都会のジャングルの女豹だ。いつまでも恋の炎を燃やしていて一人でも逞しく生きる女。そう、彼女は強いのである。

 

 結局、真犯人はヘレンの元夫だった。彼は逞しい体の大柄なマッチョ男。暴力でヘレンを家族を支配していた男。よってヘレンから離婚されてもそれを認めずヘレンを監視している。彼女には知られずに。そしてヘレンの一夜限りの男をヘレンの帰宅後に押し入り、惨殺していた。幸せな時代の二人のラブ・ソングの「シー・オブ・ラブ」を流しながら。彼は別れた後でも「ヘレンは俺の妻だ!手を出すな!」と関係する男を排除しようとする。彼はそれを強い愛と勘違いしている。だがそれは愛ではなく、陰湿な執着だ。

 
  そんなねじれたマッチョ男は、最後にフランクと対峙して夜の闇に永遠に消えていく。断末魔の叫びと共に。フランクにもねじれた心があったが、彼はヘレンの前で忘れていた心を取り戻したのだ。もしかしたら自分の分身かもしれない犯人を葬った事で、新たなフランク・ケラーが生まれたのかもしれない。
 
 
 フランクはヘレンに言う。
 「新しい俺を見てくれ。(君の為に)禁酒したんだ。」と。

 二人の愛の海の行く末はニューヨークの街のみが知っている…