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Goodfellas House Choose One!

ちょっとしたサウンドトラックとその作品についてのコラムです...

SERPICO
主演 スティーヴ・マックィーン
アリ・マッグロウ
監督   サム・ペキンパー
音楽   クインシー・ジョーンズ
 
 
 テキサス・サンダースン刑務所から一人の男が出所した。
 彼の名はドク・マッコイ。銀行強盗のプロである。
 刑期は10年。しかしたった4年で釈放されたのだ。

 ドクは妻のキャロルの出迎えで数年ぶりのシャバの空気を満喫した。
 ムショでの辛い日々を耐えることができたのも、愛する妻の面影ゆえである。

 

 ベッドの前でドクは言った。
 「…ムショは辛かったんだ…
 キャロルは優しく言った。
 「いいわ、心配しないで…」
 と、まるで子供をあやすように優しくリードするキャロル。…ええ女やで…。

 しかし遊んでいる暇はない。釈放には取引があった。悪徳政治家の大物ベニヨンの依頼で、ある銀行を襲い、強奪金を山分けにするという条件で釈放されたのだった。
 ベニヨンはドクにジャクソンというチンピラ鬼瓦のようなツラのルディという二人の男と組むよう要求した。用意周到に銀行を襲うが、逃亡の際、ルディが金を独り占めにしようと裏切った。早速、ルディの巨体の胸部に弾丸をぶち込むドク。


 何とか逃亡し、ルール通りにべ二ヨンに金を届ける。すると彼の口から意外な言葉が銃弾のように発射された。

 「テメエを釈放してやったもう一つの理由はな、テメエの女房が泣いて頼んできたからだ!
 そうよ、そのキレイな身体を愉しませてもらったのよ!グワッハハ!!

 その時、車で待っていたはずのキャロルがエロジジイの体に怒りの銃弾をブチ込んでブッ殺した!
 ところが意外にも純なドクは怒り出し
 「て、てめえって女は…!」
 とキャロルに往復ビンタをお見舞いした。
 しかし
 「あンたの為だったらアメリカ中の男とでも寝てやるわ!!」
 と泣き叫ぶキャロルにドクの怒りもようやく静まるのだった。

 
 

 絆が深まった強盗夫婦の逃避行(ゲッタウェイ)がはじまった。
 まず金を駅のロッカーに預けるが、なんと置き引きに逢い全額失ってしまう!途方に暮れるもドクの執念でケチな置き引き屋から再び取り戻す事に成功!
 「あ、あンた、やるじゃないのォ!」
 と喜ぶキャロル。しかし置き引き屋の件でドク達は警察の指名手配を受けてしまった。そして死んだはずのルディがゾンビのごとく蘇りドク達を追い始めた。こうなったらもう後には引き返せない。夫婦は決意した!

 「とことん逃げたるねん(ゲッタウェイ)!!」

 

 中古車を手に入れ、ひたすら逃亡する夫婦!追う警察!
 車のハンドルはかぁちゃん!ショットガンはとぅちゃん!

 「ブっ飛ばせ!ベイビー!」

 と雄叫びを上げて追手をボッコンボッコンとブッ飛ばすドクのショットガン!
 絶妙に息の合った「夫婦漫才」の如く追手を振り切るマッコイ夫妻!
 …しかし運転の下手なキャロルは関係ない人達の車を片っ端からボッコボコにしていたのをドクは知らない…というか知らんぷりしていたのであった

 
 

 その頃、兄のベニヨンを殺されたと知った弟のヤクザ一味がドク達を追い始めていた。ドク達はお決まりの如くメキシコに逃亡する事を決意。まずはエル・パソの馴染みのホテルで疲れた体を休めようとしていた。
 しかし金の匂いに惹かれつつ、マッコイ夫妻への恨みに燃えるルディ、そしてヤクザ一味が全員集合!
 役者は揃った!となれば当然の如く勃発する一大銃撃戦!!
 ドクのショットガンが炎を上げ、キャロルの拳銃が叫ぶ!
 ここでも息の合った夫婦の連携プレーで窮地を乗り切る二人!
 もうこの強盗夫婦は誰にも止められない!

 
 

 オンボロトラックのジジイに大金を気前よく払い、無事メキシコ国境を越えた二人。
 夫婦のその後?…誰も知らないさ。

 …でも仲はとってもいいらしい!

 「こいつはオレの映画じゃねえ!」
 と完成品(上映版)を観て監督サム・ペキンパーは叫んだ。というのも音楽がゴッソリ入れ替わっていたからだ。
 

 最初、ペキンパーはマック(マックイーン)にこう言った。
 「いいかスティーヴ。オマエは音楽には疎い。オレにまかせろ。音楽はオレと共に戦って来たジェリー・フィールディングがいい。ヤツなら最高だ。音楽はジェリーだ。いいな?」
 そのときマックは
 「OK、サム。オレは確かに音楽は分からない。アンタに任せるよ
 と確かに答えたハズなのだ。
 しかし『ゲッタウェイ』はマック自身の製作会社の作品であり、最高責任者はマックなのである(よってペキンパーにファイナルカット権は無い)。

 ジェリー・フィールディングとペキンパーは既に『ワイルドバンチ』('69)、『わらの犬』('71)、『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』('71)で組んでいた。しかしマックはペキンパーに無断で音楽を丸ごと、当時の友人のクインシー・ジョーンズに頼んで入れ替えてしまった。
 これはマックの仕業なのか?いや違う。どうやらこれは撮影中からマックと恋仲になり、映画同様その後結婚したアリ・マッグロウその人の仕業らしいのだ。

 ペキンパー・カット版を二人だけで観終えたアリはマックに
 「ねえダーリン、音楽が良くないわ。変えるべきよ。私を信じて」
 とねだった。アリにメロメロのマックは
 「OK、ハニー。オレは音楽には疎いんだ。キミに任せるよ
 と二つ返事で快諾したのであった。

 

 一流のファッション・モデル出身で、『ある愛の詩』('71)で大スターとなったアリ。
しかも彼女は音楽のセンスも抜群であり、なんと自身の『ある愛の詩』の音楽も変えさせていたという前歴があったのだ!

 当初、ジミー・ウェッブ(リー・ホルドリッジ説もあり)で完成していた『ある愛の詩』のスコアであったが、アリは当時の夫でもあった製作責任者のロバート・エヴァンズ
 「ねえダーリン、音楽が良くないわ。『男と女』みたいな曲を付けてちょうだい。そう!フランシス・レイに頼んでよ!
 と彼女のワガママ一発で音楽を変更、大成功を収めたのであった。そんなアリのセンスを信頼したマックはいともアッサリと音楽を変更したのであった。

 

 クインシー・ジョーンズに作曲とアレンジの道を歩ませた師匠は若き日のレイ・チャールズ。クインシーは少年の頃から様々なバンドやクラブで演奏。そしてライオネル・ハンプトン楽団でトランペットを演奏して本格的なプロとなる。その後ヨーロッパに渡り音楽修行。様々な賞も獲得し、ニューヨークに戻った1960年代、マーキュリー・レーベルの制作部門の副社長となる。彼は白人の大会社で取締役となった初の黒人でもあった。

 さらに自身のジャズ・アルバムもリリース。そして念願だった映画音楽も担当するようになり、シドニー・ルメットの『質屋』('65)、『夜の大捜査線』('67)、『ミニミニ大作戦』('69)など多数のサウンド・トラックを発表。自身もレーベルをA&Mに移して精力的にアルバムをリリースしていく。この頃にはクインシーはジャズ、そして映画界でもドン的なアーティストになっていた。

 

 『ゲッタウェイ』の仕事はマックとの友情によるものだ。クインシーはほんの僅かな時間で彼のサウンドトラックを完成させた。その音楽はマック、アリの二人を納得させたのだ。

 一方、事の経緯を知ったペキンパーは
 「スティーヴの野郎、メス猫に骨抜きにされやがって!」
 と怒鳴り、自ら広告料金を払って業界紙のヴァラエティにフィールディングに向けた「詫びの一面」を掲載して彼流の男気を見せた。そこには「いかにフィールディングのスコアが素晴らしいか」が累々と記されていたという。

 しかしその一面を見たマックは
 「オレには映画を良くする責任と大ヒットさせるという重荷もあるんだ
 とクールに言い放った。そしてマックの「完成版」は大ヒットしたのである。

 

 だが音楽の評価は「やっぱりペキンパー作品にはフィールディングのドライなスコアが相応しい」との声が多かったのもまた事実である。

 確かにクインシー・ジョーンズ、ジェリー・フィールディングの「2つのゲッタウェイのサウンドトラック」が存在する。しかしどちらが優れているか?なんて事は愚問だ。それはカレーライスとミートソース・スパゲッティのどちらが優れているかを論じるようなものだ。ひとつ言えるのは「両者共それぞれのアプローチがあり、両者共に優れている」ことだけである。

 公開当時、サウンドトラックはアルバム・リリースは無く、全編に様々なアレンジで流れる「ラブ・テーマ」とそのヴォーカル・ヴァージョンのカップリングによるシングル・レコードがA&Mにより世界各国でリリースされたのみである。テーマ以外にもクインシーのアフロ・ビートのスコアはありアルバムのリリースも可能だったのだが、その後もアルバムリリースは無かった。リリース無しの理由の一つは、当時「ヴァイオレンス映画」のサウンドトラック・アルバムは全く売れなかった為でもある。

 
 

 この『ゲッタウェイ』ではアレンジはクインシーと当時、クインシー楽団でプレイしていたデイヴ・グルーシン。ハーモニカ・ソロは名手トゥーツ・シールマンス、コーラスはドン・エリオットモーガン・エイムス、とまさに『クインシー一家』での手によるものである。テーマ曲は甘いモダンなバラード。これぞ「真の漢だけが聞くのを許されるバラード」といった雰囲気で素晴らしい。映画では使用されていないヴォーカル・ヴァージョンではクインシー自身が歌い、作詞はアラン&マリリン・バーグマン(作詞の依頼もマックの手によるものかも知れない。というのもバーグマンはマックの『華麗なる賭け』でも作詞を担当していたからだ)。

 

 テーマ曲はそれなりに売れたようでクインシー自身もその後、自身のアルバムにも収録しているが、何故か別ヴァージョンである。現在ではクインシーのアルバムのCDでも聞けるが別ヴァージョンのままであり、シングルに収録した2曲は当時のアナログのシングルレコードでしか聞けない。もしかすると今では完全に過去の遺物と化しているのかも知れない。

 
 

  当時、抹殺されたジェリー・フィールディングのスコアはマスター・テープが存在していた事もあり、1992年にアメリカ・ベイシティ・レーベルよりリリースされたフィールディングのコンピレーションで初リリース。そして2005年には完全収録のCDがFSMよりリリースされた。そう、現在では抹殺されたスコアの方が優遇されているのだ!今では超大物のクインシーではあるが、自身の集大成的なコンピレーションからもこの映画音楽は欠落している。当時の1972年、クインシーは『ゲッタウェイ』を最後に「映画音楽は大量にやった。これで充分だろう」と映画音楽の制作に一応の終止符を打ったのだ。

 

  その後、1986年の『カラー・パープル』や『スラッガーズ・ワイフ』のテーマと監修を手がけた程度で、もうほとんど映画音楽には興味が無いようである。しかし、願わくばクインシーのヴァージョンも完全な形で聴きたい!というのもファンの一つの願望であるのは間違いない。

 「映画作りってェもンはよ、その、何だ、恋に落ちるってぇ事なンだな。
  だから他人に勝手に編集されたり、ましてやカットされたりするなンてぇのは、
  自分の女や子供を奪われるのと同じなンだよ。ぜッてェ、許せねぇ」
  と生前サム・ペキンパーは言っていた。この2000年代にペキンパーを語る者も少なくなりつつあるが、漢なら絶対、通らねばならない道の一つでもある(と断言してしまおう)。

 

 彼の作品はどれもが「漢だけの世界」であり、そこは「血まみれの暴力」で溢れ返り、女性受けは恐ろしく悪い。ましてやデートムービーなどにはなろう筈もない。ペキンパーを支持する野郎どもは「女にはわかんねえよ。むしろ分かってたまるか!」と自慢していたが、実は「女には触らせたくない、自分だけの聖域」とみなしていたのかも知れない。

 我が道をヴァイオレンスと仲間と共に歩むペキンパーのヒーローたち。女はあくまで添え物かあるいは、主人公達に無上の愛を捧げる。そんなヒーロー達に野郎どもは自分の姿を重ねて、酔いしれる。

 
 実はこれはペキンパー自身の願望でもある。実生活のペキンパーはドク・マッコイのような寡黙な男ではない。昔からアルコール中毒であり、トレード・マークのミラー・サングラスや酒は自身の弱さから逃避するだけの道具だったと言う。映画製作でのトラブルなども彼らしい武勇伝ではあるが、あまりにも「人間的で憎めない隣のおっさん」的なのが嬉しくてたまらない。
 


  女運もからっきしダメで、数回の結婚も完全に失敗しており、前の妻が再婚すると聞くや
  「オレの妻だった女が幸せになるんだったら、喜んで結婚式に出て祝福してやるさ!」
と式に出るものの途中で号泣、式後も酒を浴びる程飲み
  「オリ…オリはよぅ…未だアイツが好きなのに気がついたんだよぅぅぅぅ!
  と自分の過ちに後悔しながら泣き暮らしたという。
  しかし今度は涙も乾かぬうちに
  「女ってのはよ、結婚に相応しい女とメス猫の二種類だけだ。んでオレはメス猫が好きだ!
  とケロッと言ってのけるペキンパー親父。アンタって…

 

 監督料のギャラも以前の妻たちに巻き上げられて、ペキンパーはますます酒に溺れていく。『ゲッタウェイ』の頃には酒だけでなくタバコやコカインにも溺れていた。その後、精神的にも病み始め、「誰かに殺される」との妄想に取り付かれて甥に助けを求めるようになる。
  「おい、オレは殺される!
  「誰に?」
  と甥が問うと
  「スティーヴ・マックィーンに決まってるやないか!
  と即答するペキンパー!

  『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』('73)でも完成した作品をズタズタにカットされた時、本気でメキシコから殺し屋を雇い、映画会社の重役を殺そうとしたペキンパー!それだけ映画作りだけは本気だったのである。

 

  『荒野のガンマン』('61)での映画デビューから遺作の『バイオレント・サタデー』('83)までその映画作りの情熱はトラブル続きではあったが世界中にマニアを生み続けた。死ぬ前、不思議にもジョン・レノンの息子であるジュリアン・レノンのビデオ・クリップも監督。この頃、柄にも無く「猿のぬいぐるみ」が気に入り名前を付けて溺愛していたという。今ではこんな豪快な映画人は存在しない。

 1984年12月28日、デイヴィッド・サミュエル・ペキンパーは心不全の為に死去。享年59。先に死んだマックィーン同様、火葬後の灰は太平洋に撒かれた。もしあなたが「本物の映画」を観たいなら、現在の商業主義にまみれてしまった「魂の抜けた」映画を数本観るよりも、ペキンパー作品を一本、選んで観る事をお勧めする。

 

 1993年、キム・ベイシンガー主演の『ブロンディー 女銀行強盗』が作られた。なんと主人公の名前は「マッコイ」。原題は「リアル(本物)・マッコイ」!思わず『ゲッタウェイ』の魂が蘇ったと思ったら、翌94年にベイシンガーとアレック・ボールドウィン主演で『ゲッタウェイ』のリメイクが登場。しかしリメイク作は「観る前に己の頭を数発ビール瓶で殴り意識を朦朧とさせた上で、ペキンパー&マックィーン版の存在を丸ごと忘れてから」観ればそこそこ楽しめる、といった程度の「間違ったリメイク」作品だった。

 現在、あの世でペキンパーとマックイーンはテキーラを飲みながら楽しくやっているらしい。